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住みたい土地に行きたいから、地元の公務員を辞めて転職するのはおかしいですか?
現在、実家で母親と二人暮し、母は1人だと心細いから行かないで欲しいと泣いていました。
はじめは、自分の意思が固かったので、母は今すぐ死ぬわけじゃないし、私も自分の人生を歩みたいと反発していました。
しかし、時間が経つにつれて母を悲しませてまで転職して、自分のいきたい人生を歩むことは本当に大丈夫なのか不安になっています。
職場にはすでに辞めることは言っており、皆応援してくれています。とてもホワイトな職場なので正直やめて民間に行くことは不安もあります。でも田舎で一生終えたくない、自分も都会で挑戦したい、若いうちしかできないという願望と葛藤しています。
私の考えは甘いのでしょうか。

A 回答 (5件)

私はプロファイルに公開しているような年寄です。


私も移住した身の者です。
その意味ではあなたと同じようなものです。

しかし、私は『住む場所を変える』こと自体は目的ではありませんでした。
私には『したいこと』があり、その目的を達成するためにいろいろした経緯の中で『移住』もしていたにすぎません。

では『したいこと』とは何だったか。
それは、私自身が持つ、知識、アイディア、ウデ・ワザ、を磨き使ってみたかったことです。

私は小さいころから電気の工作が好きでした。
小学校の頃からはじめ、捨てられたテレビやラジオを拾ってきては分解し、部品を集めてはいろいろ自作してました。
例えば、オーディオアンプやアマチュア無線の受信機や送信機なんかです。

そして大学に進んだ時、アメリカの先端技術の教科書に出会いました。
半導体・コンピュータ・信号処理などのもので、素晴らしい内容でした。
図表や写真をふんだんに使い、細かなデータや事例なども事細かく示しており、こんなところまで惜しげもなく開け広げて教えてくれるんだとアメリカの太っ腹に、英語が苦手な私でも大いに驚き感激したものです。
それを契機に、私はアメリカでこんな勉強をし、この仕事がしたいという具体的な目的・目標を持ちました。

しかし、ふたつ問題がありました。
ひとつは、そんな専門分野をアメリカ並みに教えてくれる大学もありませんでしたし、アメリカに行くなどと言うことも当時の世界では夢のようなものでしかありませんでした。

当時のアメリカは、あなたのように行きたいと思ったら行けるというものではありませんでした。
為替レートは 250 円前後、格安航空券だのビザなし渡航などと言うのは言葉さえない時代でしたから。

なので、勉強は独学でやる、アメリカへは私を派遣してくれそうな会社に就職する、ということで臨むことにしました。
最初の就職先では独学したことのいくらかは使うことは出来ましたが、アメリカに派遣される機会は望めそうにありませんでした。
なので、当時は珍しかった転職もして可能性を高める試みをしました。

そこでも独学の成果は使え、知識やウデはそれなりに評価されるようになって来て、ある日その時の会社がアメリカの機関と始めることになったある技術の研究開発事業のチームの一員として駐在派遣される機会を得ました。

その技術は私が独学で覚えて得意とする技術とは接点さえありませんでしたが、アメリカに行くという一つの目標は達成させることにはなりました。

その後のある日、アメリカ側の仲間の手下が困りごとを抱えているという事を聞きつけました。
彼は我々とは無関係のプロジェクトの人で、彼が開発を担当する部分に解決できない課題があると言います。
詳しく聞いて見れば、私が独学したもので対応できそうなものでした。

しかし、その技術を私は実際に使ったことはありませんでした。
技術とは理屈以外に、実用化するには解決しなければいけない課題がいくつもあるもので、その全てに最適な工夫を用意できないと実現は出来ません。
ただ、私もモノづくりには自信がありましたから、どんな工夫をいれればいいかはだいたいわかっていました。

なので、いくつかの解決しないといけない要素はあるが、それでなら対応できると思うの正直に伝え、それでやって欲しいかどうかを打診しました。
彼は自分に解決できる選択肢を持っていなかったので、そこは渡りに船で私に賭けてくれることになりました。
そして、私としては本来の仕事ではないので、あくまでも仕事を終えた後の私的な時間で自宅で作業するということで対応をはじめました。

