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昨日まで、博多に行って居ました。感動しました。博多の地下鉄のアナウンスは
「扉,付近の方は御注意下さい」と言って居ました。これこそ日本人には誰でも分かる正しい日本語です。以前,新幹線のアナウンスは何故、扉と言わず「ドア」と言う質問をして、あれは、おかしい、普通スライド式の出入り口は扉と言ってドアとは言わないと言う私の見解に「ドアと言っても、おかしくない」と言う見解の人と,かなり,やり取りしたからです。新幹線の「ドア」と博多の地下鉄の「扉」どちらが正しいと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 私は、同じ質問を別のこんなサイトにも良くするのですけど、こんな回答も有りました。

    ドアと扉を、きちっと区別するべき、と言う人も私(回答者さん)を含めて一定数、居ますよ。

    戸袋が左右に有る=扉
    バスや一部の電車の左右,中折れ式=ドア
    マンションやホテルの様な鍵穴付き出入り口=ドア

      補足日時:2021/07/24 20:16

A 回答 (11件中1~10件)

正答がある試験漬けの日本を代表するような質問に思います。


ことばに『正しい』ってあるんでしょうか。

『扉』のことをことさらにおっしゃりながら、あなたはなぜ『、』を使わず『,』を使うのですか?
なぜ、『車内放送』と言わずに『アナウンス』、『引き戸』と言わず『スライド』と言ったのですか?

文化は生きています。
今時『拙者はxxでござる』など言いません。
そう言わないからバカだなど言う人は居ません。
その時代に合わせて変化するのは当たり前なんです。

言葉は所詮コミュニケーションの道具です。
自然に意思疎通できれば、それが『正答』と思います。

『日本』を意識したいなら、そんな場ですればいいと思います。

私はプロファイルの様な者です。
東北の山間の寒村の出です。
子どもの頃、長い休みには家業繁忙なために遠方の親戚に預けられてました。
そこは違う方言。
それで言葉には頓着しなくなりました。
その後は、世界各地に暮らしました。
当地アメリカに暮らすようになって英語を覚えましたが、フランス語とアメリカ南部のなまりがあるものです。
日本に行った折も、意識しないと、あいさつなんかについ南部なまりのフランス風『ハイヤォ~』とやっちゃいます。
日本語でも、興奮してると『そうじゃなくて』と言いたくても方言で『んだげんちょ』と言っちゃいます。

ことばなんて、そんなもんじゃないですか。
それとも正調東京弁がご所望ですか?
何が正調か知りませんが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私は、方言肯定派ですよ。生まれも育ちも大阪市です。東京に行っても別に興奮しなくても堂々と関西弁を使います。北海道から沖縄まで、いろんな方言が有りますけど全て、日本語と思っています。
何故「,」を使うか?
勿論、ちゃんとした手紙には正しい句読点を使います。しかし、ネットの文章の日本語はメチャクチャです。ですので、我流のネット専用「日本語」を使っています。
>拙者は〜でござる
言葉は、時代と共に変わって行くのは、分かっています。しかし現代国語は、なるべく守らないといけないんじゃないないでしょうか?長い年月をかけて、それが、その時代の国語になるんじゃないでしょうか? 既に若い世代は変わっています。

例)「〜ヤベェ」危ないと言う意味ではない。

例)今回、博多に行って,そのもうひとつ思った事が有ります。「とても」と言う副詞は博多弁では「バリ」でした。

例)ラーメンのバリ硬
それが「メチャ」と言う関西弁を若い人が、結構,使っているのです。数年前なら考えられません。

お礼日時:2021/07/24 07:08

日本の戸には最低でも、二種類の戸があります。

「滑り戸」と「開き戸」です。確かにドアは開き戸を指しているので、スライディング・ドア言う必要があるかも知れません。しかし、そこまで区別する人は少なく、ドアでいいかと思います。都市部と田舎ではかなり移り変わりがありました。
昔の国鉄時代では、車両の前と後ろに乗降口があり、そこはいわゆるデッキと呼ばれ、そこには内開きのドアが付いていました。(外開きは危険なため無し)客が多い時には、早く席を取りたい人と、下りる人とが押し合う状態になり、「降りてから乗る」という言葉が繰り返されました。その内ドアが二つに折れる「折りたたみ型」ドアが作られました。山手線の電車などは、車両前中後の三カ所に扉が付けられ、乗れない人まで押し込む「押し屋」が登場した時代もありました。田舎でも乗降口を開けたまま、手すりをつかんで乗っていた時代もありました。それがマイカーブームによってすっかり形がかわるのですが、ドアについてはここまでです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。何故、「ドア」で良いと思われるのでしょうか?
>都市部と田舎では、かなり移り変わりがありませした。

