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なんか存在というと途轍もないもののように聞きますが

存在しているものが「存在」でいけませんかね?

存在者とか言わなくても

酸素が存在であり水が存在である 人間が存在です。

我々は存在を奪われているのではないでしょうか?

A 回答 (1件)

物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない、それはいくらでも疑いうるものである。


それでも物質というものは、我々自身の身体も含めて、抗いがたいレアリティを以て我々に迫ってくる。我々の感覚や知覚の多くは、我々自身の精神の中に起源を持つというよりは、外界から現れてくるように思えるし、また想像力や情念の多くも物質を考慮しないでは観念し得ないように思える。
この世界には精神的な実在と並んで、物質的な実在があり、その明証性は神によって裏付けられている。
物質とは意識の彼岸にある延長のことである。これらはともに、意識のなかに現れてくるものであるが、その意識の中で、精神は私という存在を基礎付けるものであり、物質のほうは私の意識の随伴者として現れつつも、延長という存在性格によって、私の意識とは区別されるものである。
物質には、二重の存在性格がある。ひとつは形、位置、運動等の空間的な広がりに関する部分であり、もうひとつは色や音や香や味など感覚的な性質と呼ばれるものである。このうち感覚的な性質は物質にとって本質を構成するものとはいえない。何故ならそれらは混乱した不明瞭な仕方でしか現れないからであり、感覚的な性質のうちあるひとつのものを除き去ったとしても、そのものが、つまりその物質がその物質である所以は失われないからである。こうして物質の本質をなすものは、空間的な広がり、つまり延長とそれに関連する諸特性のみである。
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この回答へのお礼

Thank you

つまりは客観的なものと主観的なもの という事でしょうか?

存在性 という言葉を使われますが 私の使う「存在性」という事でしょうか?

やはり神が居ますか?神って やはりキリスト教の神でしょうか?

二重の存在性格 と言うのも主観と客観というい事でしょうか?

お礼日時:2022/06/02 19:49

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