具体的な仕事は、ひとつの特殊な計測システムを構築するというもので、それ自身結構な設計ボリュームのものでしたが、そこに『広い温度範囲』『大きな衝撃に耐える』『信頼性』『安全性』『狭い複雑な形の空間にすべてを押し込まないといけない』などと要件もテンコ盛り。
何をすればそれらを満足できるかは知っていましたが、ともかくやらなければいけないことが多いのには閉口したもんです。

ということで時間もお金も予想より多くかかってしまいましたが、何とか期待する機能・性能のものの開発は完了させることが出来ました。

何かを作ってあげるという私の趣味の世界ではいつもこうで、ここから先は好きなように楽しんでくださいとしてきました。
その時もそうでした、私がするのはそこまで。
風のうわさに、プロジェクトがいい結果を出せたと聞き、まずは良かったと思ったもんでした。

普通なら話はこれで終わりですが、ここにこの話を紹介するのは後日談があるからです。

そんな開発をしたことなんかすっかり忘れた頃、仲間の手下君が私のところにやって来て、会わせたい人が居るからと連れて行かれました。
付いて行ったところは偉い人の部屋のようで、そこにはその偉い人と私の仲間が居ました。
用向きを尋ねると、私が手伝ってあげた開発によってとてもいい結果を出せたことへの例を言いたいのだという事でした。

そこで話したりした内容は覚えていませんが、ひとつだけよく覚えていることがあります。
偉い人が『日本の会社の顔色など気にすることなく、好きなだけアメリカで暮らせるようにしてあげる』というご褒美をくれるとのことでした。
それは、私は仲間とよくアメリカで勉強したい・仕事をしたいと話していたことを聞いていた結果のことのようでした。
それから先、そして今の私はそれであります。

この話で言いたいことは、『~に行きたい』と『行く』ことを目的にしてもダメだということです。
行くなら行くで、行った先で成功するためのネタは行く前から仕込み、それを使うチャンスを探すようでなければ、いい結果には結び付きません。

『都会に行けば何かはあるだろう』という安易な気持ちは『都会に行っても何もできなかった、私にできることは何もなかった』となるのがオチです。

また、人を頼ってはいけません。
誰かに紹介してもらえるなんて言うのです。
まずは、自分に能力を植え付けることです。
あなたにしかわからないあなたの適性・能力・得意ワザを磨き、場合によっては私の独学のように、まずは武器を持つことです。
それは『他の人がやらないこと』『やれないこと』『他の人よりうまくできること』でなければいけません。
そうでなければ、飲食店やコンビニの店員でバイトするだけの世界になりかねません。
それでいいんなら都会に出る必要なんかありません。

都会に出て『挑戦したいこと』とはそんなことでないといけません。
都会には『適性・能力・得意ワザ』がないのばかりと言って良いです。
それでいいんなら都会に出る必要なんかありません。
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>住みたい土地に行きたいから



理由がこれだけなら、考えが浅いかな?とは思います。
ですが、若いうちに挑戦することは良いことだと思います。


貴方が若いなら、お母さまもそれなりに若いだろうと想像します。
お母さまが60代半ばくらいになった時には、故郷に帰ろうか?お母さまを呼ぼうか?真剣に考えなければいけないと思います。
また、70を超えたら実行すべき頃だと思います。

もちろん、お母さまの健康状態にもよりますが、それまでは好きに挑戦すべきだと思いますが「都会に住みたい」なんて浅い理由では無く、将来の夢やビジョンを持つべきだと思うし、その結果が「都会に行く必要がある」と結論付ける事が出来れば、お母さまの理解も得やすのではないでしょうか?
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ウチの母親は 子供が巣立った後 30年近く一人暮らしでした


それだからと言って 何も起こりませんでした。近所の主婦仲間や親戚と交流しながら 気楽に暮らしていましたよ
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普通の話だと思います。


人生は、思っているより、はるかに短いものです。
迷っている間に、すぐ行動・実行・・しましょう!
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別に、どこも、毎年いるよ

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