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超然主義で、内閣は政党の意見に左右されないとなっていますが、内閣は政党から構成されると習ったのですがどういうことでしょうか、、?

政党からできている内閣なのにその内閣が影響を受けない、?よく分かりませんでした。教えてくれると嬉しいです。

A 回答 (4件)

時代が違う。

超然主義は、内閣が国会議員で構成されていなかった戦前の話です。内閣が政党から構成されるのは戦後の議院内閣制の話です。
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No1、めくりやさんのおっしゃるとおりです。


すこし補足しますね。

戦前の総理大臣は天皇の任命によるものです。帝国議会で選出するのではありません。その総理大臣は国務大臣を任命し,各大臣は天皇に輔弼の責任を負う形となっています。天皇の私的行政機関という性格だったのですよ。

組織的には全く関係のない内閣と議会ですが、予算を議会で通過する必要がありますので、実際には内閣総理大臣が政党と連携していました。政党人から内閣総理大臣が選ばれたのは大正7年の原敬が最初です。
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政党てのは、基本的には、私的な


団体に過ぎません。

これに対し、内閣は公的な組織です。

だから、内閣は私的な団体に過ぎない
政党の意思に
「法的に」
影響を受けることは無い、という意味です。

事実上影響を受けるだけ、
という意味になります。
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超然主義とは、明治憲法における天皇主権の観点から、天皇を輔弼する内閣の政策を、議会(政党)の干渉を排除できるという考え方。



明治憲法では、天皇が首相を指名することになっていたので、基本的には内閣は議会(政党)を無視できるという超然主義の考え方も、一理ある。

しかし、現実にはその超然主義で上手く行った内閣はない。なぜかと言えば、明治憲法でも、国政運営に一番重要な予算案は、衆議院の多数決による承認を得なければならなかったからだ。
国政では何をやろうとしても、国の予算を使う場合については、予算案が衆議院を通過しない限り、何も実行できないからだ。

結局、明治憲法下でも、衆議院という選挙結果に基づいた民意を無視する、つまり政党の意向を無視することはできなかった。

つまり、超然主義は、ご質問者も首を傾げているように、無理筋の考え方だった。

国会が開設されても、始めの頃は、明治憲法との関連で、内閣と国会の関係についての理解が浅い人々が多かったため、超然主義という無理筋の考え方が生まれたということだろう。
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