子供の頃テレビを見たら三国志の映画がやってて、軍対軍の戦闘シーンになったんですが、大将と大将が1対1で、戦ってるのを両陣営の歩兵は動かずだまって輪になって見てるだけ。戦ってる二人の刀の音がカンカン響くだけ。ものずごく異様に見えました。
親父に聞いたら「昔は大将同士1対1が当たり前だった」と言ってました。それじゃあ、歩兵の意味は?と疑問に思いました。日本でも戦国時代(自信ない)になってから1対複数の戦い方が導入されたとか本で見た記憶があるんですが。
そうすると、三国志時代はたとえば1対100ならば空手の百人組手のように1人ずつ順番に待って戦ったんでしょうか?
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
軍対軍の戦いでした。
1体1の戦いは物語を迫力のあるものにするフィクションです。戦いは騎兵はまだ少なく(馬も乗馬して戦える人も少なかった)、主として歩兵、弓兵、戦車でした。
戦車は2人乗りの2輪馬車で、乗員の1人が弓や戟という武器で戦い一人は御者をつとめます。
最初弓矢で両軍が戦い、次に戦車隊が猛進して敵陣を崩し歩兵が前進して決着をつけるという形をとる事が通常です。
騎兵は追撃戦で使われます。
従って兵数の多い方が優勢なので少数派は軍略に工夫を凝らして勝利を得なければなりませんでした。
この時代の兵士は農民を召集した急ごしらえであることが多く、戦いには不慣れでしたから、変わった戦術には弱かったのでしょう。
やはり、みなさん複数対複数って事では一致してますね。
詳しい、戦い方についての解説ありがとうございます。
結構、効率的な戦い方をしてたんですね。一対一なんて
遠い話ですね。
戦車隊ってのは初耳です、ローマ時代の戦車みたいな感じだったんでしょうか?なんか、三国士時代に戦車って想像できないんですが。
No.9
- 回答日時:
双方が名乗りをあげて行う一騎打ちは極めて少なかったでしょうが、結果的に一騎打ちの形になるというのは結構あったと思います。
1 武将が部隊を率いて敵陣に突っ込む
2 一方に強力な武将がいれば、その武将にぶつかった他方の兵は次々倒されていく
3 被害を最小限にするために、相手の武将に勝負を挑む
4 武将同士の勝負が決するまでは、戦闘力の低い兵同士の戦いになる
5 武将同士の勝負が長引けば、その勝負を見物しようとする者が兵の中に出てくる
6 さらに長引けば兵のやる気が失せてきて、見物人が増える
7 兵が周りで見ている中、戦っているのはほとんど武将だけという「ここだけを見れば一騎打ち」状態になる
という展開は、農民が召集されただけというような部隊同士では、ありそうです。
こういう状態で勝負が決まると、負けた方の兵は(やる気が失せていますから)ほとんどが降伏するか、逃げ散ることになるでしょうから、その前に予備兵力を投入する命令を出すのが指揮官の仕事になります。
これを曹操は主力を常備軍にすることで兵の練度を上げて対応できるようにした、というようなことを昔本で読んだことがありますが、どこまで信じられるものかはわかりません
うーん、さすがに殺し合いで、見てるだけってのはなかったと思います、生きるか死ぬかの場所ですから。自分で言っときながらすいません。
僕の見たのはあくまで映画だったんだと、みなさんの回答を見て痛感しました。
3 は、最速で勝利を収める為に、あったかもしれないと思います。
No.8
- 回答日時:
軍隊vs軍隊です。
一騎打ちは基本的にありません。基本的な軍制は漢の時代のままです。武器の主力は戟と弩を使っていたようです。また、南船北馬と言う通り、呉の地は、川をまたいでの水軍戦が中心になり、華北は騎兵中心です。匈奴などの遊牧民族との戦いで戦車は使い物にならなくなっているので漢代には廃れています。変わりに三国時代には蜀が騎兵の突撃を防御する為の戦車(盾付きの車に近い)を導入しています。
『三国志演義』出てくる、関羽の青龍偃月刀や、呂布の方天画戟は『三国志』の時代には存在しない武器です。従って一騎打ちの話は物語の中の話です。ただし、関羽が顔良を切ったと言う話や「人中の呂布、馬上の赤兎」と呼んだ言う言葉や長坂で20騎で張飛が曹操の軍を不正だと言う話は正史にも出てきます。
『三国志演義』と『三国志』は別物です。『三国志演義』は明代に書かれた物語で従って、当時起きた戦争や人物をモチーフにしている箇所が結構あります。武器なども当時使われていた武器で書かれています。
南船北馬はなんとなく聞いたことがあります。
そうゆう意味でしたか。
関羽の武器や、呂布の武器はその時代にはなかったんですか!!驚きました。
実際は、一騎打ちは、ほとんどなくて、ごくまれにあったって感じだったんでしょうね。
No.7
- 回答日時:
補足です。
戦車といっても今日のものではありません。
秦の始皇帝の兵馬俑にもあり、古エジプト時代にも存在した2輪馬車です。
映画「ベンハー」に出てくる戦車競争では4頭立てですが、三国志の場合は2頭立てだったと思います。
アレキサンダーの対ペルシャ戦争にもペルシャ軍が使用して突撃しましたがギリシャ軍は隊列を開いてやり過ごしたようです。 戦闘中の機動などの訓練を積んでいたギリシャ軍ならではの行動でしょう。
1乗2乗とかぞえましたので帝王の事を「万乗の君」とよんだのは1万もの戦車を揃える事ができる程の偉い人という意味です。
No.6
- 回答日時:
三度#1です。
>作り話だとすると、関羽、張飛、呂布…などの強さは嘘って事ですか?それとも関羽などの従えてる軍自体が強かったと言う事なんでしょうか?