博多は、大都市ではありませんけど都市です。何故「ドア」と言わず「扉」と言うのでしょうか?因みに、内の家は「ひき戸」です。家族みんな「ドア」とも「ひき戸」とも言いません。「戸」って言います。
例)「早く戸、閉めて虫が入る」
逆に、マンションの出入り口を「ドア」以外の「扉」って言う人が居るのでしょうか?私は、聞いた事がありません。

お礼日時:2021/07/24 06:40

ドアは外来語


扉・戸は日本語。

それが場所と習慣・用途によって使い分けて
いると思う。

詳しくはほかの方のような分類があるのですかね。

自動ドアという言葉ありますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「自動ドア」は商品名です。

お礼日時:2021/07/24 08:43

べつにどうとも思いませんが。

。。
どちらも良いと思います。
むしろ扉という方が不自然と感じるくらいです。

根本的な誤解として、自然言語はルールに基づいて使わてるものではないですよ、と言いたい。
人間そのものがロボットじゃないので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。人、それぞれと言う見解ですね。私は、別に否定しません。

お礼日時:2021/07/24 10:41

現実の問題に正解はないからなー



そこに正しい正しくないという話を持ち込むから見解の相違ですねとか毒にも薬にもならない結論になる。

「正しい」というのは思考停止のパワーワードです。閉じた世界、静的な基準、お互いの共通認識の上で成り立つものです。現実世界というオープンワールドでは機能しません。

今回、扉とドアについて質問者さんのような違いがあるのを知って新鮮さを覚えました。自動ドアが商品名だというのも。これホントなんですかね。でも関係ないですね。すでに一般名詞化してるので。
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この回答へのお礼

私も、考えたんですけど何故、私だけが拘って他の人は気にならないのか。多分、私の家が「ひき戸」(扉)で家族全員、玄関の戸と言ってドアと普段から言わないからだと思います。
新幹線に乗り「次の駅は左のドアが開きます」とアナウンスされて左を見る?ドアないやん、あれ戸やんと思ったのだと思います。しかし戸袋が有るなら,やっぱり扉やん」何故、ドアって言うの?って感じで。

お礼日時:2021/07/24 11:42

言葉の解像度が高いのは良いことです。


ただ、そこに正しさというあたかも唯一のような正統性を見出そうとする、しかも無意識に。
それは危険だと思いますよ。

今回は鉄道車両のドアを題材にしてますから、すでに普及して長い時間経つ呼び名をことさら疑問提起しても誰も食い付いてこないのは自然な成り行きかと。

純粋にドアと扉の違いを質問すればまた違った流れになったでしょう。

言葉に対して感性の深い部分でこだわりが持てる。それは心の純粋さを保ててる内ならではのことだと思います。
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蛇足でお尋ねしたいのですが、


「天国への扉」
あなたがこれをイメージするとそれは滑り戸ですか開き戸ですか?
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この回答へのお礼

私は無神論者ですけど。あえていうなら良く西部劇の酒場に出てくる様な両開きの開閉式です。

お礼日時:2021/07/24 16:21

ありがとうございます。



扉が滑り戸を指しているとあなたに強い固定意識があるのなら、「天国への扉」のイメージも滑り戸となる、あるいは言葉そのものに強い違和感を抱くのではないでしょうか?

