A 回答 (6件)
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No.1
- 回答日時:
厳密な回答ではないかもしれませんが。
900年代はトルコ、中近東を、セルジュク族が征服、十字軍派遣の原因に。
チンギスハンの息子たち4人は、モスクワ、中近東をそれぞれ分け合った。
部下の一人はインドに攻め入り支配。
その後、チンギスハンの孫は、中国を支配して、元を建てる。
おそらくこのようにして、戦士は世界中に散らばった。
女子供も一緒に帯同したので、モンゴルには、遊牧の民だけが残ったのでしょう?
ちなみに、攻め込むときには、女子供、牛や羊、馬なども一緒に50万人単位で攻め込むので、モンゴルの人口は増えなかったでしょう。
参考に。
No.3
- 回答日時:
遊牧しているからです。
かつては遊牧民は乗馬に長けており
それがそのまま戦闘能力になって
いました。
しかし、遊牧であるがために
科学技術が発達せず、現代戦争に
対応出来なくなったのです。
No.4
- 回答日時:
他国に攻め入り、その民を支配したが幸福感は得られなかった、
そう感じたモンゴル人達が原点に帰ったのだと思います。
自然と共に生きるので生活は豊かでは無いから資産は持ちえない、
資産が無ければ、他国から攻め入られる心配がない、荘子の
考えを実践しているかのようです。
経済、経済的発展の一本槍の、日本の生き方と真逆ですね。
No.5
- 回答日時:
株式会社ベネディクトの「地球歴史観」と言うサイトによると、モンゴル(元朝)が衰退した原因は以下の通り。
第一に、元朝の宮廷内の権力闘争。
重臣たちの出世争い・・・なんてなまやさしいものではなかった。皇帝も巻き込む殺し合いだったのである。反皇帝派の重臣が結託し、皇帝を暗殺し、あらたな皇帝を担ぎ、また殺される。宮廷の総力戦と言っていいだろう。
一枚岩だったのはチンギスハーンの息子の代までで、孫の代からは、皇位継承戦争が常態化していた。
結果、一族の分裂と衰退が始まるわけだ。
じつは、モンゴル帝国の分国は、チンギス ハーンの存命中に始まっている。最終的に・・・
1.オゴデイ・ハン国(中央アジア:13世紀~14世紀)
2.チャガタイ・ハン国(中央アジア:13世紀~17世紀)
3.キプチャク・ハン国(黒海以東のステップ地帯:13世紀~16世紀)
4.イル・ハン国(イラン:13世紀~14世紀)
5.元朝(中国:1271年~1368年)
元朝は1368年に、明の北伐によって、モンゴル高原に追い返された。これが北元である。その後も、北元は明を脅かしたが、1388年、天元帝が殺害され始祖クビライの皇統は断絶した。これをもって、「北元滅亡」としている。
ただし、「分国=骨肉の争い」というわけではない。事実、チンギス ハーンの息子の代は、分国後も兄弟仲が良かった。
ところが、その後、大ハーン争いは加速する。特に元朝で。
数字でみてみよう。
始祖クビライから順帝までの40年間で9人の皇帝が即位している。さらに、ラスト6年に限れば6人!
年に一人のペースで皇帝が殺されていたわけだ。
これでは、中央政府の威令などカエルの面にションベン、なんの効力もない。政府の求心力は低下し、地方の独立がすすみ、反乱勢力が勢いづいてあたりまえ。元朝衰退は必然だったのである。
ではなぜ、元朝の皇位継承はこれほど混乱したのか?
元朝の始祖クビライが、モンゴル帝国の皇位継承の掟(おきて)を破ったから。
モンゴル帝国の大ハーンはクリルタイで選出される、これはチンギス ハーンの代から続く大原則だった。クリルタイとはモンゴルの最高意志決定機関で、王族、部族の首長、重臣で構成される。クビライはこれをないがしろにしたのである。
1260年、クビライはクリルタイで大ハーンに選出された。
じつは、クリルタイの出席者が問題なのだ。全員クビライの支持者だったから。 これではクビライが選ばれてあたりまえ。そこで、クビライの天敵アリクブケもこれにならった。結果、モンゴル帝国は二人の大ハーンが立ったのである。
すぐに内戦が始まった。大ハーン選出の決勝戦は実戦になったわけだ。クビライはこの戦いに勝利したのものの、これ以降、血で血を洗う皇位継承が常態化した。ルールは一度破られると、ルールではなくなるのだ。
元朝衰退の第二の原因は、おカネ。
元朝の財政危機は、100年前の始祖クビライの時代から始まっていた。
まずは戦争のやり過ぎ。
クビライは華北を征服して、元朝を開いたが、それで満足しなかった。1279年、南宋を征服し中国を統一したが、それでも満足しない。その後も侵略戦争は続いた。
・1282年:日本(元寇)、ビルマに派兵
・1284年:安南国(ベトナム)に派兵
・1292年:ジャワに派兵
これではお金がいくらあっても足りない。
元朝の出費は他にもあった。
クリルタイは有名無実になったが、そのかわり、大ハーンの選挙には巨額の賄賂が飛び交った。さらに、民衆をマインドコントロールするため、宗教を手厚く保護した。
たとえば、歴代皇帝は仏教を信仰し、宮廷の仏教行事は年500回を数えた。これでは、財政が破綻するのはあたりまえ。
その凄まじい破綻ぶりは、数字にも表れている。
歳入「400万錠」に対し、歳出は「2000万錠」。なんと5倍!
この圧倒的な大赤字をおぎなうために、塩の専売、臨時増税、賦役の増大が徹底された。もちろん、苦しむのは民衆である。
モンゴルは自給自足の騎馬民族だから、経済にうとかった?
そんなことはない。
モンゴル帝国は交易の重要性を十分に理解していた。事実、シルクロードを整備し、交易と商人を保護したのである。
さらに、史上初めて「紙幣」を本格採用したのも元朝。しかも、現在の米国や日本のように無節操に紙幣を刷りまくったわけではない。発行額を決めて、金との交換を保証した。いわゆる金本位性である。そのため、元の紙幣には高い信用力があった。
ところが、財政が悪化すると、耳元で悪魔がささやいた。
「おカネなんて、刷ればいくらでも作れるじゃん」
結果、
通貨量 >> 商品の量
凄まじいインフレがおこった。14世紀に入ると、荷車に紙幣を満載しても何も買えないほどだった。
元朝衰退の第三の原因は、政府内の汚職。
官位売買が横行し、地方官の汚職もひどかった。しかも、蒙古人、色目人の官僚は、漢人を見ると金品をせびるのだった。
「大官が小官を喰い、小官が民衆を喰う」
そのままである。
これでは、民衆は起義(農民反乱)しかない。
元朝衰退の第四の原因は、治安の悪化。
前述したように、民衆は虐げられ、不満がたまり、爆発寸前だった。そのため、小規模の起義が多発していた。
これにくわえ、1340年以降、盗賊・海賊の掠奪が横行した。大都に送られる官物が奪われるほどだった。ところが、元軍はこれを取り締まることができない。かつて、ユーラシア大陸を席巻したモンゴル軍が、盗賊に負ける?
どーゆーこと?
元朝の時代になると、モンゴル兵は、都会暮らしがつづき、平和に慣れていた。訓練も怠っているから、今さら戦えといわれても、やり方がわからない。さらに、将軍も将校も世襲なのでまるで緊張感がない。かつて、神の子といわれたモンゴル軍は骨抜きになっていたのである。
というわけで、元朝の衰退も、紅巾の乱がおこるのも必然だったのである。
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