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1人の時間が必要なのは、なぜなのでしょうか?

人間は大昔から群れの中で生きてきて、日本人は特に村社会で生きてきて、周囲の人との関わりが重要だったと思います。
そうすると、生物の生存本能として考えると、1人になるというのは、命の危険があったと思います。

それなのに、ずっと1人の時間がなかったら、ストレスがたまる理由がわかりません。

詳しい方いらっしゃったら教えてください。

質問者からの補足コメント

  • 1人の時間を大切にすることを否定したいわけではありません。
    私自身、1人の時間がないとストレスが溜まります。
    だから、なぜ自分がそういった気持ちになるのか、シンプルに気になったので、質問させていただきました。

      補足日時:2022/01/14 12:32

A 回答 (8件)

人間は、生物的には集団で生活する事で発展してきた動物ですが、


ここ近年は、知的生物として更に変化しだし、核家族化も進み、個が重視されてきましたし、個性が重要視されてきました。

少子化とかで、生まれた時から一人部屋だと、それが日常の平穏や慣れになるので、
1人の時間が重要になるでしょうし、
1人の方が、個性も育まれると思います。

まあ、治安が良いからこそもありますが、1人で楽しめる/安らげる社会や文化が増えたからでしょうね。

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ストレスが溜まった場合だって、みんなで騒ぐ方が良い場合もあれば、
1人でゆっくり休息を取った方が良い場合もあります。

私は、集団で居る時は、ハイテンションになるし、
1人の時には落ち着いて癒やされる事になるし、
脳内ホルモンの分泌においても、アドレナリンでの興奮も、セラトニンによる安らぎも両方が幸福なので、両方味わいたいです。

個人的には、実家に居た10代の頃は、早く独立したかったのですが、
いざ1人になると、寂しい事もありましたね。
つまり、無いものねだりで、
両方あるパターン(集団や仲間との生活と、1人で居る時間)が、それぞれ両方で過ごせる選択肢がある方が幸せなのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとう

たしかにそうですね!
育ってきた環境からの影響はあるかもしれません。
それに、たくさんの人といる時間も1人の時間も両方にいいところがあるというのも納得です。
私もどちらも大事にしたいと思いました。

お礼日時:2022/01/15 19:56

> なぜ自分がそういった気持ちになるのか、シンプルに気になったので、質問させていただきました。



興味深いテーマだと思います。 私は独りになってもそれでストレスが溜まるという経験をした記憶がないです。 また、みんなといるということがストレスになった経験もないです。 ただ、おならをしたい、排便したいなどの生理的?状況が生じたときに、家族でない人との空間にいるときには、ストレス?的な困難、苦痛?を感じます。
ネットで次のものを見つけました。
https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/029758.h …
① ヒトを対象とした研究により、ストレスに対する脆弱性は遺伝的背景や過去のストレス経験などが原因であることが分かっています。
② 「ストレスがどのように前頭前野の自己制御領域を変化させるのか」についてはまだよく分かっていません。 「なぜ脳が最も高度な認知機能を弱めるようなメカニズムをもっているのか」という疑問についても未だ答えは得られていません。
③ 脳のストレス応答を明らかにすることは、生物学的に興味深い課題であると同時に、脳の働きを正常に保つ方法の開発に役立つでしょう。例えば、避難訓練は生き残りに必要な反射的な反応を脳に教え込むことであると考えることが出来ます。心理的制御の感覚を一度習得すると、ストレスを感じた際に動揺しなくなるでしょう。そして、人前で話すことが快いものになれば、聴衆の前で自信満々でいられます。
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江戸時代の江戸や大坂の大きな店などでは奉公人が住み込みでたくさん働いて独り時間などなかったのだろうと思います。 住み込みではない庶民の多くは長屋に住んでいました。 独りでいる空間や時間はないでしょう。
https://edo-g.com/blog/2016/03/nagaya.html
そしておそらく現代でも有遊牧民は集団でいて独り時間というのは基本的にはないのだと思います。(馬に乗って走っているときは独りだという話しはなしです)  もちろん、広い平原ですから数百メートル離れるというのは問題ない行動でしょうが、そんなことはしてないと思います。 海辺で独り沖を眺めてということもないわけではないでしょうが、釣りや旅行で、いろいろ行ってもそういう人を見ることはほとんど記憶にないです。 ただ広大な無人の広がりがあるというのがほとんどです。

たぶん、周囲に人がいることそれ自体をストレスに感じてしまうような生物遺伝的形質も、成長発達の過程での経験ををすることも、《基本的にはない》のが、人類の社会の長い長い期間だと、私は思います。
人間が互いに関係し合えば、上手くいくときも、こじれるときも、快活になれるときも、落ち着くときも、怒りを生じるときも、慰められるときも、なんと言うこともないままのときも、あれこれ混ざり合う、いろんなときがあるというのを身にしみて経験するので、「人がいることそれ自体をストレスに感じる」ようなことにはならない、なり得ないのだと思います。

