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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩についての質問です。
この詩は「そういうものになりたい」自分、つまり理想の自分として、
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
とあります。

詩の前半を見ると看病したり、稲を負ったり、訴訟をやめろと言ったり、いろいろと活躍する自分が出てきますが、どうして最終的にデクノボーと呼ばれたいのでしょうか?
デクは「木偶」で木の人形で、役に立たないものの例えだと思います。

丈夫な体を持ちたいとか、清貧な暮しをしたいという願いはわかりますが、「ホメラレモセズ」を理想とするのはどういう心理なのでしょうか?
それとも単なる謙遜なのでしょうか?
本当は世の中の役に立ちたいという心理が裏にあるのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中11~11件)

多分 人からどんな評価をされようとも上記の事をする人になりたいという意味ではないでしょうか?



 私は国語が苦手でしたので、勘ですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
でくのぼうと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、というとかなり浮いた存在のような気がします。
他人の評価を気にしないという意味はあると思います。

お礼日時:2005/02/19 18:40

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