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司馬遼太郎の元寇の役について、説明を引用します。

朝鮮では、
<一二三一年、モンゴルは大軍を送り、開城を包囲し、そのうちの一軍は忠州まで南下した。この時、農民軍が、高麗の政府軍に協力してモンゴル軍と戦ったが、勝利は見なかった。>
<モンゴル軍はやがて日本にもくる(元寇)。鎌倉の命で動員された武士たちは大いに戦うとはいえ、農民は単に被害者もしくは傍観者の位置にとどまった。>

質問は、元寇の役の際、農民はかれらの軍を編成しなかったのは、なぜでしょうか?
(農民は、モンゴルに征服されても、為政者が変わるだけであり、わしらには関係がないよ、と思っていたからでしょうか?)

A 回答 (4件)

現代人と国家観や世界観が全く異なりますからね。


「本朝(日本)、唐、天竺」の世界観の彼らは、「モーコ」が攻めてくると言われても「???」と理解不能で、「どなたが新しい御領主様になられてもワシらには関係ないこと」としか考えられなかったでしょう。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
<「モーコ」が攻めてくると言われても「???」と理解不能で、「どなたが新しい御領主様>と思っていただけのですね。
戦争の絶え間のない朝鮮とは、認識が違っていたのですね。

お礼日時:2022/05/13 17:58

農民は作物を作って、年貢を納め、その年貢を使って、国を守るのが


武士です。
年貢を取られた上に、戦に駆り出されたら、農民は怒りまくるのでは?
世界中の国でも、多少の違いは在っても、同じ事情とおもいますよ。
国民皆兵制度が出来るのは、近代に入ってからでしょう。

西南の役では西郷隆盛が政府軍は平民だから、捕まえても放してやれと、
言っていたとか、彼の頭の中は、国民皆兵制度が出来た後でも、「武士の
本分は戦い守る事」だったようです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
日本では<その年貢を使って、国を守るのが武士>という認識ですね。
だだし、朝鮮では、おそらく自発的に、農民軍を立ち上げていたようですね。

お礼日時:2022/05/13 18:01

庶民は領主たちの戦争には無関係なので無関心。


関係が出るのは、領主から労役として徴発された時だけ。
明治まで日本は、原則そうでした。
ちなみに鎌倉幕府も、将軍と主従関係にある御家人にしか動員権がありませんでしたが、元寇で非御家人と呼ばれた幕府と関係ない武士への動員権を朝廷から認められて、名実ともに全武士を配下に置くことができるようになったのです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<庶民は領主たちの戦争には無関係なので無関心。>ですね。
ただし、今回は他民族の侵略ですから(領主間の戦争と違って)無関心とは言えない、と思いますが。

お礼日時:2022/05/13 17:12

それは、農民を統率するリーダが現れなかったからです。

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<農民を統率するリーダが現れなかったから>ですね。
一二世紀末、金沙弥・孝心・万積という指導者が現れていますね。

お礼日時:2022/05/13 12:54

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