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最近第二次世界大戦について調べているのですが枢軸国が勝つ可能性はあったのでしょうか?
ナチスドイツと大日本帝国は枢軸国として戦いましたがヘタリ...イタリアはそもそもムッソ...ムッソリーニが枢軸国を抜けて連合国に入ろうとしていた状況で勝ち目はあったのでしょうか?
ドイツ、日本は当時としては強国だと個人的には思っているのですが、連合国に参加しているイギリスやアメリカなどもかなりの強国なので大戦を始めた時点で無理ではないのでしょうか?
もしドイツがソ連を攻撃せずソ連が枢軸国に入っていたら勝てたのでしょうか?戦争に詳しい方教えてください

A 回答 (11件中1~10件)

勝てた可能性はあると思います。


(時間の経過は下記)

1941年6月:独ソ戦開戦
1941年9月:御前会議にて10月下旬開戦を決定
1941年10月:萩外荘にて「五相会議」。近衛内閣総辞職。東条内閣成立。
1941年12月:真珠湾攻撃

戦後、毛沢東はキシンジャーへ1941年6月独ソ戦開戦時に「なぜヒトラーはソ連を攻撃する時に3か所に分けて攻撃したのか」(一直線にモスクワに向かえば簡単に勝てた筈だ)と質問した。これに対するキッシンジャーの答えは「ヒトラーは狂人であったからだ」と曖昧な返事を返した。
(文献:「キッシンジャー[最高機密会話録]」ウィリアム・バー編集)
(文献:「知ってはいけない現代史の正体」馬淵睦夫)

山本五十六の真珠湾攻撃は、山本の独断専行で行われており、参謀本部で賛成した者は一人も居なかった。(海軍の米内光正・井上成美は賛成派では・・・)
真珠湾攻撃前にモスクワ陥落したら状況は一変した可能性あります。

ヒトラーの判断ミス、山本五十六の歴史的愚策である真珠湾攻撃は、現在も続く第二次世界大戦の最大のミステリーです。
この微妙な判断が違っていたら、勝敗の行方は分からなかったと思います。
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可能性ならいくらでもありますよ。

例えばアメリカが枢軸国側につく、だけで結果はひっくり返るはずです。
 こういう問題はもう少し要点(設定と勝利の要件)を絞った方がまじめに答える人も多くなると思いますよ。
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戦争とは外交手段の一つであり勝敗だけが目的ではない

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枢軸国が勝利する可能性は十分ありました。

 ナチスはイギリス以外のヨーロッパの主要国を占領し、ソ連に攻め込んだわけですが、快進撃を続けモスクワ近郊まで攻め込みました。 ところが占領地域の列車の渋滞で、対ソ連戦で用意していた厳冬用の装備が、ポーランドで滞貨して前線まで届きませんでした。 その為に、前線の将兵は身動きが取れなくなり、ソ連に敗れてしまったのです。 この不幸な事故が無ければ、ナチスがソ連を占領できる可能性は十分ありました。 更に日本も、アメリカの世論を参戦に導いた真珠湾攻撃なんて馬鹿げたことをやらずに、最初からソ連を攻めてナチスと共に挟み撃ちにすれば第二次大戦に勝てた可能性が大です。
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評価:今までうんざりするくらいされている無知の思い付き。


(ソ連が枢軸国なら とか言い出す時点で・・・)

この場合の「勝つ」の定義が不明なので考察できません。
これは枢軸内でも違っていると思います。
WW2の期間(いつからをWW2とするのか)も不明です。


「戦争」とは、国家に認められた主権の行使であり、自国の目的を武力で他国に認めさせる行為です。

である以上、「戦争における勝利」=「目的を達成すること」です。

これは、講和条約で相手に認めさせれば実現されます。
なので、戦闘(≠戦争)の勝利や、相手国の占領や体制の破壊は「戦争における勝利」の必須条件ではありません。
「第二次世界大戦について」の回答画像7
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枢軸国が勝つ可能性はあったのでしょうか?


 ↑
米国が参戦しなければ、勝てたと
思います。



連合国に参加しているイギリスやアメリカなども
かなりの強国なので大戦を始めた時点で無理ではないのでしょうか?
 ↑
大戦の端緒、つまりドイツがポーランドに
攻め込んだ時点では英国も、米国も
参戦していませんでした。
ドイツは、英国は参戦しないと見込んで
いたようです。
まして、米国の参戦は想定外でした。

英国のチャーチルが、米国のルーズベルトに
対し、英仏が負ければ、米国から借りている
金が返せなくなるからと
米国参戦を工作しています。

米国は米国で大不況を乗り切るために
参戦したかったのですが、国民が納得しません。
それで日本を焚きつけて真珠湾攻撃を
させたわけです。

つまり、こうした大戦略が勝敗を分けた
のです。



もしドイツがソ連を攻撃せずソ連が枢軸国に
入っていたら勝てたのでしょうか?
 ↑
米国が参戦しなければね。
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枢軸国が勝つ可能性は、アメリカが連合国側で参戦した時点でゼロです。

