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先日、福岡県宮若市竹原にある竹原古墳の装飾画を見てきましたが、馬らしき動物を扱っている、どう見ても渡来人とおぼしきピエロのようにも見える人物は、どのような解釈(どこから渡ってきた何々人とか)がなされているのでしょうか。
勿論、いろいろな研究者がいろいろな説を出されているのでしょうが、現在、最も有力となっている説を教えてください。

A 回答 (1件)

https://www.city.miyawaka.lg.jp/kiji003446133/in …
竹原市の公開している動画では、騎馬民族の移住者という説明をしています。
https://twitfukuoka.com/?p=72958
③「船」大海を渡る船 
⑤ 馬を牽いた人物:馬は小型。人物は冠をかぶり[みずら]という髪型、上着とズボンをはき、先の尖った靴をはいています。

この人物を、竹原市の動画では3分58秒目で大陸からきた騎馬民族のようにと説明しています。

http://map46-2.com/fukuoka_k8.htm
馬を牽く人の構図は北魏の石刻画象(写真下)に酷似する。かつ馬を牽く人物の服装につき、窄袖の丈の短い着物と太い袴を着て袴に結脚する胡服姿は特に倭人には印象的に映ったに違いない。馬面が龍面に描かれるのも北魏の石刻画象と同じであり違和感がない。

大陸東北部に半農の騎馬民族が発生したが、その騎馬民族の一部が南下し、いわゆる高句麗となり、さらにその一部が朝鮮半島南部に「辰国」を建て、またさらにその一部が百済を建て、また一部は加羅(任那)造り、こうした騎馬民族の一部(直接の出港地は不明)が、4世紀初めに対馬・壱岐を経由して、5世紀~6世紀にパラパラと、何回か、九州北部にきて、その一部が遠賀川付近、もっと南、西、などに展開し、豪族になったのでしょう。 それぞれの地域の豪族の元の出身地までは分からないのでしょう。
「福岡県宮若市にある竹原古墳装飾画の馬を扱」の回答画像1
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この回答へのお礼

詳しく説明して頂きありがとうございました。大変、勉強になります。
日本古代独特の髪型だと思っていた「みずら」は実は大陸由来のものであったようです。
人間に比べ馬の小ささは絵の都合上そうなったと思いますが、当時の舟の大きさは分かりませんが、もしもそんなに大きいものではなかった場合、子馬を積んできたのでは、とも思わされました。

お礼日時:2022/08/28 12:56

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