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国伝・北史倭国伝によれば、『正始年間(240-249年)、卑弥呼が死に、更に男王が立つが国中が服さず、更に互いに誅殺しあう。また卑弥呼の宗女である台与が立ち王となる。その後、また男王が立つ。』


卑弥呼と、卑弥呼の宋女が同一人物である可能性はないのでしょうか?

卑弥呼が死んだとされる歳、皆既日食があった。
卑弥呼は公に外に現れず、伝者として卑弥呼の言葉を民衆に伝えていたのは卑弥呼の弟。
もし、内部で権力闘争があったとすれば、弟が卑弥呼を死んだことにして、民衆に伝えて自らが王になった事は考えられないでしょうか?
そして巫女でもないお前が王になるとはなんだ!と国が乱れ、男達の権力闘争となり、死んだ事にされてしまった卑弥呼が、卑弥呼の宋女ということで再度王となった。ということなら、崇神天皇の妻、妃の妹が同名(御真津比売命)の謎が解けませんか?
崇神天皇は、卑弥呼の夫ではなく、姉と寝食を共にしていた弟。卑弥呼の妹は卑弥呼自身。

質問者からの補足コメント

  • 崇神天皇以前は天皇、皇后というのはいなかったのでは?卑弥呼の占いが当たるというので、民衆が王と崇めたのであって、弟には神秘的な力はなかった。それでも姉である卑弥呼のパワーを利用して権威ある立場を築いて、皆既日食で卑弥呼を死んだ事にして自分が王になろうと、自分の血による万世一系を唱えてはみたが、神秘の力がなかったため民衆が納得しなかった。

      補足日時:2021/05/07 22:16
  • 宋女の後に、また男王が立つというのは、高齢だった卑弥呼がこの時死んだためではないでしょうか?男王は、同じく弟でしょうね。

      補足日時:2021/05/07 22:20
  • そうなると神武天皇は、大陸から渡ってきた先祖かもしれない。ただの人を、天皇家が神として到来したかのように神格化している。

      補足日時:2021/05/07 22:22
  • 豪族は沢山いたけれど、卑弥呼以前に倭国の王はいなかったのでは?それだけ卑弥呼が信仰を集めたということで、両親や先祖は豪族に支配されていたただの人だったのでは?

      補足日時:2021/05/07 22:26

A 回答 (1件)

卑弥呼を天照大神と決めたり、天岩戸隠れを日食と同じと思うことが馬鹿の一つ覚え。



歴史を勝手に自己解釈、いや都合のいいように歪曲して
いつまで
叩かれれば、
自説を改めるのか、

女系など言語道断、
成立するはずなし。

どうでも
アマゾネス軍団作りたければ、
断固滅ぼすまで。

この亡国の馬鹿どもめ。

質問者の言う説はトンチンカンそのもの。
こんなものの言うたわごとを真面目に信じることこそ愚か。

いつまでたっても学習しない能無しの馬鹿としか言いようなし。
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