No.11
- 回答日時:
>>日常の中ではこの
迷っているのかもしれませんね。
の「の」は省略して使っている場合もあると思いますが
「迷っているかもしれませんね。」の場合は、「の」による捉え直しがないので、話者による強調がありません。
>>顔が青いのが心配だ。
となると省略できないと思います。
これは慣習的な使い方以外に説明はありますか?
この場合は、慣習的というより「の」による捉え直しで確実な動かぬものとして強調する表現で、他に、
顔が青い「こと」が心配だ。
顔が青い「為」に心配だ。
などの表現になります。また、
雨が降った「の」で中止にします。
本当は行きたかった「の」だが。
電車が遅れた「の」で、遅刻しました。
のように使用します。
なお、
「<形式名詞>と言う誤り」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9824 …
を参照下さい。■
No.12
- 回答日時:
なお、「体言や活用語の連体形などに付いて準体言を作る助詞」という回答の根本的な誤りは、言語、語とは何かが根本的に理解できていない点にあります。
語は実体は音声や文字という物理的な存在でしかなく、それが「体言や活用語の連体形などに付いて準体言を作る」などというのは妄想、言霊という観念論的な迷妄に過ぎません。
語は規範で定められた意義を表すものです。■
No.13
- 回答日時:
#10です。
>顔が青いので心配だ。
の場合には「心配だ」が要因で「の」を使う、ということですか?
:
そのとおりです。
>心配だ、は形容動詞の連用形ですが、このように「の」を使い対象を体言化する必要な言葉はありますか?
:
心配だ、は形容動詞の終止形ですね。
活用形が関係しているわけではなく、「心配する」が目的語(必然的に名詞ですが)をとる他動詞であるため《対象を体言化する必要》がある、ということです。
目的語の他にも、たとえば、
・顔が青いのは体調不良の証拠だ。
などのように「顔が青い」を主語として扱いたいため「顔が青いの」のように体言化して表現する場合もある。
要するに名詞扱いしなければ不自然になるような場合に、「体言や活用語の連体形などに付いて準体言を作る」という用法を持っている格助詞「の」を使うということです。
No.14
- 回答日時:
#10、#13です。
いや、どうも失礼しました。
#10では「心配だ」を他動詞としていましたね。
#13ではそこに触れずに形容動詞の終止形としたのは当方の誤りでした。
申し訳ありません。
この点を指摘されたのだと思いますが、うっかりしていました。
若干釈明が必要と思います。
「が」の本質的意義は主格を表わすことですが、希望・能力・好悪・感情(感覚)などの対象を表わすこともあります。
つまり、「顔が青いのが心配だ」の「が」は主格(主語)を表わすとも言えるし、感情なので対象(目的語)を表わすとも言えるということです。
「顔が青いのが心配だ」の場合、「顔が青いのを心配する気持ちだ」という意味で「顔が青いの」を「心配する」という動詞の「対象(目的語)」と捉えて説明しました。
しかし、ややこしくしてしまった点で不適切だったと思います。
おっしゃるように、「顔が青いの」は「心配だ」という動詞の主語(主格)と捉えるのがわかりやすいですし自然ですね。
お詫びして、修正させていただきます。
No.15
- 回答日時:
少し補足しておきます。
★ 顔が青いのが心配だ。
の「心配だ 」は<形容動詞>とされていますが、正しくは「心配」という属性を表す語+<助動詞>「だ」です。
これを更に強調する場合は、判断辞「な」+抽象名詞「の」を使用し、
★ 顔が青いのが心配なのだ。
になります。この「なの」は、
本当な「の」だ。
雨な「の」が心配だ。
のように使用します。また、格助詞「が」は個別性の認識を表します。
■
No.17
- 回答日時:
色々ともっともらしいことを言い募っている方がいらっしゃいますが、念のため質問者さんにご忠告を一言。
すでに申し上げたように、この方は、
《詭弁を振り回す一方、間違いは決して認めず、わからないことについては今回のように論点をずらすかスルーする》ことが昔から大得意です。
今回の場合、#6お礼欄での質問に対する答える体をとりつつ、実はまったく何も答えていないことにお気づきになっているでしょうか。
#6でお尋ねの骨子は、
「迷っているのかもしれませんね」の「の」は省略できるが、
「顔が青いのが心配だ」の「の」が省略できない理由は何か?
