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浜辺であなたとスイカを食べた。この
文の「で」を「に」に置き換えて ⇒
浜辺にあなたとスイカを食べた。とするのは文法的に
間違いですか?

質問者からの補足コメント

  • トーマスマンの「ベニスに死す」という小説がありますが、「ベニスで死す」と表現することも文法上は問題ないと考えます。「ベニスにあなたと二人で死す」も間違いとは思えません。「浜辺で~」はごく普通の表現です。詩的表現を追及すると、この「で」が気にかかります。その結果としての「に」ということです。

      補足日時:2022/07/21 18:57
  • No.12のhakobuluさんのご解説に対して。「ベニスで死す」だと、単にベニスで死んだ、たいう印象です。ベニスに特別な思いは感じとれません。死んだ場所がたまたまベニスだった、そんな風な感じもします。他方、「ベニスに死す」のベニスは特別な意味を湛えてる感があります。なにか思い深きベニスという場所で死んだのだ、そんな印象です。これは筆者の個人的感覚に過ぎないということかも。

      補足日時:2022/07/22 14:18

A 回答 (22件中1~10件)

>早期の受診、治療が重要です。


と、アドバイスしたいのはやまやまなんですが・・・。
本能レベルが問題では、医者も。そんな人に来てもらっても・・・が見え見えですね。
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>〇〇の実現に、一致団結して・・・・・・


この場合の
位置づけは、空間としても仮想空間、抽象的空間。とでも。
こんな簡単な内容で回答できないんですね。
論理といっても、所詮門前の小僧が読む経と同じ。
誰かが言った論理的な内容をコピーして記憶しているだけ、内容は理解していない。
寺の住職他本職の坊さんなら、一般人のわかる内容で説明できます、そうです説教という形で。
同様のことができない?。
コピーした内容を切り貼りするのが精いっぱいではそうでしょうね。
だから、念仏みたいな・・(門前の小僧が読む経、並み)と言われるんです。
相変わらず、自己防衛本能の発動?、で逃げるしか能がない?、単純ですね。
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なにやら、症状を悪化されている方がみえますね!



早期の受診、治療が重要です。■
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〇〇の実現に、一致団結して・・・・・・


この場合の
位置づけは、空間としても仮想空間、抽象的空間。とでも。
論理論理という人が、他人を認知症呼ばわり、誹謗中傷の類、論理なんかありませんね、それやりますか、情けないを通り越して哀れ?。
自己防衛本能はお得意にの「認識」の働きする部分使いません。
言葉にはすべて意味がありまーす、この認識がそもそも?。
聞いた人が何人いても、全くおなじイメージを持つ保証は皆無なんです。
意味なんか在りまっせーん。
聞いた人がどんな反応してどんなイメージを持って認識するか、そんな働き(機能が在るだけです。
すべて意味があると、言ってしまえば、機能主義・・・否定せざるを得ませんね。
野党議員が「では○○と言うことですね」大臣、否定も肯定もしませんね。
相手が○○に対してどんなイメージを持っているのか知れたものでは無いからです。
言葉で確定してしまえば、相手の持ているイメージの表現は、別の言葉でも表現可能になります、言ってしまえば言葉が一人歩き始めます。
言葉にはすべて意味がありまーす、→こんな内容(意味)の表現にはこの言葉を使わなければならない?、と言うことになりかねません、その限りにおいては非常に論理的ですね。
文芸作品なんかでは、情景描写の表現がすばらしい・・・なんてことで評価が変わります。
体言(名詞)の「箱」、箱ってナーに、なんて質問されることはあ先ず在りません。
丸い箱も在るの?、一瞬っ考えますが、帽子なんか購入すると丸い箱に入っています、大抵の人はそれで納得します。
取り敢えず定義すれば?、運搬・保管に際して外部環境の影響を受けて変形・変質しないように保護する目的で使用する容器?。
となれば中身は本来の目的では無い?、簡単に製造・・・・その他の条件も必然になります。
でも通常はそんなことは過去の経験・記憶から条件反射で対応することで除外します。
それで得られる共通イメージの範囲が大きいのが体言(名詞)と言うことになります。
これ以上言っても、認知症呼ばわりして逃げるだけでしょう、で無ければ論理回路の真似をしても処理速度が追いつかずにフリーズ?、受けた情報そのまま跳ね返すだけ(オーム返し)になるので。
言葉は意味を持っている、と言うより、聞いた者に何らかの反応を起こさせる、其の方向?を示唆する機能を持っているだけなんです、現実に、どのように伝わり、理解するかは、相手次第。
ハイ、また認知症で訳のわから無いこと言ってますね、と言えばそれ以上の反応は不要になります、オーム返しの醜態さらすことも在りません、にしても、このところ、認知症呼ばわり一辺倒ですね、便利ですね、大した生活の智恵?。
「認識」を「認識づけ」に訂正したところで何も変わりません、相手をしてどのように(方向)を示さないことには、でもそれは、その言葉の機能になりますね、指摘していますが、反応無し?、認知症の者が言っているだけ、とすれば、それでおしまい、便利過ぎ?と言うより都合が良すぎ?、がすべて?。
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「ベニスに死す」



