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歴史についてです
中国が隋の時代の時に倭国から送られた(聖徳太子の書いた)国書に隋の皇帝がキレたのって
(簡単に言えば)
どの国よりも発展し強かった「隋」と「倭国」が対等な立場だと書かれていたからですか?

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A 回答 (7件)

そうですね。

「日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」

『隋書』「倭国伝」に記録されている、倭国王から隋の煬帝(ようだい)へ送られた国書の有名な一節です。小野妹子(おののいもこ)を代表とする遣隋使が隋の都・長安に着いてこの国書を皇帝に提出したのは、推古(すいこ)天皇15年(607)のこととされています。

煬帝がこの書を見て激怒し、「蛮夷からの手紙のくせに無礼だ。二度と奏上させるな」と鴻臚卿(こうろけい、外務大臣に相当)に命じたというのもまた有名な話です。煬帝がはげしく憤ったのは、東夷の小国である倭国の王が中国皇帝と同様に「天子」を称し、対等の関係を結ぼうとしたからです。
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天子の称号が、皇帝の正統性に異を唱えるものだったからです。



これは3世紀の邪馬台国から続く話になります。
邪馬台国が臣従していた魏・晋が滅んだ後、中国は南北に分裂した南北朝時代になります。そして、邪馬台国に続く倭の五王が朝貢していたのは魏晋朝の流れを汲む南朝の諸王朝でした。
しかし、南朝の陳は北朝の隋に滅ぼされ南北朝は統一されます。南朝の手下の倭国から見れば、隋は自分たちと同等の夷蛮戎狄だったのです。その隋が皇帝を名乗るのだから自分たちも天子を名乗るというロジックです。それは隋の正統性の否定であり、隋は受け入れることが出来ないのです。
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>どの国よりも発展し強かった「隋」と「倭国」が対等な立場だと書かれていたからですか?



権威ある中華皇帝様に奉呈する親書(手紙)ならば、言葉を選んで、最高の礼儀を尽くして書かなければいけないのに、倭王の親書は無礼な表現で書いてあったのです。「倭国」は「隋」と対等の立場だよ、と言わんばかりの書き方だったから煬帝が「何だこの手紙は。野蛮な国のくせに!」と怒ったのです。
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>どの国よりも発展し強かった「隋」と「倭国」が対等な立場だと書かれていたからですか?



対等な立場、を表明した倭国に怒ったのはその通りですが、単に隋が強い国だからではありません。

当時の東アジアは「華夷秩序」と言って《中国皇帝が中華文明をもっていて最も偉く、周辺の有力者は皇帝に朝貢することで皇帝が王として認め、王は《皇帝の臣下としての礼を尽くす》」という安全保障をしていました。

しかし倭国は「自分も皇帝だから、中国の皇帝さんよろしくね」と言ったわけで、単に「対等」というだけでなく「日出ずる国」は中国と同じ中華だから対等ね、もう朝貢しないよ、という意味になるわけです。

華夷秩序は、皇帝が各地の王を認め、王は皇帝から任命してもらって各地を納める、だから《両方ともお互いの領地を認めて攻め込まない》という約束ですから、中華が二つあるということは「お前のところに攻め込むのは簡単なんだぜ」と脅しているのも同然だったわけです。

だから、煬帝は単に怒るのではなく、ブチギレたわけです。
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No.2さんが回答していますが、勝手に『天子』を名乗ったからですね。


天子というのは世界の支配をまかされた人といった意味があって、しかも三国志の時代に中国国内に自分が天子だと3人も言うやつがいたりしたのもトラウマになっていたのかも知れませんw

日本に置き換えて言うならば、『日本を含む世界の支配者たる韓国の天皇が、日本にいる天皇に送る』などと書いてきたような感じですw
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一般には「日出づる処」とは無関係で


(自分のところに) 1人しかいないはずの「天子」を (倭が) 標榜したから
って言われてるね.

「国として対等かどうか」はおいておいて.
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いや、「日出ずる国から」と言われれば普通にキレますって。

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