ということですよね?
この点に関してはまったく答えていないことはお分かりになっておられますか?
こういうことはあまり言いたくありませんが、この方は読解力というものが中学生以下です。
おそらく何を質問されたのかも分からないのだと思います。
そのため、#7と#9では関係ない事柄を持ち出すことによって、論点をずらそうと画策しているわけです。
#11ではなんとか答えようとしていますが、上で述べたように何を質問されているのかが理解できないため、頓珍漢なことを並べ立てて質問者さんを煙に巻こうとしている。
これは彼の常套手段。(笑)
《この場合は、慣習的というより「の」による捉え直しで確実な動かぬものとして強調する表現で、》などと言っています。
しかし、
「迷っているかもしれませんね。」のような捉え直しがない表現は可能なのに、なぜ「顔が青いが心配だ」のような捉え直しがない表現はできないのか?
というご質問の要点については完全スルーしている。
読解力が無くてご質問の意味が理解できないのでやむを得ない面もあるのですが、詭弁で誤魔化そうとするのが彼の悪い習性でしてね。
#12や#15でも、【今回のご質問の要点とは】まったく関係のない事柄について述べることで論点をずらし、自らの無能ぶりを覆い隠そうとしているのがよくお分かりでしょう。
難しそうな用語だけは丸暗記しているようで、それを盛んに振り回すため純朴な方は誤魔化されてしまうことも多いですね。
そのコケ脅しに圧倒されて本質を見失わないようにするためには、論理的に彼の言っている内容を検証する姿勢が必要です。
ということで老婆心ながら、この池の水は腐っていることを一応お伝えしておきます。
むろん、飲む飲まないはご本人の意志次第。
No.18
- 回答日時:
「品詞名や呼び方は何でも構わない。
」という品詞区分の意義が全く理解できていない回答があるので、少しくどいのですが、<準体助詞>という誤りについて纏めたものを下記しておきます。まず、<助詞>と<名詞>は学校文法でも付属語と自立語という全く異なる品詞類に区分され、〔実は「準体助詞」と呼んでも「形式名詞」と呼んでも構わないと思います。〕などいうのは品詞区分の意味をなさないというしかない。品詞の定義、区分が全く理解されていないのである。
「なんな【の】でしょうか」の「の」も<形式(抽象)名詞>であり、「な」は連体形の判断辞で、活用の整合性からも「の」が名詞でないと非合理である。
<準体助詞>という名称、区分を生んだのは学校文法の提唱者である橋本進吉である。ここに、形式主義、機能主義的な橋本文法の欠陥と矛盾が露呈している。
いま、<普通名詞>を使い、
(a) 青い【リンゴ】はすっぱく、赤いリンゴはあまい。
(b) 私が干渉した【行為】は、よくなかった。
というところを、初出以後はもっと抽象的に、<形式名詞>を使用し、
(c) 青い【もの】はすっぱく、赤い【もの】はあまい。
(d) 私が干渉した【こと】は、よくなかった。
と表現することも多いし、さらには「もの」と「こと」との段階をも超えてもっと抽象的にとらえて、
(e) 青い【の】はすっぱく、赤い【の】はあまい。
(f) 私が干渉した【の】は、よくなかった。
とどちらも同じ形式の「の」で表現することもしばしば行われている。
対象それ自体のあり方は何ら変化していないのだが、認識がヨリ抽象的ヨリ普遍的になったために、次第にその具体性・特殊性が後にかくれてしまったのであり、その抽象的な概念を表現するために適当な言語規範がつくり出されて「もの」や「こと」が生まれ、ついには「の」が使われることになったのである。
(a)の「リンゴ」や(b)の「行為」ならば、誰でも口をそろえて<名詞>だというに違いない。だとすれば、これらに代って使われる(c)の「もの」や(d)の「こと」も、具体と抽象との違いこそあれ、やはり<名詞>だと考えなければならない。通説も、これを<名詞>と認めて、いまでは<形式名詞>と呼んでいる。(e)(f) の「の」にしても、文法の教科書などに縁のない素朴な人びとなら、これも「もの」や「こと」と同じ性格の語と受け取って、やはり<名詞>だというであろう。極度に抽象的で、対象がどんな実在かよくわからないけれども、客観的なものごとを扱った客体的表現であるぐらい、検討がつくのである。
しかし、多くの学者は、この「の」を「もの」や「こと」に相当する語だと認めながら、しかも<名詞>とは見ていない。その理由の一つは、彼らが<名詞>の本質をその内容にではなく形式や機能の特殊性に求めているところにあり、今一つは、日本語の特徴である<助詞>の中にやはり同じ<形式>の「の」が存在しているところにある。
