アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

そのことが問われる最大にして最後の分岐点に差し掛かっているのだ
と思います。
そういう歴史的に意義のある場に日本が選ばれたことは喜ぶべきこと
なのか、それとも悲しむべきことになってしまうのか・・・・?

この危機的な状況が継続しているコロナ禍で、東京五輪を開催すると
いうことは、誰がどう考えてもオリンピックを金(カネ)の祭典にして
しまうこととなります。

その結果、世界にはますます拝金主義が蔓延り、カネのためなら命を
犠牲にするということが日常茶飯事となっていくことでしょう。

ところで、命よりも大事なものがあるのを皆さんはご存知でしょうか?

それは、一般に 〝心〟 であると思われています。

この〝心〟が、命を含むすべての現象界の行く末を支配しているからだ
と信じられているようです。
そして、この〝心〟には大きく分けて二通りの意味があります。
ひとつは〝正しい心〟もうひとつが【不正な心】です。

命よりも大事な〝正しい心〟は、この現象界で最も尊重すべきものを知っ
ています。それは、やはり「命」です。
ところが、
命よりも大事という立場を利用して【不正な心】はこう呟きます。

【命よりも金(カネ)】【命よりもプライド】【命よりも名誉】【命よりも
賞賛】【命よりも能力】【命よりも金メダル】・・・・・・・。

それらのために命が犠牲になってもいいという絶望的な時代の到来を、
あなたは望みます?


オリンピックは金(カネ)の祭典かそれとも平和の祭典なのか?

おしえてください。

質問者からの補足コメント

  • >安全・安心・信頼にはこれしか答えはないんです。


    おっしゃっていることは、もっともだと思うのですが、要するにこういう
    ことではないのでしょうか?

    命よりも安全、命よりも安心、命よりも信頼・・・・

    なぜなら、その安全、安心、信頼を守らねばならないと感じているのは
    所詮は、金(カネ)とか名誉とか会社とかのためでしょ?ってことだか
    らです。


    平和の祭典という意味がピンとこないのも、そういう偏見で物事を考え
    ようとしているからではないのでしょうか?
    命よりも大事な、あなた自身の〝心〟に問うてください。
    その〝心〟が正しい心であれば、きっと分かると思いますよ?笑

    平和であるということの意味が。

      補足日時:2021/06/13 11:00
  • >沈黙は、共犯と同じですから。


    そのとおりだと思います。
    ここで質問した甲斐がありました。
    有難うございました。涙

      補足日時:2021/06/13 11:03
  • >政治的理由で五輪をボイコットする国がでた時点で「平和の祭典」とは言えなくなった


    政治の祭典でも平和とは矛盾しないと思いますけどね。
    その政治の深い意味までは知りませんが、少なくとも、政治は「金やプライドや
    名誉や賞賛や能力や金メダル」などというドロくさい価値観とは次元の違う概念
    でしょうから。

    東京五輪以前では、まだ救いようがあったと後世の人々に語られるかもしれませ
    んね。

      補足日時:2021/06/13 13:59

A 回答 (6件)

もともと、ローマ帝国の剣闘士と同じく、ただの下層市民向けの見世物興行。


クスリと暴力で調教された廃人が披露する芸を鑑賞する見世物小屋。
    • good
    • 0

個人的には、モスクワ五輪更にはロサンゼルス五輪において、政治的理由で五輪をボイコットする国がでた時点で「平和の祭典」とは言えなくなった、と言わざるを得ません...。



>この危機的な状況が継続しているコロナ禍で、東京五輪を開催すると
いうことは、誰がどう考えてもオリンピックを金(カネ)の祭典にして
しまうこととなります。

主語を大きくするな。
    • good
    • 0

金の祭典

    • good
    • 0

「現状追認」、「寄らば大樹」、「長いものに巻かれろ」は、成長ではありません。

単なる自己保身、利己心の保守でしかありません。

物事の客観視、科学的思考を働かせれば、あなたが感じる疑問(いや、問題認識)を多くの国民が抱いています。
だからこそ、7割の国民が五輪の再延期、中止を支持しています。

元々、賄賂を使って利権絡みで目論んだ五輪ゆえに、地獄に堕ちてでも金次第で乗り切ろうと自制がきかなくなっている状況です。

一握りの目先の利権に目が眩んでいる人でも、将来が絶望的な時代であることを望む人はいないでしょう。
ただ、それが己の行動の結果、己の行動の責任という自己認識を考えず、あるいは見ないようにして他者に転嫁して遣り過ごそうという意識で自己正当化しているだけのこと。

サイレントマジョリティが声を出し、ノイジーマイノリティの暴走を抑えることが必要な状況だろうと思います。
沈黙は、共犯と同じですから。
    • good
    • 0

『カネの祭典』と『平和の祭典』とはどちらか一方という排他的なものじゃないと思います。


その意味で、『カネの祭典』であることは誰もが認めるところでしょう。

『平和の祭典』であるための要素って何でしょう。
それがはっきりしていないので、私は『そうです』とは言えません。

私はプロファイルのような、航空機や自動車、船舶の電気関係の先端技術の研究開発を仕事にしてきました。
もうリタイアしたので現役ではありませんが、そこで私が担っていたものの中に、信頼性や安全性という要素がありました。

長年それをやってきて言えることに、『安全』とか『安心』とか『信頼』というものには直接的な実態はないという事です。
もっとはっきり言えば『安全・安心・信頼って何?』というものには『答えはない』のです。

じゃ『安全・安心・信頼』はどうすりゃ手に入るか。
それは簡単です。

・安全でないことをすべて取り除けばいい
・心配なことをすべて取り除けばいい
・信用できないものをすべて取り除けばいい

のです。

そこで問題が起きます。

・安全でないことって何? それをすべて挙げて取り除けるの?
・心配なことって何? それをすべて挙げて取り除けるの?
・信用できないことって何? それをすべて挙げて取り除けるの?

なぜこれが問題かと言うと、それがたくさんあって大変だからです。
あるとき『これで全部』と言った後で『こんなのも心配じゃん』と新たなものが出てくることもあるように、『全部』を保証するのが大変なんです。

しかし、これは確かに大変なんですが、安全・安心・信頼を手に入れるにはこれしか方法はないんです。
後で新たなものが出てきたらその対策も加える。
これが私がやってきた仕事でした。

何を言いたいかというと、首相をはじめとした人たちが盛んに『安全・安心・信頼』を口にしますが、そうではなく『安全を阻害するものにはこう言うことがあり、それに対してはこう対処することにしており、それはこういうふうに働くので、その阻害は起きない』と言うべきだという事です。

安全・安心・信頼にはこれしか答えはないんです。
    • good
    • 0

そんなに、単純ではないんだよね~、中二じゃ、仕方ないけどね。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!