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こんばんは。(おはようございます?)

カテゴリー違いでしたらごめんなさい。

私は「怒り等の感情による(例えば『人を殴りたい』『人を殴る』等の)衝動や行動等を自律では制御することができず、(例えば法律や法律に基づく罰等の)他律の力を借りることで、精神的苦痛を伴いながらも何とか制御することができた」と言う状況を幾度となく経験して参りました。

当時の状況を思い出すと、一見同じような状況であっても、感情による衝動や行動等を自律で制御することができたケースと、制御することができなかったケースとがありました。

また、当初は感情による衝動や行動等を自律で制御することができなくても、時間が経過するにつれて自律で制御することができるようになったケースもありますし、逆に当初は感情による衝動や行動等を自律で制御することができたのに、時間が経過するにつれて自律では制御しきれない状況になったこともあります。

感情による衝動や行動等を自律で制御することのできる状況と、自律では制御することができない状況とでは何が違うのでしょうか? 感情による衝動や行動等を自律で制御するには、どのような条件が必要なのでしょうか?

当質問において、私は「自律」と言う言葉を使っておりますが、もしかしたら、感情による衝動や行動を制御しているのは「自律ではない別の何か」なのかもしれません。この辺りも含めましてご回答やご指摘等を頂けたら助かります。

宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

imananjiさん、こんばんはm(__)m



私は勉強中の一般民間人ですので、正解は書けないと思いますが、がんばってみます。

>怒りや怒りによる衝動の発生が抑えられている段階では、>欲求自体が無い(または弱い)ので欲求不満にはならない>(またはなり難い)為、怒りが誘発される確率(または怒>りのレベル)も低いのですね。

一つずつ分けて考えてみましょうか。

まず一つには、衝動の発生を抑える以前に怒りの度合いと不満度の関係があります。
感情には「怒り」「喜び」「期待」など、基本となる感情が8つあり、それぞれには強度がある、という考え方があります。
怒りの場合には、困惑<怒り<激怒 となるそうです。
ある事象に対する欲求不満度・苦痛度で、怒りの強度も変わってくるのですね。
つまり、欲求不満度は衝動の抑制に直接関係しているのではなく、怒りの強度に関係していることになります。

そして次に、この怒りの強度と攻撃行動への衝動との関係です。
攻撃行動は何も怒りだけではなく、嫌悪とか恐れ、悲しみなどでも見られることだと思いますが、それぞれの感情には怒りと同じように強度があります。
それらの感情が強ければ攻撃行動への衝動も強いものになると、これは私の経験からですが、考えられると思います。
不満度によって怒りの強度が変わり、怒りの強度によって攻撃行動への衝動が変わる、ということになるかと思います。

>怒りや怒りによる衝動があるのに行動を抑えている段階に
>なると、欲求不満により怒りが誘発されるのですね。

これは、すでにある怒りが原因で更なる強い怒りが生じたということですね。

そして更に、攻撃行動への衝動の強度とそれを抑える力の関係があります。
ここに関係してくるのが、「自我」というものになるのでしょう。
自我というのは、働きというよりも、人間の精神構造が自我を含めた欲求・自我・超自我からなっている、としか私には説明ができません。
ゴメンナサイ。
このあたりのことは書くと論文になってしまいます?ので、参考URLを書いておきます。

怒りという感情は、知らない人よりも身近な人にほど向けられ易いですね。
骨肉の争い、なんて言いますが、典型例ではないでしょうか。
十何年も経ってから思い出される怒りというのは、発散されていないのでしょう。
誰にも「あ、思い出しちゃった。今ごろになって超ムカつく!」ってことはありますって。
冷静になるだけではなく、その後に発散されることが怒りの解消には必要なんですね。

参考になるのか?ならないのか?
ならなくても怒りのレベル弱にしておいてください(~~;)

参考URL:http://homepage1.nifty.com/~watawata/psycho/p3.htm
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この回答へのお礼

ryochamanさん、ありがとうございます。


>不満度によって怒りの強度が変わり、怒りの強度によって攻撃行動への衝動が変わる、ということになるかと思います。

一見同じような状況であっても、怒りの強度が異なるケースもあるように思えますが、自分では理解できないだけで何かが違うのでしょうね。(何なんだろう? 考えてみます)