橋本進吉は、品詞分類の根本的な基準を、自立して文節を構成できるか否かに置いたから、<名詞>は自立して文節を構成できる語だと規定した。「花」は、「花、実ともに美しい。」のように自立した文節になるし、「花を」「花に」「花だ」などのように<助詞><助動詞>が付属してさなざまな文節がつくれる活用のない語であるから、これは<体言>であり<名詞>であるという。
(e)(f)の「の」が、自立して文節を構成できないことはもちろんである。しかも、他方で、同じ「の」は「梅【の】花」「私【の】財産」のような形で多く使われているし、これらは<格助詞>とよぶのがふさわしい。(e)(f)の「の」は、自立して文節を構成できない点で<格助詞>と一致するという事情もあって、これらを<格助詞>の特殊性な使い方だと解釈するのが通説となっていった。
形式主義は語の内容よりも形式を優位に置き、表現主体の認識ではなく語の「かたち」を何よりも重視する。彼らにしても、形式が変わることなしに内容が変わるという歴史的事実は否定しない。「たたむ」という動詞が、そういう性質を持つ実体の名称になって「たたみ」という<名詞>が生まれたというような、語の転成も否定しない。【けれどもこれらは、語が本質的に異なった性格のものに変化したわけではない】。同じ<名詞>としての意味の変化であり、同じ客体的表現いわゆる<詞>としての語の転成である。
橋本は形式主義者であるだけに、「の」を<助詞>と見て、山田孝雄の資格付与節を吟味し克服するどころかこれを忠実に受けついだばかりか、山田とは逆に「の」を格助詞から追放してしまった。こうして橋本は、<体言>につく「の」を<準副体助詞>、他の語についてその語に<体言>の資格を付与する「の」を<準体助詞>と区別するのである。
『国語法研究』は、橋本の形式主義およびそれを補強するための機能主義を読みとるのにふさわしい。「の」は形式的に<助詞>であるけれども、「赤い【の】を見せる。」「死ぬ【の】は困る。」などを考えてみると、これらの「の」は「他の語について或る意味をを加えて、全体として体言と同じ機能を持ったものを作るもの」と思われてくる。<助詞>は橋本文法では<辞>とよばれ付属語とされているのだが、【これらの「の」は他の語につくことで全体が、<詞>すなわち自立語と同一の機能を持つものになる】、と説明する。「の」それ自体は<体言>ではないが、これが他の語につくと「の」をふくめた全体が<体言>の資格を持つことになると見て、これを「準用」と名づけた。「語が或る品詞の資格を得て、その品詞と同等に用いられる事をその品詞に準用せられたものと見るならば、その資格を与えるこれらの各種の辞を準用辞又は準用助詞と総称してよかろうと思う。」先の例でいえば、<助詞>「の」は用言「赤い」「死ぬ」に特殊な資格・特殊な機能を与えるわけであって、「赤いの」「死ぬの」全体が<体言>機能を獲得する。それゆえ「の」はここでは<準体助詞>とよばれることになる。
ここでは、「赤いの」「死ぬの」という、連体形「赤い」「死ぬ」と形式(抽象)名詞「の」との活用の関係は無視されることになる。文法の持つ論理性をこのような機能論では捉えらえないことになる。
また、「の」はすべて<助詞>とされ、その中に<格助詞><準体助詞><終助詞>を区別する。(f)の「の」は、<準体助詞>で、「これ欲しい【の】」 のように文の終わりに使われる「の」は終助詞である。これが「のか」「のさ」「のね」「よね」「のよ」などの形をとるときにも、一語として扱うのが普通であるが、これらは語とは何かが理解できない誤りである。
詳しくは、
三浦つとむ『日本語の文法』(勁草書房:1975.7)
「第三章 日本語の<形式名詞>―「の」とその使いかた」の「三 橋本文法は「の」を<準体助詞>と解釈する」を参照下さい。■
No.19
- 回答日時:
#17ですが、#18の方のご回答を拝見して再度おじゃまします。
>「品詞名や呼び方は何でも構わない。」という品詞区分の意義が全く理解できていない回答があるので、少しくどいのですが、<準体助詞>という誤りについて纏めたものを下記しておきます。
:
<準体助詞>という表現は誤りだというご見解のようですが、それは個人のご自由でしょう。
<抽象名詞>と呼びたければ、そう呼べばいいだけの話。
「品詞名や呼び方は何でも構わない。」と申し上げているように、そう呼ぶことに反対しているわけではないので。
ただ、色々と御託を並べているようですが、論点を把握しておられるのでしょうか???
