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皇室の伝統が古代から現代まで一度も絶えることなく連綿と続いているのはなぜだと思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

その時々の権力者が、天皇家を潰すのを面倒くさがったからですね。


天皇家を潰して名実ともに日本の統治者になる道を選ぶと、いろいろ反発も起こる。だったら適当に飼い殺ししながら利用する方がラクでいいかー、って思ったんでしょうね。
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「続いている」のではなく、「続けさせた」でしょうね。


権力者にしてみたら断絶させたら批難食らいそうですし、むしろ権威はあるので使わないと損です。
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皇室の歴史は、日本の歴史です。

皇室が成立したから日本という国は成立しました。国民が敬愛してきたから皇室も続いた。皇室が続いたから日本という国も続いた。非常に単純な歴史です。これほど単純な歴史を持つ国は、世界に類例がないです。鎌倉時代・室町時代・江戸時代は、武士の世と言われているけど、そうじゃない。どの将軍も天皇の信任を得たからこそ、統治をまかされたのです。室町時代は、後醍醐天皇が支持してくれないから、室町幕府支持の北朝を、わざわざ立てました。平将門は新皇を自称したが朝敵となって討たれました。現代に至るまで天皇の信任を得ずに日本を統治した権力者はいない。
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時の政権に都合がいいから 利用価値ある

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一番大きな理由は「異民族支配を受けなかったから」です。



だから日本の歴史上、皇室が廃絶させられる可能性があったのはGHQによる占領統治時期だけです。

ただ、異民族統治がないから皇室がずっと続いたというわけではなく、日本国内で皇室が「権威」になったことが現代まで継続した理由です。

これとほぼ同じ理由で継続しているのがキリスト教のローマ教皇で、教皇がなぜ現代まで生き残っているかというと「近隣諸国王の叙任権をもっていたから」です。

つまり、国王が新しく戴冠するには教皇の許可が必要で「戴冠」は神の許しを得て教皇の手で新国王の頭に冠を乗せることなのです。

日本の戦国時代を振り返ってもらうとわかりやすいのですが、戦国時代の覇者とは「京に上って、天皇から征夷大将軍の許可をもらうこと」であったわけで、天皇が誰かに許可を出したのに、それに逆らうのは「国賊」になってしまうからみんな従ったのです。

これが異民族戦争だったら、力づくで「降参します。あなたの支配を受け入れます」とならない限り戦争は続くわけですが、日本は「天皇が〇〇に将軍を任せた」というだけで、日本国中の武士たちがそれに従ったわけです。

戦争をするにしても、日本全国の大名を武力で支配する必要はないので、皇室は「権威」として生き残り、皇室の伝統も残ったわけです。

ちなみに現在の国会も「衆議院選挙」という、武力は使わない戦国時代並みの国内闘争で勝った陣営の大将に対して天皇が「内閣総理大臣を任命する」と政治運営の許可を与えるので、鎌倉時代の将軍の勅許とやっていることは全く同じです。
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現憲法では天皇を「象徴」と位置付けているが、古くは藤原不比等による律令制の完成によって、太政大臣または左大臣など天皇を輔弼する者が実権を握る体制となり、それが摂関政治や院政、征夷大将軍による幕府政治へとつながっている。


つまり、藤原不比等が表に出始めたのは持統天皇の時代だが、持統天皇の崩御後は、いくつか例外はあるものの、ほとんどの天皇が事実上の「象徴」と化していたことになる。

藤原不比等は何事もトップには出ずに隠れており、生前は右大臣が最高位だったが(不比等が右大臣の時は長屋王が左大臣)、死後に太政大臣を贈られたことでわかるように、実質的には最高権力者であったことは間違いない。

不比等の意図としては、藤原家が天皇家の外戚として子々孫々が事実上の№1として栄えるように律令体制を仕組んだということだろう。

しかし、藤原家以外の実権を握りたいものにとっても、天皇家に成り代わるよりも、天皇を実権のない象徴として国家体制を維持したまま、実権を奪うほうが遥かに楽だ。おそらく天皇家を抹殺して自分が天皇の代わりになろうとすれば、激しい戦いを延々と繰り広げなくてはならないだろう。

これは、いわゆる「居抜き」だ。店を作る場合、どこかの店の内装や設備をそのまま使ったほうが、新築したり造り直すよりも遥かに簡単で安上がりだ。それと同じ理屈だ。

秀吉のような貧民上がりの人物でも、力さえ持ち、天皇の権威を借りることが出来れば、天皇家を抹殺しようとしない限り、比較的簡単に関白家という高貴な身分になれたのだ。
事実上の№1として国を動かしたいものにとっては、こんな便利で楽な制度はない。だから皇室の伝統が古代から現代まで一度も絶えることなく連綿と続いたのだろう。
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1,島国で、異民族支配が無かったから。



2,天皇てのは、日本独自の宗教である神道の
 親分です。 
 そして、総ての日本人に先祖を遡れば
 天皇に行き着く、という物語がありました。
 だから、昔の人はなんとなく畏れ多い
 と感じていたのです。

3,途中から天皇は実権を持たなくなります。
 それで滅ぼすよりも、利用しよう、という
 力が働いたのです。

 西洋では、権力の淵源は神にありました。
 王の地位は神から与えられた、ということになって
 おり、そうやって人々を納得させていたのです。
 
 日本ではそれを天皇にしたわけです。 
 将軍の地位は天皇から与えられた。 
 これが権力の源泉になったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/04/24 14:59

千年以上、「君臨すれど統治せず」でしたから、実質的な権力者にとっては使いやすい権威付けです。


で、建武の中興のようなそれに逆行するような事態では、武家側は傀儡を建てて断固たる姿勢を取りながら、皇統は南朝であるかのような建前を採用し、明治維新でもそれを再確認している。

何回か怪しいのがあると指摘する歴史研究者もいますね。
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1.男系による天皇家の継承。

(天皇家は婿を取らない決まり)
2.職務として護国安泰を神へ祈祷と職務への国民からの認知。
3.天皇家による武力放棄。(権威のみを保持者)
4.地理的に他国からの侵略が比較的少なかった。
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他国では王朝交代と見做される事例でも「万世一系」という屁理屈で強引に繋いだから。


南北朝時代以降、権力を失い経済的にも自立できなくなった朝廷は、徹底的に強者に阿るという恥も外聞も無い卑屈な態度で食いつないできました。
その卑屈さが、逆に公平な天下人認定機関と見做されるようになり、天下人の愛玩動物として餌を投げ与えられて生き延びたのです。
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