プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ふつうの道も交通信号もみな タテマヘ。

裏街道 いや 奥の細道が オモテ街道。

――って ほんとう?

質問者からの補足コメント

  • №7をおぎないます。


    クウキの流れをすすんでパフォーマンスとして推し進める場合。これは あり得るというふうに かつて見ていました。次のようです。:
    【Q:《押し籠もり》に警戒しよう】
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11085182.html

    クウキのパフォーマンスを 《押し籠もり》と規定したものです。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/29 04:00

A 回答 (5件)

キリスト教文化圏では、神様との


約束は守る、ということで
秩序が保たれています。

しかし、日本には、そんな神様はいません。
だから、人間関係で、秩序を作ります。

これが、世間であり、山本七平氏の空気です。
つまり、世間、クウキが神様の代りなのです。


クウキなる運河を通らなければ何も
出来ない、
というのはその通りでしょう。

しかし。
裏街道は、北斗の拳の世界になるだけだと
思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ キリスト教文化圏では、神様との
約束は守る、ということで
秩序が保たれています。
☆ 昨今は イギリスのミステリー(刑事物)ドラマを見ていると 一方でなおも魔女物が出て来るのですが 教会での説教が演じられても 言わば良心的宗教拒否といった人たちの存在がじゅうぶんに取り上げられているようです。都会だけではなく田舎においてもです。

神さまは 人間の良心に取って代わっているように見えます。むろん約束は守るというのは 原則です。



★ しかし、日本には、そんな神様はいません。
だから、人間関係で、秩序を作ります。
☆ 世間という神さまでしょうか。

ただし あえて《村神様》を例に出して論じますが わたしは《世間さま》よりも深いところに・どうしてもこれだと特定したいような人びとの心の拠り所が見え隠れしているように《も》映りますが どうでしょうか。



★ これが、世間であり、山本七平氏の空気です。
つまり、世間、クウキが神様の代りなのです。
☆ そうですね。

反論としては 山本日本学に言う《空気》は それでも誰かがちょいと《水を差す》言葉を発するなら 消えてしまいうるしろものなんです。

そして 《世間》は おそらく神さまの世界への入り口になっているかに思われます。入口でしかないとも言えるわけです。

個人個人として 別の側面では やはり先祖の霊が意外と効いているようにも見られますが。守ってくれるという信条のように。


★ クウキなる運河を通らなければ何も
出来ない、
というのはその通りでしょう。
☆ おそらく総じて日本の社会は とにもかくにもこのまぼろしのネットワークが効果的にはたらいているように見えます。

見えないゆえ有力そうですが なお表層に位置するかも分かりません。

★ しかし。
裏街道は、北斗の拳の世界になるだけだと
思います。
☆ 《暴力が支配する弱肉強食の世界》でしょうか。

〔いわゆる暴力団は減って来ているそうですが〕 その裏街道を糊塗するように もし有力なクウキさまが降臨したなら それをむしろオモテ街道に位置づけて 時の統治者たる《アマテラスさま》にのし上がる人間が現われるかも。


ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び始めるとか。《空気》論が出たことは この《クウキ教》が下火になってきた証拠なのかも。・・・

お礼日時:2023/03/24 08:29

パフォーマンスなんですよ。


皆パフォーマンスに埋もれることが好きなのです。
一種の宗教ですよ。
皆漬かっているんです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そうですね。まぁ 中には そういうふうに積極的に自分からそのクウキ・システムに乗っかって 《パフォーマンス》としてふるまう場合が なきにしもあらず・・・ですかね。


ううーん。でも そういう場合は おそらく自分でもつまらないし周りからもドン引きされるのではないだろうか。


どうでしょう。

ふつうは みないやいやながらクウキの流れにしたがう・・・のぢゃないですかね。

クウキの内容は たいてい上から強いるようなかたちで自分たちの前にやって来ますから。


クウキ体制は たしかに――有無を言わせないほどに強いるので ちょうど神に従うかたちに似ますから――クウキ教と言えるかと思うのですが でも その《制度》が好きであるとは必ずしも言えない・・・かと思うのですが。


どうですかねぇ。

お礼日時:2023/03/29 03:23


傷だらけの人生を歩いてきました。
過去を思い出して回想しています。
https://www.youtube.com/watch?v=YVqOvN6xm18

でも、もう過去の話。
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この回答へのお礼

そうなんですか。

クウキの問題でつまづきもありましたか? (いえ。答えは だいじょうぶです。★ もう過去の話 ☆ ですね。)。

お礼日時:2023/03/24 17:50

人生の表街道と裏街道、


表もあれば裏もあるが、表を歩きたいが、
裏を歩いたことはあまりないか。
何を持って裏とするか、何をもって表とするか人に話しても難題な人生でしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 人生の表街道と裏街道
☆ クウキは 見えないだけで《ウラ》ではないんですよね。

世間の――或る意味で――中核のようなものだとすれば 見えないだけでオモテ街道のようです。


クウキに水を差すといった事態があり得ますが これは ウラなのか オモテなのか。


・・・


№2でたんぞう氏と おもしろいやり取りが出来たかと思いますが いかがでしょうか。


あっ そうそう。№1のうばそく氏とのあいだで 《悲母観音像》を出しました。

クウキが見えない繭のごとく人びとを覆いつつんでいるかも・・・といったタトヘですけれど これは どうでしょうか。

お礼日時:2023/03/24 08:36

空即是色


色即是空

クウキを読む事は大事です。
タテマエを知らずしてクウキは読めません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


空仮中の三諦。でしょうか。三つ目に中道の中諦をつけ添えると分かりやすいですね。

ものごと(色受想行識)は からっぽ(シューニャ)だが
その仮象として 現象が起きており(空・即・色受想行識)
全体として それとしての現実を捉えるべし。



想がそのまま行として現われるとは限らない。

したがって 一般に思想(≒生活態度)については たとえばのごとく タテマヘとホンネとが分かれたかたちで捉えられてくる。

ホンネもしくは《〈タテマヘとホンネ〉のひとまとまりを超えてどこからか働く究極のホンネ》が 形成されている。

これが クウキという観念の運河をまぼろしのゴンドラのごとく だれが漕ぐやら 流れて来る。



そこで:
★ クウキを読む事は大事です。
☆ ええ。そして 問題は 読んだあと どう考えどう反応するかでしょう。



クウキないしゴンドラの旗印は 何か?

その読んだ具体的なクウキに なびくのか?

そのクウキの中身を精査して なおその本質を把握するか?

ゴンドラを分解し分析するのか。

ゴンドラをさらに陰であやつる者がいるのか? それは誰か? その意図は何か?

何が狙いなのか?



もし必要ならば クウキに対しては 水を差せばよいのです。

ムダなクウキならば 消し去ってもかまいません。

そういう人材が いま ときに必要とされているのです。



交通信号のダブル・スタンダードからは 自由になるのが――落ち目の日本社会にとって―― 喫緊の課題でしょう。


クウキで出来た大きな巨大な繭の中にいるのは 居心地がよいのかも知れません。悲母観音像のごとくおさな児のようになって。


しかしながら・・・。

お礼日時:2023/03/24 04:30

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