つまり、質問者さんは何を知りたがっているのか?
ということを、あなたは理解していますか?
ということです。
<準体助詞>という誤りについて纏めたければ、それも結構ですが、その前にまず質問に答えましょうよ。
<準体助詞>と呼ぶべきか<抽象名詞>と呼ぶべきかは、また別の問題ですよね?
論点をずらすことで自らの無知を糊塗しようとする手法は、すでに見透かされていますぞ?
ご質問の論旨は以下のとおりです。
(答えられるなら)答えてみましょう。
(答えられないなら)わかりません、と明記しましょう。
あれこれ詭弁で誤魔化したり、論点をずらして逃げようとするのはおやめになったほうがよろしい。
(論旨)
「迷っているのかもしれませんね」の「の」は省略できるが、
「顔が青いのが心配だ」の「の」が省略できない理由は何か?
No.20
- 回答日時:
言語とは何かの本質的な理解のない方が非論理的な回答を並べられていますので、くどくなりますが補足しておきます。
>><準体助詞>という表現は誤りだというご見解のようですが、それは個人のご自由でしょう。
いいえ。
好き嫌いの問題ではありません。
誤った品詞分類は語の意義を正しく捉えら得ない論理の露呈で、対象を正しくとらえられず、誤解、混乱を招きます。
>><抽象名詞>と呼びたければ、そう呼べばいいだけの話。
いいえ。
対象の本質を捉えた科学的、論理的な分類に基づく、正しい適切な理解と、命名が必須です。
>>「品詞名や呼び方は何でも構わない。」と申し上げているように、そう呼ぶことに反対しているわけではないので。
自身の無智と非論理性を曝け出しているだけです。
何が正しいのかの論理、判断を有していないということです。
>>「迷っているのかもしれませんね」の「の」は省略できるが、
「顔が青いのが心配だ」の「の」が省略できない理由は何か?
どちらも省略は可能で、話者の認識を明確、確実なものとして表現する場合に<抽象名詞>「の」を使用するということです。
「迷っているかもしれませんね」
「顔が青いが心配だ」
口語では一般的に「の」を使用しますが、古文では省略が一般的です。
この場合も、「顔が青い(■)が心配だ」と実体認識はありながら、省略されており、■(零記号)になっています。
良く知られているのは、
いづれの御時にか、 女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて 時めきたまふ(かた)ありけり。
のように名詞「かた」が認識としてはあるが省略されています。また、
負ける(の)が勝ち
のように、認識としては存在しているが調子に合わせ省略される場合もあります。■
顔が青いのが心配だ。
顔が青いが心配だ。
確かにそういわれてみれば『の』がなくても使えますが、すると、一番目の『が』が格助詞であるのに対して、二番目の『が』が接続助詞のような働きに代わります。
ちょっと調べてみたら、↓
(準体助詞的に用いて)下の名詞を表現せず、「…のもの」「…のこと」の意を表す。
と出てきましたが例が古文になっていました。(goo辞書)
現代日本語では主流でないものの、習慣的に残っているいい方という理解はできますか?
歴史を感じます。
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