枢軸国というけど、それは連合国が勝手に命名しただけのことで枢軸国陣営などというものは存在しなかった。作戦本部も無かったし、共同作戦もありませんでした。それぞれの国が異なる目標、思惑で勝手に戦っていただけなのです。枢軸国には軍事力があったが持久戦を戦い抜く国力がありませんでした。連合国には降伏する理由がないのです。民主主義だから降伏する理由が無くても厭戦気分の国民が「もう戦争は嫌だ」と泣き喚けば降伏したかもしれませんが、そうはならなかった。連合国の指導者は優れていたし、その国民も愚かではなかったのです。連合国が降伏しないなら枢軸国の勝利はありません。
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仮定の話をいくら積み上げても 現実じゃないのでね。



まぁ 枢軸国が(勝てるではなく)負けないようにするのだったら、
適当なところでやめておくのがよかったんでしょうね。
補給が届かないようなところまで占領地を拡大しすぎて、それで反撃を食らったのですから。
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日独共に資源のない国だった。


だから戦争に踏み切らざるを得ない面があった。

独ソ開戦の前に、ドイツの英本土攻略作戦が失敗した。バトル・オブ・ブリテンの独英航空戦にドイツは敗北した。
ヒトラーは英国本土を占領することで、英植民地の資源、特に中東石油資源の奪取することが不可能になった。
ゆえに、本来の狙いだった東方侵略・独ソ戦に踏み切り、ソ連のバクー油田などの資源を奪取するしかなくなった。

ヒトラーは、独ソ戦を開始する前に、イタリア救援のために、ロンメルを軍司令官とする数個師団程度のアフリカ軍団を北アフリカ・チュニジアに送ったが、対ソ戦準備を極秘裏に始めたヒトラーは、アフリカに力を注ぎたくないので、ロンメルには専守防衛を命じていたほどだった。

ところが、ロンメルは英軍の油断を付いて、軍団全軍が到着する前に奇襲攻撃をかけ、一気に北アフリカの要衝トブルクまで快進撃した。
ここで、独ソ戦が開始されることになったが、ロンメルの快進撃は、北アフリカルートで、中東石油地帯を占領できる可能性を示したもので、ここでヒトラーが独ソ戦を中止して、ロンメルに援軍を送っていればどうなったか。という疑問は残る。

また、独ソ戦での独軍快進撃がストップしたときに、日本が開戦して快進撃を始めた時に、日本はドイツの要請もあって真珠湾奇襲を成功させた当時世界最強だった空母6隻の機動部隊をインド洋に派遣した。
そのためにエジプト・カイロに司令部を置く英第8軍に対する補給路が絶たれたうえ、ロンメルにトブルクを奪取されて独軍にエジプト国境付近のエル・アラメインまで進出を許すという大危機を迎えた。

ある戦史家の評論では、枢軸側が勝てるとしたら、そこが最後のチャンスだったと分析している。

しかし、日本海軍は太平洋に戻り、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦で機動部隊が壊滅し、敗戦が事実上確定した。

北アフリカの独軍も、英第8軍への補給が大々的に再開され、独軍の8倍近い戦力を蓄えられて、チュニジアまで撤退を余儀なくされてしまった。

いずれにしても、資源のない両国は、遠かったこともあるが、共同で戦略を立てることをしなかった。これでは、勝てる戦争でも勝てなかっただろう。例え米国が援助だけで参戦しなくても、勝のは無理だったと思われる。
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全てはバトル・オブ・ブリテンによる



 ナチスのイギリス侵攻を前に英国の戦力を叩こうと航空戦力を仕掛けたが
 英国側の新開発のレーダーと航空管制に対して、ドイツ側の渡航戦闘に向かないドイツ航空機が散々に打ち負かされてしまう
 これにより英国への侵攻を断念したドイツが東部戦線に注力した結果

 英国は大陸反攻の為の戦力整備の時間が確保出来、アメリカ軍の参戦により戦力バランスが逆転した

 もし英国がナチスの攻勢により降伏もしくは中立化していたら、米国の参戦も難しい<-大義名分が無い
 物理的な反攻の為の拠点も存在しない


尚、ソ連とナチスが協調関係を結んだのは、ポーランド等の東欧諸国を勢力圏に入れるための妥協

本音では不倶戴天の敵同士だったので短期的には協調できても
長期に続く可能性は無かった

ナポレオンのロシア侵攻とその後の惨敗のような状況を再現した可能性はあるが
スターリンの独裁政治への反発もあったからソ連の民衆がどこまでたえられたか?
そこが、ドイツとソ連とのポイントだったろうね
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