そもそもドアという外来語が来る前は開き戸のことを何と呼んでいたのでしょう? 時間、空間内に様々に分布する集団で言葉がどのように使われていたのか想像を巡らすと、一面的で杓子定規な正当性はあまり意味をなさないと感じます。

「天国への扉」の解釈では実はもうひとつ解釈があります。仮に自覚なくてもあなたの中にそのビジュアルイメージがすでに刷り込まれていたため、扉は滑り戸という認識をオーバーライドして、扉という言語表現と開き戸式の天国への扉が結び付いてしまったのではないか、と。

質問主題の電車の話に戻ると、質問者さん同様に言葉を使い分けていた人が人生初めて「鉄道車両における昇降用の開閉式の壁(?)」を指す「ドア」という言葉の使われ方を目の当たりにした時、「その使い方がおかしい」と思うか「あ、ドアにはそういう意味もあるんだ」と膝を打つのか、正しい(笑)反応はどちらとすべきなのか興味深いところではあります。
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補足みて。



結局、質問者さんが拘泥してるのは正統性なのでしょうね。この言い方は気に障るかな。

解像度のより高い言語スキームはコミュニケーションの制御性を上げるものだからそれ自体は結構な事です。

このスレッドでアンチ質問者サイドな目線が投げかけているのは、何が正しいのか正当なのか、基準の綱引きをしようとしている自らの姿勢に疑問を持たない質問者さんの態度なのですよ。その態度の評価としてまた正しい正しくないという話を持ち出すと自己撞着にもなりうるので、もしそうお感じになるのなら反面教師として見てくださいね。

最初から認めている通り、識別性に優れること、解像度の高い言語運用力そのものについて私や他の回答者が批判的なことを言っているのではないのです。

そうではなくて、実際問題、鉄道車両の「乗降に用いられる開閉式の壁」について滑り戸か開き戸か識別を要する場面が一般大衆の生活においてどれだけありますか、と。

日本語を知らない人に上記の壁(笑)を説明するのに、あなた方のような拘りを必要としますかね? いやわざわざ外国人を持ち出さなくても、日本語の理解として、開き戸と滑り戸の区別を明確にする人々も少なくはないが、それと共に鉄道車両や自動車の開閉式乗降用壁についてタイプの違いに関わらず「ドア」と表現する場面も多く見受けられる。としておいて何か困りますかね? 両者の立場を含めた包括的理解で。

ここで焦点を当てたいのは多数派という数の力や言葉の意味解像度という単純な機能性の物差しで、自分たちと異なる言語運用スキーマを社会から排除したいという本音が見える事です。

それは実利がいまいち伴わない政治的意図とも言えます。主義、信条だから宗教チックかも。ここでいう実利とは言語解像度向上それ自体が生む通信オーバーヘッド削減という意味ではありませんよ。実際のメリット云々より単に「正しさ」という錦の御旗、自分たちが持つ言葉の解像性メリットに足を救われて、それらとは次元や観点が違う文化を理解する俯瞰性が感じられないという事なんです。

だから、話がどうも噛み合わない。

円柱を見て、あれは円だ!という人も長方形だ!という人も正しい。これはメタファーとして不適切だろうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私は、こんな性格なんです。何でも?と思ってしまいます。どっちでも別にいいんじゃない」では気がすまないのです。定義を、はっきり、しないと
例えば、数字の3桁区切り。
日本人で10,千円と言う人がいますか?英語なら、ten thousand」で問題ありませんけど、私は、断固として4桁区切りを実践しています。

お礼日時:2021/07/26 15:49

再度蛇足ですが、


「扉」って開き戸も含むイメージあります。

「天国への扉」の質問者さんイメージもそうだしね。

だから純粋に開き戸vs滑り戸の話なら、ドアvs戸にしないとね。

電車の話、しかも扉というアナウンスを材料にするのは筋がわるいかと。

しかも外来語であるdoorに日本人が頑なに独自の厳密な意味解釈を主張するのもちょっと筋違いな気も。

あ、機能性、合理性については意を挟まないからね。

ただ、解釈や運用は適材適所でいいと思いますよ。というかむしろ適材適所としてコンテキストスキーマを使い分けないほうが問題じゃないのかな?

現実の物体は言葉如何以前に明白にそこに存在してるわけで、ドアと戸の弁じ分けがそこまで重要か? ざっくりドアで問題なくね? 戸だと1音節語だから聞き取り性が低下するし、扉だと3音節で長すぎるし、ここからは推測だけど、広く遍く伝わりやすさでいったら扉よりドアじゃねーの。
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