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この2つの図はアジアの産業についてのなのですが、
日本が先頭となり産業を次々と生み出したいったということで間違い無いでしょうか?
また日本→NIEs→ASEAN→中国→ベトナムという順番は一体何故その順になったのか教えて欲しいです。どうして日本は次々と生み出したのかも教えて頂きたいです。
めさ

「この2つの図はアジアの産業についてのなの」の質問画像

A 回答 (3件)

私は違うと思いますし、日本以外の国に安易に当てはめるべきではないと思います。

韓国や台湾にはあてはまると思います。

この図は、赤松要が1935年に提唱した雁行型形態論で、戦後日の目を見ているようですが、あなたの質問で初めて知りました。

戦前の日本の工業化の転換と発展をもとに後進国が先進国に追いつく一形態を示していると思いますが、日本には資源がないという大前提があります。
ウクライナ戦争による食糧危機でわかるように、世界では日本のような国の方が少ないかもしれません。

また、現在は情報産業が幅を利かせていますが、漁業・農業が重要な産業であることに変わりはなく、スーパーなどに並ぶ冷凍食品などを見ると、産業構造そのものが昭和の時代から大きく変化していると感じます。
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第二次世界大戦で日本がボロ負けに負けて、何もかも焼かれ破壊されて日本は完全に荒廃した状態になったわけ。

日本には何もかもが無くなりました。
それで生き残った男たちは日本を建て直すために、必死で働いたんです。

そのお陰で戦争が終わって10年が経つ前には「軽工業」のような簡単なもの(木工品、衣服、皮革製品など)が製造できるようになります。
また15年が過ぎる頃には洗濯機・冷蔵庫・ブラウン管を使った白黒TVが出来て普及するようになり、重工業も発達しはじめ、国産の自動車が登場し、ビデオやデジタルTVのような電子産業も成長してきました。

その一方で、未開発だった東南アジアの国々でも日本の技術指導や技術移転でだんだんとそうしたモノが作れるようになってきます。
その頃には日本のサラリーマンの給料はうなぎ登りに上がり、あるモノについては国内で製造するよりも低賃金の東南アジアの各国に造らせるほうが安上がりになるわけ。技術移転はそうした事情もあります。

こうして当初は日本国内で製造していた製品は徐々に東南アジアの国々で安く良質で作られ、日本のお株を奪われるようになったわけ。
東南アジアの国々でも、まじめによく働き、低賃金でもやってくれる国(たとえばタイ・ベトナムなど)のほうにモノ造りが移転することになります。

でも日本がモノ造りの頂点に達したのは1990年あたり(=昭和の終わり・平成の始まりの頃)です。IMD(スイス)の調査による国際競争力もその頃に世界第1位にまで上り詰めます。

ですが、そこを境にして以降は日本の国際競争力は落ちはじめ、日本の没落が始まるんです。平成と令和は日本が中国、韓国、東南アジアの国々にだんだんと追いつかれ、追い抜かれて負けて行く時代になります。
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話はプラザ合意にまで遡ります。



これで、極端な円高になったので
日本は海外に乗り出すことになります。

最初に乗り出したのが、韓国と台湾です。

だから、韓国と台湾が経済発展しました。

経済発展して人件費が高騰したので
うまみが無くなった日本は
アジアへ進出しました。

日本の後を追うようにして、韓国と
台湾もアジアへ進出し、
今のアジアの経済発展になったわけです。

(以上 放送大学 途上国を考える)




日本が先頭となり産業を次々と生み出したいったということで
間違い無いでしょうか?
 ↑
はい、そういうことです。



また日本→NIEs→ASEAN→中国→ベトナムという順番は
一体何故その順になったのか教えて欲しいです。
 ↑
人件費の安い国、安い国へと乗り出した
結果です。

つまり、日本が乗り込んで経済を発展させると
人件費があがります。
それで、もっと安いところへ、と移動していったあ
訳です。



どうして日本は次々と生み出したのかも
教えて頂きたいです。
 ↑
日米貿易摩擦で、怒った米国がプラザ合意で
円高にしてしまいました。
それで、外国へ乗り出した結果です。

国内政策としては、大がかりな金融、財政政策を
採ります。
何しろ、一ドル360円から一気に250円、100円
になったわけで、
政府も焦りに焦りました。

それが高じて、バブルになりました。
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