軍隊の強さは他の方も書かれているように、軍隊の規模によるところが非常に大きいです。
しかし将軍の強さと言うもの実際にはあります。
それは局地的な戦術の強さであったり、軍隊を鼓舞する精神的な強さです。
戦闘時には恐怖に駆られた方が負けで、軍が群であるために、恐怖が増幅して負けてしまう事が多々あります。
そう言う意味では単純に多勢に無勢とは言いがたいところもあります。
恐らく関羽や張飛などは軍隊を操る術に長けていたのではないでしょうか。
余談ですが、三国志演義の作者(名前を忘れました)は蜀の出身者なので、それなりの贔屓があるそうです。
局地的な戦術的な強さですか、という事は、呂布は、本能のままに戦うってイメージがあったんですが、実は冷静に軍隊を操ってたのかもしれませんね。
イメージがずいぶんと変わりました。
なんか、武神と言うより、軍師みたいですね。
当時、最強の強さを誇ってたって事は、実は、孔明なみに頭がよかったのかもしれませんね。
No.4
- 回答日時:
#1です。
意見が別れているようですね。
私は「歴史地図で読み解く三国志」を読み、前記のように記憶しています。
人に上げてしまったので引用する事が出来ませんが、史実としての三国時代と三国志演義を照らし合わせて書かれていたと思います。
ご一読されてはいかがでしょうか。
私の記憶違いなら、すみません。
調べたら、「正史三国志」が歴史書、「三国志演義」は作り話、私たちがよく知ってるのは三国志演義の方という事らしいですね。
自分は、横山氏の漫画の三国志しか読んだ事がないんですが、どこか正史三国志について解説してあるサイトとかありませんでしょうか?
作り話だとすると、関羽、張飛、呂布…などの強さは嘘って事ですか?それとも関羽などの従えてる軍自体が強かったと言う事なんでしょうか?
No.3
- 回答日時:
三国志の時代は、中国史上最も人口の少ない時代でした。
合戦での兵士の数は、全く実態とははなれており、実際の戦いは、数百人程度の小競り合いがほとんどだったと思われます。
そのため、大将どうしの一騎打ちがよく見られて、他の時代よりも、豪傑が輩出したと考えられます。
三国時代の末期になると、豪傑のたぐいが大幅に減り、軍略家がはばをきかせてくるのは、人口が回復し、兵の数が多くなり、個人技量で、戦いがどうにかなる段階ではなくなってきたためと考えられます。
三国志前半では、呂布や関羽などが活躍の中心で有るのに対し、後半では、諸葛亮や司馬イなどが中心となっております。
この事からも、戦いのしかたが、前期と後期では異なることが考えられます。
なんほど、ものすごく納得しました。
確かにそれだと説明つきますね。
確かに、その映画も人数少なかったです。まあ、その映画事態歴史に忠実だったかどうかはわかりませんが。
という事は、関羽、張飛、呂布…などの強さは、戦う相手が少なかったから成り立ってたという事ですかね?
No.2
- 回答日時:
歩兵、騎馬、弓による多対多です。
一騎打ちもありましたが、必ずしも行われた訳ではありません。
一騎打ちは味方の気勢を上げたり、逆に敵の勢いを削ぐ効果はあるでしょうけど、多対多の戦闘ではデモンストレーション的な要素もあったかもしれません。とはいえ、勝負が決すると志気に関わることは確かです。
代表者が一騎打ちで勝負を決するのは、もっと古い話なんじゃないかな。
一騎打ちもあったんですか!!そのほうが、夢が壊れなくていいんですが。。実際は、どうだったんでしょうかね。。お互いに「一騎打ちしましょう」みたいな感じで
申し込んだ場合には、そうゆう事もあったという事でしょうか?
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