の場合は、場所、地名である「ベニス」を格助詞「に」で空間的に位置付けています。これに対し、

「ベニスで死す」は、場所、地名である「ベニス」を手段と捉え表現しています。この認識の相違が死んだ場所がたまたまベニスだった、そんな風に感じる理由です。

>>浜辺は領域ではなく地点だ

などと意味不明な寝言を並べても何の意味もありません。

この方は日本語に不慣れなようで、格助詞「に」ではなく

「ベニスで死す」
⇒「死す」という動作がベニスという地(領域)で行われた。
「ベニスに死す」
⇒「死す」という動作がベニスという地点で静止して終わった。

一体、「死す」という動詞の解釈を並べてどうしようというのでしょうか??

すでに、3年ほど以前から根本的な発想の誤りを指摘していますが全く理解不能のようです。■
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>認知症の方も未だお元気のようで何よりです


出ましたね、自己防衛本能発動、本能故当人にその意識がありません。
勝手オーム返しの醜態をさらしたことがあり、私的された故tが生活に知恵になって、医者でもないのに何の根拠もなしで相手を認知症呼ばわりすれば・・・。
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暑い夏ですが、認知症の方も未だお元気のようで何よりです!


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>ベニスに死す」のベニスは特別な意味を湛えてる感があります


個人的な感覚として、そんな感覚を収束(究極は1点に集中する方向性)という表現でとらえています。
具体的には、動いているものがそこに向かっている(個々のケースでは着点と説明されます)。
そのほか、受け取る側の意識をそこに向かわせる(集中させる)そんな働き・機能を持っている
「に」にしても「を」にしても、静止点なんて飛んでもない、ベクトルが重要、ということは動きと切り離せません。
「に」は収束、収束の極限は1点になるだけ、重要なのはその一点も向かっているというベクトル、それを受け取る側がどう受け取るかなんです。
「を」は「に」の逆、拡散、拡散なので行き先は四方八方百々丸所はありません、ただ、どこから?という起点が存在します
冬き京都に行く→京都が目的のベクトルを持った動き、それなりに離れた位置?。
冬の京都を行く→、すでに京都にいる、あちこちに冬の京都の風情が散らばっている(拡散)その中を行く。
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>>浜辺は領域ではなく地点だと申し上げている。



ピン呆けなコメントですね。
地点であろうと領域であろうと格助詞「に」の意義とは関係ありません。
日本語が不自由な学習者なのでしょうか?
「に」が何を表しているかが根本的に理解できていない寝言ですね!
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#12です。


#10のご仁がまたぞろ見当違いの難癖をつけていますので、面倒ですが一応指摘を。

>当然のことながら「浜辺」は地点で、【に】の本質的意義とは全く関係ありません。

浜辺は領域ではなく地点だと申し上げている。
《当然のことながら》と言うのなら、領域と地点の差異について言及しないと批判の真似事にもならんよ?
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