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精神病になる人ならない人の違いはなんですか??

A 回答 (21件中1~10件)

仏教にその答えが書いてあります。

心が苦しくなる原因は当の本人の中に存在している、その事が分からない事を『自分の心を理解出来ていない=無明の故』としています。

そうして苦行や、修行の果てに安楽になる方法を発見しました。それが『一切皆苦』から出発をした釈迦の学びの結論です。

一切皆苦とは『精神疾患』と云っても良いと思います。苦などを意識する間中『意識地獄』に入っているからです。

そして、心を癒す究極的な精神的な心理学を発見した事を意味します。

精神疾患の原因は不安感とか恐怖感と云っても良いかも知れませんが、何に対してかと云うと『人生とか生きるとか死に対しての』恐怖感と云っても良いかも知れません。

人生最大の苦難に怯える事で、不安感や恐怖感が生じています。この事を『無明の故』と喝破した上に、その苦しみから抜け出す方法でさえも編み出した事は、後の人間にとっては、大変な功徳或いは貢献と云っても良いと思います。

何に対して無知だったのかを説明します。それは自分の心の中に不安感とか恐怖感の原因が存在している事に関して無知だった事を意味しています。

誰の心の中にもそう云った、怖がらせている者や不安を感じさせている者は存在しています。それは脳の構造或いは脳の機能から説明可能です。

人間の脳の構造です、もう昔の文献ですが、この分野の研究があまり進まない様ですので、古い文献を紹介する他にない事が少し残念です。

ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この事実を、自分の体験(脳卒中)を通しての実感として語っている動画を載せてみたいと思います。URL

この動画が示しているものは、人間には『意識する自分と、無意識を支配している自分』が二人存在している事を意味しています。

この二つの意識、言い換えるなら左右の脳の機能は、其々独自なものがある様です。この独自の機能を知らないで、自分が出来ると錯覚をしてしまう場合に、神経症の様々な症状が出る様です。

もう一言説明するなら、人間の不安とか苦しみの原因は、心の矛盾や心の対立や分裂と云っても良いですが、自意識VS自身の無意識の事です。

漠然とした不安感などを発信している相手が右脳の機能(無意識の自分)という事を意味します。

仏教での『無明』という意味は今書いた内容の事です。

この無明の闇を晴らすという意味が、悟りを開くという意味ですが、先の動画に於いての、女史が自身の無意識の機能と出会う体験の事です。

人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?を学ぶための教科書的なものが、我が日本には存在しています。それは禅と呼ばれているものです。

インドで生まれて、中国に渡り中国で発展して、日本に伝わったようですが、今は日本にだけ存在していると、鈴木大拙博士(1870年11月11日〈明治3年10月18日〉生まれ - 1966年〈昭和41年〉7月12日)没)―禅をヨーロッパやアメリカに英語で紹介した禅仏教学者が著書に書いています。

禅を学ぶなら鈴木大拙博士の著書が大変参考になると思います。その理由は
25歳頃鎌倉の円覚寺にて、見性体験が合ったからです。

書いた文章に、無駄がなく強調すべきところはしっかりと強調しているからです。

禅では右脳の人格の事を『それ』と表現しています。それは思春期頃までは『自意識と一体の者として活動しています。』

思春期頃、左右の脳の機能分化が完成に近くなる頃、二つに分かれてしまって、”それ”は無意識の底に隠れてしまって、自意識の背後から指示を出すようになってきます。

一番の印は『罪悪感』と呼ばれるものです、是は得体の知れない、又何処から押し寄せてくるのか訳のの分からない感覚の事です。この感覚が『それからの情報です』

昔なら宗教家の元に行って、懺悔したかも知れない感覚です。今の世では精神科医の元に行って、薬を処方してもらう原因になっている感覚です。

こう云った場合での『何故人間の心が苦しくなるのか?』の原因と対策を当の心を癒す役目の人達=精神科医達が学ぶ事無く、精神医療の現場に放り込まれている事で、精神科医達の自殺率は、他の科目の医師達と比較した場合では、ダントツの一位をキープしている現実がある様です。

”それ”は高い処の情報でも、低い処の情報でも、狭い処の情報でも、人に会った印象でも、何でもかんでも自我意識に脳梁を介して、言葉に拠らない情報として、怖さとか不安とかと一緒の情報として送っています。

この場合で、その情報を送る者とその情報を共に恐れる場合を『恐怖症』と云っています。高い処の情報なら高所恐怖症と云う具合です。

人に会った時の印象と云った情報なら『対人恐怖症』という症状として現れています。

長くなりましたので終わりにしたいと思います。

死を怖く思うという意味を、お話しして終わりにします。死を想う時、恐く感じてしまう現象は、”それ”と共にそれが伝えたいとしている情報を、無視していたり、着信拒否をしています。

”それ”は別名で仏性と云う名が付いています。死を本当に目前とした場合では『笑いながら死んでゆく場面が在ります。』是は動画にも在った通りになっています。

釈迦が言った、涅槃という意味です。心が静まり返っていて、死でさえも覆す事が出来ない幸福な心の状態を指しています。

苦しみの原因とは、”それ”の存在すら信じる事が出来なくて、『救いの手を遮っていた状態』を意味していました。

禅の本の中で語られている事は、一回でもそう云った体験があった場合では『絶対肯定』という足場に立っている事を意味しています。その事を『絶対の安心』或は『生死の問題が解決した』と表現しています。

高僧が死を怖がらなくなった事と同一です。

精神疾患の大元には『死に対しての恐怖感』が存在しているからです。
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どんなことがあっても、自分で自分を正当化できるか否か、かな……。

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医者の診断しだいで


精神病だと診断されたら精神病であって
精神病だと診断されなかったら精神病ではない

てのが、今の世の中のルールですよ

てなことだと

医者に観てもらうほど、生きにくさを感じたら精神病なのかもね

生きにくさを感じても、それなりに生きていけてるなら
精神病てなはなしよりも、個性的な人や変わった人てな話で済んでて

そもそもの精神病ってのも
自傷行為や他者に暴力的であったりと
色々あるからねぇ~

他人に暴力的であっても
精神病を疑われるよりも、犯罪者として警察に捕まるだけでね

犯罪者をすべて精神病鑑定しないのは

そもそもの精神病なんてな考え方もあやふやなのかも知れないですもんね
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呑気にのんびり生きているか、そうでないか?の違いだけの話だね‼️ヾ(*´Д`*)ノ

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確実に遺伝

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精神的に弱いか強いか


現実逃避が上手いか下手か
ストレス発散が上手いか下手か
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真面目すぎる人だと思います。



ふざけすぎは周りを悪くしますが、真面目すぎは自分を悪くするような気がしました。
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心の逃げ場があるかどうか。



それは趣味でも睡眠でも考え方でも。

『どうにかなるさ』と思える人は精神的に病みにくいように思います。
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遺伝と育った環境でしょう。


青がみんな同じ色に見えているとは限らないのと同じ。
多くは遺伝子で決まっている。
愛情不足は後付の理由に過ぎない。
あと完治するような鬱病は軽い場合が多く、外部的原因ありきの場合は遺伝子が元ではない。
仕事を辞めたりすればよくなる。
遺伝的な鬱は寛解すれども、完治する事はない。
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上手に「他責(自分以外の責任にすること)」にできる方は精神病になりにくいですね。

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