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池袋暴走虐殺事故の被害者の旦那さまをSNS上で中傷した事件の裁判が行われています。
やらかしたことは擁護しませんが、被害者を聖域に押し込めて批判を圧殺することが常態化すると、誰も『被害者』に対しては何も言えなくなってしまう危険があると危惧します。
例えば朝鮮人従軍慰安婦問題に関して
小林よしのりさんがゴーマニズム宣言の中で『プロの売春婦もかなりいたのだから朝鮮人従軍慰安婦が本当に被害者なのか?疑問がある』と問題提起したら当時叩かれましたが、現在は朝鮮人従軍慰安婦を日本軍が主導して強制連行したというのはほぼ嘘であることが判明しているので小林よしのりさんが問題提起したことはそれなりに意味があったと思ってます。
被害者を聖域に押し込めて批判を圧殺することは良くないと思うので、被害者であっても批判をすることは認めるべきだと思いますが、皆さんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。

A 回答 (2件)

事実と、その事実に対する評価の問題です。



慰安婦は、事実の問題として
あれはただの娼婦さん達であり、被害者でも
何でも無かった訳です。

それに対し、池袋の事件は、事実として
存在したし、
それに対する損害賠償も、法律的に全く問題
ありません。

その事実に対して、侮辱という評価をしたわけで
これは評価の問題でしょう。

同列に論じるのは、どうか、と想われます。




被害者を聖域に押し込めて批判を圧殺することは良くないと思うので、
被害者であっても批判をすることは
認めるべきだと思いますが、
 ↑
被害者かどうかは事実の問題です。
それに対し、
批判することは評価の問題です。
だから、同列に論じるのはおかしいです。




皆さんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。
 ↑
質問者さんが言わんとすることは
解ります。

被害者を聖域にしたら、事実が歪められ
何が真実か、判らなくなって
しまいますから。
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池袋暴走虐殺事故の被害者の旦那さんが心境をツイッターに書き込んだら「金や反響目当てで、闘っているようにしか見えませんでした」と書くのはいくら個人の感想だとしてもあんまりでしょう。

あの旦那さんは本当に何の落ち度もなく、ある日突然愛する妻と子を一瞬で奪われたわけですから。

そのやるせない思いをツイッターに書いたら「金や反響目当て」と書くのはちょっと配慮がなさすぎます。いずれ裁判で判断が示されるでしょう。
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