>十何年も経ってから思い出される怒りというのは、発散されていないのでしょう。
>誰にも「あ、思い出しちゃった。今ごろになって超ムカつく!」ってことはありますって。
>冷静になるだけではなく、その後に発散されることが怒りの解消には必要なんですね。

怒りを解消することが大切なのですね。私は怒りの解消が下手なのかも知れません。


>参考になるのか?ならないのか?
>ならなくても怒りのレベル弱にしておいてください(~~;)

何をおっしゃいますかw
怒るどころか、ryochamanさんには(知識だけではなく)癒しパワー(?)までも頂いておりますw ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/29 14:46

imananjiさん、おはようございます?


私の手元にある書物によりますと…

怒りというのは、一般的に欲求不満や苦痛が引き起こしており、それらが攻撃行動を誘発すると考えられています。
ですが、すべての欲求不満事態が必ずや怒りを誘発するという訳ではなくて、例えば…
・欲求不満の原因に正当な理由があった時
・まったくの偶然で生じた時
などには、怒りは誘発されないか、もしくは軽減されるようです。

瞬間的には同じ怒りを感じても、直後に上のような背景がフっと頭をよぎり、軽減されたということは考えられないでしょうか?

怒ると、アドレナリンが増加するのだそうです。
怒りを静めるには、アドレナリンを減少させることが必要です。
怒りの原因となった事象から遠ざかったり気分転換などでまずアドレナリンを減少させ、冷静になったところで、事象の再評価をしたり、原因や背景などを追求し対処すると良い、と書いて御座います。
冷静になれないうちに怒りの原因などについて考えてしまうと、怒りの炎を煽ることになってしまうのだそうです。

感情のままに怒りをあらわにすると、大抵の人は逆効果で、アドレナリンが増加し怒りが激怒になってしまったり、怒ったあとで後悔したり、凹んだりしてしまうことの方が多いそうです。

「自律」という言葉についてですが、これは「自我」ということになるのかな?と思います。
現実をしっかりと認識し、本能衝動や欲求を抑えたり延期したりして社会との調和をはかり不適応状態を避けようとするのだそうです。

ご参考になれば幸いですが…自信無しです。
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この回答へのお礼

ryochamanさん、おはようございますw


>怒りというのは、一般的に欲求不満や苦痛が引き起こしており

怒りや怒りによる衝動の発生が抑えられている段階では、欲求自体が無い(または弱い)ので欲求不満にはならない(またはなり難い)為、怒りが誘発される確率(または怒りのレベル)も低いのですね。
怒りや怒りによる衝動があるのに行動を抑えている段階になると、欲求不満により怒りが誘発されるのですね。


>ですが、すべての欲求不満事態が必ずや怒りを誘発するという訳では

怒りの原因が理不尽なほど、自分に非が無いほど、怒りは大きくなるのですね。
ただ、それらを考慮しても、怒りのレベルには差があるように思います。


>怒ると、アドレナリンが増加するのだそう

怒りが湧き上がったら、まずは冷静になることなのですね。実践してみます。(今の私の精神力では難しいかもしれませんが・・・)


>感情のままに怒りをあらわにすると、大抵の人は逆効果で

私にも経験があります。
怒ることで、相手が反省したとき等は怒りも治まるのですが、怒っても相手に反省の色が伺えなかったとき等は、逆に怒りの感情が高ぶってしまいます。そのような状況になると、怒りの捌け口は(他律によって閉ざされていて)無い為、怒りは蓄積されていく一方のようです。
私の場合、怒らなかったら怒らなかったで後を引くこともありました。10年以上前のことを、未だに思い出すことがあります。ネチッコイでしょうかww


>「自律」という言葉についてですが、これは「自我」という

怒り等の感情を制御しているのは自我の働きなのですね。
これは何と言う働きなのでしょうか?

お礼日時:2005/03/28 14:41

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