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第二次世界大戦の進展の中で日本人の生活はどのようにへんかしていったのですか?

A 回答 (3件)

働き手が兵隊に駆り出され、農家も工場も労働者不足になり、生産が出来


なくなりました。
食料は戦地に送られるので国内は食料不足になり、戦地への供給も
出来なくなり、多くの兵隊が餓死しました。
工場の働き手として、女性が駆り出されましたが労働力の不足は
賄えず、戦地では弾薬不足になり、戦闘能力がガタ落ちになり、
万歳と叫びながら敵陣に突入しました、立ち処に機関銃の、
餌食です。
国民に内緒で造った戦艦大和は燃料も弾薬も無く海に浮かんで
いるだけでしたが、無傷で残ったのでは申し訳ないと海軍のお偉いさんの
面子の為の命令で片道燃料で特攻として沖縄に向かい2500人の将兵と
共に海に沈みました。
米軍の本土上陸に備えて主婦らに竹槍を持たしてして、戦車に立ち
向かおうと訓練しました。
その内に国際法違反の都市への空襲が始まりました、1945年3月10日
の東京大空襲では、下町の周辺を焼土して逃げれない様にしてから
中心に爆弾を落とし、10万人以上の人が炎に包まれて死にました。
地方都市も爆撃されたので日本全国焼け野原になりました。
留めは御存じの通りで、原爆2発です。
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開戦前、ABCD包囲網により、海外からの人や物(食料と資源や情報)が入らなくなり、国民の生活が困窮しました。


また、工業もエネルギーと原材料が無くて生産性が大幅に低下しました。

そして開戦後、南方に進行することで、人や物が入るようになり、国民生活と産業が回復しました。

しかし、絶頂期を過ぎると米軍の反撃により、軍が撤退と共に、また資源が届かなくなり、国民生活が逆戻となりました。

その後も戦闘を継続するため、国内のあらゆる物資を使うことで、すべての国民が生きることで手一杯の状態で国民生活を困窮することになりました。

敗戦後、連合国の支配下で生きるためだけで、モラルや品格も無い人々が溢れるようになった。

その影響は現在までも、自己の欲望と利益だけに執着する人が大手を振って歩く国になりました。
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横溝正史は、田舎に疎開。

食料自給が可能なように、畑も借りたそうで。
疎開先の家を確保するのが大変で、一つの家に、縁もゆかりもない家族が複数住み込んでたり。
徴兵も、最初は世帯主や学生は免除だったのが、だんだんそれもなくなり、田畑の耕作が厳しくなっていく。
最初のうちは、戦地慰問も落語家が訪問して高座開いてたのが、そういう娯楽も現地調達に。お笑い芸人なんかめったにいないから、自然、従軍慰安婦が増えて、今も、問題に。
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