A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
> 時の天皇に贈ったものという説はやり過ぎですか。
やり過ぎというよりも、「天皇」って天武の頃に出来た名称です。大王・王という名称なら天武以前にもあったようですが、ヤマト王権の成立は遡っても3世紀です。
近畿にも集落はありました。 紀元前1世紀の集落もあります。
https://irdb.nii.ac.jp/01113/0003981993
https://www.city.osaka-izumi.lg.jp/kakukano/syou …
問題は、志賀島で発見された金印です。
18世紀の発見以前に志賀島にあったこと、鋳造したのは中国で1世紀であることは確かです。 その中国では、同時期に似た金印を作り贈っています。
1981年江蘇省揚州市外で廣陵王璽の金印が出土した。それは58年に広陵王劉荊に下賜されたものであり、字体が漢委奴国王印と似通っていることなどから、2つの金印は同じ工房で作られた可能性が高いとされる。劉荊は光武帝の第9子で山陽王に封じられていましたが、反乱に参画した罪が2度も発覚して58年にはついに劉荊は広陵王に落とされた。 その広陵は、その時代時代で適当に扱われた地です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%99%B5 …
紀元前117年武帝の子の劉胥が広陵王となると、広陵県周囲の数県で広陵国が置かれた。紀元前54年広陵王劉胥が自殺すると、広陵国が廃止され、広陵郡に改められた。紀元前47年劉胥の子の劉覇が広陵王となると、再び広陵国が置かれた。広陵国は王莽のとき江平郡と改められた。後漢が建国されると、広陵郡の称にもどされた。58年山陽王劉荊が広陵王となると、広陵郡は広陵国と改められた。67年広陵王劉荊が自殺すると、広陵国が廃止され、広陵郡に改められた。
> 中国がそんな小国に贈るかね。
謀反・反乱の罪で領国を召し上げ、格下げ移封する者にも廣陵王璽の金印を鋳造して贈ったのが58年の明帝なのですから、57年に光武が奴国からの朝賀使へ贈るのも、まあまあの気分ではないでしょうか。
劉秀=光武は、漢朝を中興した「光」&禍乱を平定した「武」というほど武勇も智力も胆力も策もあるスゴイ人物です。 奴のそれなりの意図があったのでしょう。
《倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬》
倭奴国の使いの者が貢を奉じて光武に朝賀してきた。 使の者は自ら大夫だと言って、(光武のために)倭国は南界を極めたと報告してきたので、光武は、使いの者を通じて倭の国王の印綬を下賜した。
「倭國之極南界也⇒倭國は南界を極わむ」 それは、「光武への奉貢」と共に「光武への重要な報告」です。 光武は、報告内容の真偽のほどはどうでもよくて、「倭國之極南界也」と報告して来た倭の使者に、「それでは、」と「賜以印綬」ったのです。 光武にとっては、朝鮮半島よりも遠方にある地域の権力実態などどうでもよかったでしょう。 「広い範囲から早速朝貢に来ているのだよ」ということを記録に残すようなことの方が大事でしょう。 どのようなものを貢として使いが持っていったのかわかりませんが、56年に光武が建武中元と改元して封禅の儀式を実施した翌年に貢ぎ物を持っていったのですから、相当なものでしょう。 中国の王が朝貢に対する返礼とすれば、金印は相応(朝貢よりも高価なもの)として適当だとしたのでしょう。
それにしても、58年に下賜したものが、志賀島にあったというのは、面白いです。 志賀島には大きな遺跡はないようです。 ということは、下賜された金印を持ち帰る使いのものが❶ここで落としたか、❷猫ばばしてここに隠したのか、❸奴の国の大王のような者が受け取ったけれどもその後100年ほど後の2世紀か3世紀に倭や奴で内乱や勢力争いで負けて金印を持って敗走し志賀島に逃げて一時のつもりで金印を埋めて隠したが結果的に滅ぼされてそのままになったのか、そういうことでしょう。
きっと、❸なのでしょう。 金印を隠したのが2~3世紀であるならば、逃走行軍でも追討行軍でも、せいぜい100km、200kmでしょう。 岡山や大坂、奈良などから逃げて行くのには志賀島は遠すぎです。 たぶん、九州の北部の範囲での騒乱・勢力争いと逃走・追撃というのが、現実的なのではないでしょうか。
この回答へのお礼
お礼日時:2021/09/19 21:54
「天皇」って天武の頃に出来た名称です。大王・王という名称なら天武以前にもあったようですが、ヤマト王権の成立は遡っても3世紀です。
近畿にも集落はありました。 紀元前1世紀の集落もあります。
名称は抜きにしましょう。
まあ国を率いて外交相手に出来る国の代表者ですか。
No.4
- 回答日時:
漢委奴國王を、倭の奴の国などと読んでいるのは日本人の勝手な解釈であって、中国では漢〇國王と書くものであるので、漢委奴國王も漢の”委奴”の
國の王という意味、つまり委奴國の王に贈ったものである。再度繰り返すが、これを日本人が勝手にワノナノと読んでいるだけの話。
中国ではその国の一人称を取って〇国と名付けていたので、倭人(日本人)が”ワの”国は~とか”ワの”王が~とか言っていたので、一人称が”ワノ”だと勘違いして委奴國と付けた、それだけの話でしょう。
ちなみに、その国がでかいとか小さいとか、そういうのは中国からしたらどうでも良い話で(大中華帝国からしたらゴミ粒みたいな国なので)、自分を認めて朝貢してきたということが大切。中国皇帝から認められたのだから大国だったに違いないなどというのも、日本人の勝手な妄想でしかない。
No.3
- 回答日時:
奴國は、福岡市・春日市あたりにあった人口数万人程度のムラ。
それでも最初に朝貢したものだから、よい心がけだと大げさに褒められたのでしょう。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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