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安倍晋三前総理は、なぜ反戦と反骨を貫き「昭和の吉田松陰」と慕われた父方の祖父・安倍寛から学ぼうとしなかったのですか?母方の祖父・岸信介の方ばかり見ていたような気がします。

A 回答 (6件)

反戦・気骨で清廉潔白な人格者という評価は立派だ。

正しく「聖人」だ。
だから、権力志向の塊だった岸信介も、安倍寛の息子なら安心して娘を嫁がせられると長男の晋太郎との結婚を認め、安倍晋三が誕生することになる。

とはいえ、「反戦・気骨で清廉潔白な人格者」とか「聖人」というのは『権力』とは無縁の世界であることも間違いない。
安倍晋三も、父親の安倍晋太郎も権力を志向した。であれば、政界に力を持っていた岸信介を志向するのは当然のことだろう。

安倍寛は終戦直後に逝去している。息子の晋太郎も政界を志すが、地元が同じで実力者の岸信介に接近するのは権力に近づく早道だ。だから岸信介の娘と結婚した可能性は大きい。

安倍寛が長寿だったら、この結婚が実現したかどうかわからない。安倍寛と岸信介の仲が良かったとは思えないからだ。
いずれにしても安倍晋三が生まれるかなり前に安倍寛は死んでいるのだから、生きていた岸信介から大きな影響を受けたのは当然だろう。
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この回答へのお礼

いつもご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/09/28 07:56

安倍晋三氏は「前総理」ではないのだが....

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吉田松陰って稀代のテロリストだよね。

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安倍寛は晋三が生まれる前に死んでおり、晋三は会ったことがありません。


それに対して岸信介は長生きしており、孫の晋三と兄を可愛がってくれていたので、「お爺ちゃん」といえば母方の祖父の岸信介なのでしょう。
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安倍寛は晋三氏がうまれる遥か前の1946年になくなっています。


岸信介は晋三氏が33歳になる1987年になくなっています。

物理的に寛氏に学べるわけがありませんね。
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身近な権力者である岸信介に憧れていたから政治家になったわけで、安倍寛から学ぶ志があったとしても、政治家の道を進むことはなかったでしょう。

正義のためではなく権力に憧れて政治家をやっていた人ですから・・・
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