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「死」の恐怖を、どう克服したらいいですか。

A 回答 (8件)

人間が死を恐れる事は、自然な事ですが、死を恐れなくなる事を、学ぶ事によって克服する道もある様です。



その道とは、『禅』を学ぶ事です。禅の究極の目的は貴方のこの問題を解く事と同じだからです。

つまり自分自身を知るという意味です。『自身の中の自分を怖がらせている者の正体が、解らない事を無明と云う様です。

今から、約八十年位前に『禅』をアメリカや欧州に紹介した日本人がいます、鈴木大拙博士です。それからしばらくしてから『禅は精神衛生には良い』と紹介されるようになったようです。

その理由は、全ての精神疾患の根本には、『死に対しての恐怖や不安、或いは人生に対しての恐怖や不安』が存在しているからです。

禅を学ぶ事によって、死とか人生に対しての不安や恐怖が払拭されることが知れ渡ったからです。

禅に拠っての悟りの効能は、或る意味では『無功徳』と云われているものですが、此の無功徳の意味は『人生に救いを求めている状態』が信仰や悟りを求めている意味と一体をなしています。

人生に永遠の命を求めて、あちこちと尋ね歩いている姿を『迷える子羊』或は、禅の修行僧と云っても良いのかも知れませんが、そんなものは何処にも無かったと承知する場合を『道に至った人』と表現しています。

その意味は、『人生には救いなど存在していなかった、事を心から納得出来た時の事です。』

『人生そのものに対する疑問とか、死に対する不安や恐怖心』を解決するために、命がけでの修行をする事を決心して禅の道に入った場合では、悟りを開いた事の意義を『一生の大事が了畢した。』と表現しているようです。

死に対しての、最大限の恐怖心が悟りの効用に拠って、一瞬にして『胡散霧消』してしまうからです。道元の言葉を借りるなら『心身脱落、脱落心身』という言葉によって、計り知る事が出来ます。

今まで『死にたくないとか、死の恐怖感』に拠って全身に入っていた力が、一瞬にして抜け落ちた、という意味になるからです。『全身全霊で死を遮ろうとしていて、入っていた力が、死を受容した瞬間に、力を入れる必要さえも無かった事を体得した瞬間だったからです.』

その体験以後、『一切皆苦』となっていて、全否定であった自分の人生が、『安楽でないものが無くなった』つまり『絶対の安心』が手に入った瞬間だからです。

禅の効用は、死と生、或いは嫌っているものや、好きなものに対しての分別に拠って生じている、心の中の拘り『精神疾患ならば症状の事』が、分別しない世界観の獲得によって、全てを”肯定”出来るようになる事を意味しています。

貴方の質問に対しての答えは『「死」の恐怖を、どう克服したらいいですか。』

生が良いとか、死が忌むべきものと云った分別をしないで、どちらも同等に思えるための修行を、禅を学ぶ中で身に付ける事がお勧めです。

鈴木大拙博士の本を読む事がお勧めです、博士は若い時に悟りを開いています、ですので、読む人に対しての重要なところとかの勘所を抑えていますので、読む人に親切丁寧な書き方をしていると思います。

27歳から読み始めて32歳で、自身の中の『無意識の自分』と出会った事に拠って、死が必ずしも忌むべきものでは無い事を体得出来た体験があります。

禅の目的は『悟りを開く事によって、全肯定的』なものの見方をになる事が、その眼目です。全てを受容出来る時そこには安楽な自分がいる事に気が付きます。
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あなただけが、特別なのではありません。

私も子供の頃には、毎日のようにトイレの中で、真剣に「どうか、死にませんように!死にませんように!」と祈っていたのです。今でも、死ぬのは怖いと思いますし、死にたくはありません。もうすぐ、70歳になりますが、あと何年生きられるのだろうかと思いながら、今のうちから、少しずつ後片付けをしておかなければ、子供達が大変だろうからと、片付けをする事を考えています。私が、自分の死を自覚するようになったのは、10年前に父が死んでからでした。父も死が恐ろしい人間の一人でしたが、死ぬ前に病院のベッドの上で「もう、ええ!」と生きようとする気力を無くした姿を見せたのです。その姿を見ながら、人間が死に逝く時には、このように自然な姿で死に逝くようになるのだと感じました。私は、まだ、するべき事が沢山ありますので、それらを今のうちにやっておかなければならないという気持ちの方が強いのですが、全てやり終えた時には、父のように、自然に死を迎えられる自分になるのだと思っています。…でも、今は未だ、死にたくありません。
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トルストイは


「宗教のみが死の恐怖を打ち消す」
と言っています
仏教の事を指しています
仏教では、死を方便と説くからです

参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
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死への恐怖とは生物に備わった防衛本能の一種なので、失う事はできません。

貴方が寝たり食べたりしないと生きていけないのと同じ、本能です。
失う事が出来ない本能なのだから仕方ない、と、そのまま受け入れる事で少なくともその感情が存在する事を許すことは出来るようになるはずです。

でも、ある程度生きているとそれなりに人の死に目に立ち会うのですが、遺体が怖いと思った事はありません。亡くなった方たちはもうそこには居ないのです。身体だけ脱ぎ捨ててどこかに行ってしまったような感じで、もう苦しんでいませんでした。生き物とは違うものになっている、それだけでした。
遺体の状態によっては腐敗が進んでいたりもするのですが、そうやって少しずつ形を変えて自然に、土に還っていく。そこからまた植物や新たな命が誕生して、巡り巡ってその命を頂きながら私は我が子を生んで…そうやって繰り返していくんだなと最近は思うようになりました。
私が死んでも命は続いていくんだなと。
今すぐ事故や事件で死ぬのは怖いですが、天寿を全うして死ぬならそれは怖い事じゃない。私が死んでも命はずっと続きます。その遠い未来に思いを馳せると、恐怖というよりも楽しみな気持ちになります。
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年齢は?「死」が怖いというのはまだまだ若い証拠ですね ある程度年齢を重ねると「死」んだらどうなるか ということを考えなくなります。

今が大事だと思えるからです。自死は絶対に良くない。永遠に成仏できないからです。「死」を怖がるというのは大切なことです。自分の事、身内の事、他人の事を大事に思えるからです。「死」の世界は という本が出てます。これらを読み 信じるか 信じないかは貴方次第ですが 死後の世界は無いという人 ある人 人それぞれです。今 「死」を怖からずに今を楽しく「生きる」事を考えると自然に「死」が怖くなくなります。私は 死んだら 古き良き人々に会えると信じてます。
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何か病気とか怪我とか理由でもあるのですか?


あなたの気持ちだけの話しならここで素人に聞いたってムダ(むしろ害)ですよ
安心?したいなら病院で先生に聞いてください
私としては「克服など誰も出来ない」とは思います
誰もが必ず死ぬんですから、それまでに悔いのないように生きてます
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死とはこの世から解放され自由になれるのだと思っています。


新しい世界に行けるのだそこに行けば生きていきにくくなんかないと。
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宗教に頼るのが良いかと

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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2021/08/27 23:56

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