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三世紀頃、魏の国と初めて国交が開かれたましたが、中国語が話せた人はいますか?
また中国語が話せた人が天皇になったのですか?
八世紀頃の日本書紀も全て漢字で書かれています。

質問者からの補足コメント

  • イギリスでいうところのアメリカの立場ですか?

      補足日時:2021/05/07 09:58
  • 平仮名ができたのは、10世紀となります。
    神武天皇が紀元前からいた人なら、なぜ独自の言語文化を持っていなかったのでしょうか?

      補足日時:2021/05/07 10:02
  • 新天地を求めて渡ってきた中国人だったのでしょうか?

      補足日時:2021/05/07 10:04
gooドクター

A 回答 (6件)

弥生人とは、一般には水稲耕作技術を持った渡来人。


水稲耕作は、中国の南部・長江中下流域が発祥の地だ。国名で云えば「楚」「呉」「越」の辺りになる。

漢字の音読みを「呉音」ともいう。和服のことを「呉服」ともいう。
北陸新潟方面の旧地名を「越」という、スサノオ命が退治したのは「高志(越)の国から来たヤマタノオロチ」だった。
日本と中国華南地方は、このように縄文時代から密接に繋がっていた。

中国は多言語国家だ。アルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表意文字が普遍化したのは、言葉が違っても、文字の意味が共通していればそれなりにコミュニケーションが成立するからだ。

日本は先住の縄文優位で文化が継承されている。渡来した頃は呉越地方の中国語を話していても、たちまち縄文系の言葉に順応していっただろう。

天孫族も日本に上陸したときはそれほど大人数だったわけではない。すぐに縄文系の地元有力豪族の娘などと婚姻を繰り返して、縄文文化に染まったであろうことは間違いない。
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>三世紀頃、魏の国と初めて国交が開かれたましたが、中国語が話せた人はいますか?



紀元前から大陸や朝鮮半島と交流があったことは確実なので、中国語が話せた人は日本にも確実に居たと考えられます。


>また中国語が話せた人が天皇になったのですか?
それはほぼあり得ないと思います。当時の中国語または当時の朝鮮語などを話せたのは、大陸にルーツを持ち学者とか通訳者として代々語学を継承している家系か、実際に交易などで大陸に渡っていた人達なのは確実で、天皇は御座所に居るのが基本ですから、日本語以外は話せなかったはずです。


>八世紀頃の日本書紀も全て漢字で書かれています。

日本には文字がなかったので、当然です。具体的には「独自の言語文化」の所に書きます。

>イギリスでいうところのアメリカの立場ですか?

全く違います。日本のヤマト王権は大陸側の政権に主権を握られたことは一度もありません。

>平仮名ができたのは、10世紀となります。
>神武天皇が紀元前からいた人なら、なぜ独自の言語文化を持っていなかったのでしょうか?

「独自の言語体系を持つ」ということと「文字を持つ」という事は全く別のことだからです。

たとえば現在世界中で使われている文字はそのほとんどが「フェニキア文字」にルーツをもつと言われていて、違うのは漢字とその派生文字(日本文字・ハングル)とすでに使われていませんがマヤ文字だけだと言われています。

しかし西洋言語と東南アジア言語が「同じ言語体系」だという人はまずいないでしょう。

日本人は1万年の縄文時代の間に日本語の原型を作っていたことはほぼ間違いなく、それが日本列島を通じた交易に利用されていたと推測できます。

しかし、日本語と文字は全く別の要素で、日本語は漢字を輸入して初めて文字を持つことになったわけです。


>新天地を求めて渡ってきた中国人だったのでしょうか?

そういう集団も居たでしょうが、集団が海を渡り日本に定住し、一定の勢力を拡大するには時間もかかるし、その間に土着の豪族たちからの圧迫も受けます。

日本には1万年前から人が住んでいて、集落があり紀元後には豪族が生まれ3世紀には前方後円墳を作れるほどの組織化された社会があったので、それ以降に日本にやってきた人々が大きな勢力に発展することは難しかったでしょう。

また大陸からやってきた人々がヤマト朝廷を作ったなら、古事記や日本書記ではなく「大陸からやってきた○○人の王朝」という記録を残していないとおかしいです。
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3世紀と8世紀では時代が全く違います。


現在と15世紀は違うでしょ?

3世紀は史料が(中国の史書に短い記述がある以外)皆無なのでそのあたりは全くわかっていません。

DNAの解析によって日本人の構成が、凄く細かくわかってきました。結果人種的には東南アジア・中国大陸・朝鮮半島・モンゴル系・北方系の完全な混血で、大和朝廷の礎になった人々は、かなり遅い時期に日本に朝鮮半島を経由して日本に来た人たち(中国・朝鮮半島の支配階級等)が政治を担ったことは、遺伝子解析や、考古学的知見からほぼ間違いないと云われています。
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卑弥呼は日本の地方の一部を纏めていただけの人なのでなんともいえませんが



中国語は仏教の伝来とかの頃に話せる人が居たかもしれない
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倭国女王卑弥呼は西暦239年と243年に魏に遣いを送り、245年には返礼品が遣魏使に与えられ、266年には魏の後を襲った晋へ遣いを出すなど、合計4回の往来がありました。

 お互いに意思の疎通が出来ずにこれだけ交流するとは考えられないので、倭国にも魏にも互いの言葉を話せる通訳がいたと考えるのが自然です。 通訳は所詮通訳です。 当時でも中国語が話せるというだけで天皇にはなっていないでしょう。 

日本に漢字が伝来する以前、日本語には固有の文字がありませんでした。しかし中国大陸から漢字とともに伝来した「漢文」は当然ながら中国語に基づいた書記法であり、音韻や構文の異なる日本語を書き記すものではありませんでした。 この「漢文」を日本語として理解するために生まれたのが「漢文訓読」です。
しかし地名や人名などの日本語の固有名詞は、漢字をそのまま使ってもその音を書き記すことはできません。 そこで使われたのが漢字本来の意味を無視してその発音だけを利用し、日本語の音に当てる「借字」(しゃくじ)でした。 これはたとえば漢字の「阿」が持つ本来の意味を無視して「ア」という音だけを抽出し、「阿」を日本語の「ア」として読ませるという方法です。 この借字によって日本語が漢字で表記されるようになりました。 この表記法を俗に「万葉仮名」とも呼びます。 平安時代初期に漢字を崩して作られた仮名文字が使われるようになるまで、日本語はすべて漢字で書かれていたゆえ、奈良時代に書かれた日本書紀が全部漢字で書かれているのは当然です。
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中学生かな?


ご質問の内容が分かってるなら長い間議論されてません。
ただ、卑弥呼の時代を語るなら日本書紀の時代を持ち出してもしようがありません。
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