PTSDというのがあります。 Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害だそうですが、同じ経験をした10人の中で、PTSDになる人は、おそらく1人にはならないでしょう。(なお、ベトナム戦争帰還兵を調べたら4人に1人、イラク戦争帰還兵では8人に1人がPTSDでという話しもあります) 人数比はともかく、ならない人の方が圧倒的に多いのです。 でも、PTSDになる人がいる、失恋や解雇の経験、死別の経験、大恥をかいた経験、いじめられた経験などが尾を曳く人がそれなりにいることだけは間違いはないです。 そういう自分自身の経験だけでなく、映画や劇やアニメや小説あるいは、「健康相談・メンタルヘルスの話題」など氾濫する情報を見聞きして、「自分に起きたらヤダ、恐ろしい、起きて欲しくない ⇒ 人間は恐ろしいもの」のような思考の癖・偏りをもってしまうこともあります。 
耳年増【みみどしま】=(まだ若くて経験もないのに、聞きかじりの知識だけは多いこと。性などについての聞きかじりの知識が豊富な若い者。ちょっとしたことでも想像力たくましくいろいろ思って、赤くなったり、恥ずかしがったり、「わぁ」と騒いだり、勝手に盛り上がってやる気満々になったりにいう)
昭和から平成になり、あらゆる種類の情報が氾濫し、だれでも容易に大量にそれを受けるようになっています。 たぶん、1980年以降だと、「メンタルの不全、うつ、ストレス、人間関係のこじれ、難しさ」の情報に毎週何度も接する人が急増しているのだと思います。 そうなると、耳年増の類似のようなもので、「私がならないように、ストレスには気をつけて、ストレスを溜めないように、ストレスに強くなるにはどうする」を頻繁に考える状況になってしまう人が急増する事態になるのだと思います。 1960年代くらいまでだと、そのような情報氾濫はなくて、むしろ、成功・出世・金・エンジョイの方向の話題や情報が多かったので、病気や怪我、事故、失敗、落後などがあっても、そんなの気にしてないで頑張っちゃえという志向性に脳がいっていたのだと思います。
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ストレス、メンタルヘルス、休息・リラックス、人間関係の緊張からの解放のような情報が世の中に氾濫し、だれもがそれを容易に頻繁に見聞きするような世の中に変わったことが、「独りの時間が大切」というメッセージを増やし、それにも影響されているのでしょう。

③ 脳のストレス応答を明らかにすることは、生物学的に興味深い課題であると同時に、脳の働きを正常に保つ方法の開発に役立つでしょう。例えば、避難訓練は生き残りに必要な反射的な反応を脳に教え込むことであると考えることが出来ます。心理的制御の感覚を一度習得すると、ストレスを感じた際に動揺しなくなるでしょう。そして、人前で話すことが快いものになれば、聴衆の前で自信満々でいられます。
 
❸ 社会で得る情報の中で、「人間関係の対処・人間関係のストレス・ストレスからの解放の方法」などの量や質が大幅に増えて、それに頻繁に接する状況になったことが、ストレスに過剰に敏感になり、回避行動としてリラックスタイム、独り時間の重要性を過剰に学習してしまった。

③を❸のように理解できる気がします。
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この回答へのお礼

ありがとう

「1人の時間が必要」というのは、誰にも共通する先天的なものじゃなく、いろいろな情報から得た後天的な反射みたいなものということでしょうか?
そうかもしれませんね!
そんなふうに考えたことはなかったので、驚きました!

お礼日時:2022/01/14 18:59

人間は社会的動物です。



社会で育たなかった人間は
二足歩行すら出来ません。

人間は、この社会を作ることにより
自然の脅威から逃れ
文化文明を発達させることが出来ました。

反面、人間は、人間同士の軋轢に
悩み苦しむようになります。

得るモノあれば、失うモノ有り。

ストレスの大半は人間関係に起因
しています。

だから、時には独りになる時間が
必要になるのです。




生物の生存本能として考えると、1人になるというのは、
命の危険があったと思います。
 ↑
人間は、本能の一部が壊れた
動物なのです。

人間は社会を作り、家屋に閉じこもる
ことにより、生命の危険から脱する
ことが出来ました。
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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど
人間が群れて、家を作って他の動物に襲われなくなったら、今度は人間同士の問題が出てきたということですね。

お礼日時:2022/01/14 18:21

同じことをしているとおなじ脳領域ばかり使います


おなじところばかり、つっかっていれば疲労してそれがストレスに感じるのも当たり前
人とずっと一緒にいれば同じ脳領域を使って疲労してくるというわけです

また、人間はこころに生命エネルギーを受け入れる第一関門があります。
心が落ち着いているときの方がこのエネルギーの受け入れ量が多くなり
無念無想だとか、本当にぐっすり眠っているときにMAXになります
反対に心が波立っているときは、エネルギーを十分に受け入れることができません。
さて、こころの修養が十二分に積めた人なら、自在に心をコントロールして
いつでもどこでも深い落ち着きを得る(または無念無想、もしくは一瞬にして数分くらいの深い睡眠をとる)という事もできるようです
でも、凡人はそうはいきませんよね(私はそうはいきません)
そうすると、人といればどうしても心に波風が立ってくる時間ができます
→生命エネルギーの不足につながる→補うために落ち着きたい→一人になりたい
という事なのかもしれませんね
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この回答へのお礼

ありがとう

たしかに!
睡眠をとっているときは無防備で、捕食される確率が上がるのに、それでも体や脳を休めるために眠るのと似ているかもしれませんね!

お礼日時:2022/01/14 18:24

インデペンデンスとしつの、自己のアイデンティティを再確認する為ですッ!

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仏教では、昔から「瞑想」を大切にします。



人は社会生活の流動性の中で生きています。ずっと流動の中にいると、自分を見失ってしまいます。

だから、デフォルトの「素の自分」に戻るための一人の時間が必要なのです。

パソコンですら、時々再起動が必要であるように。
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集団生活とプライベートな時間というのは


この場合は関係はないでしょう

あなたのいう一人の時間というのは
一生ではありません

何時間一人でいたいのですか?

数時間一人でいるのと
集団生活とでは
規模が違いすぎます
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動物は、人間のように独り部屋の中に閉じこもる事はしませんが、しかし休憩中は各個体でパーソナル空間みたいなのを持ってて仲間同士でも迂闊に立ち入ると怒られます。



なので壁が有るか無いかの違いはあるものの似たり寄ったりだと思います。
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