
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
下衆の勘繰りで、何らの根拠が無い回答です。
織田家が没落したのは、信長と嫡男信忠が一度に討たれたからです、
その様を目の前で見ていた家康が秀忠に遅れるように指示していたと
勘ぐってます、知恵者の本多正信が付いていたのですから、そうとしか
思えないのです。
北政所の内々の了承を得ていたので、勝算は有ったでしょうが、戦では
何が起こるか解りません、万が一を考えての上の事と勘ぐっています。
秀忠を参加させなければ武家の棟梁の権威が失墜しますので遅れたの
口実にした。
真田にちょっかいを出す理由が見当たらないのです、そのまま素通り
過ぎれば良く、真田が出陣して来ても、備えながら行軍するだけの
軍勢が有りますし、何より知恵者の本多正信がいたのですから。
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織田信忠が信長の近隣に寝所を構えなかったら、明智光秀も行動
しなかったのではと、たらればで考えもしてます。
早速のご回答ありがとうございます。
<信長と嫡男信忠が一度に討たれた>ことを思い、家康は、<秀忠に遅れるように指示>していたのですね。
<「万一負け候わば、弔い合戦をすべしと…>という資料が残っていて、万一負けた際には、弔い合戦をするだろうが・・・、と自分の戦死をも想定していたようですね。
No.4
- 回答日時:
質問1
西軍は関ケ原の丘陵地帯の有利な地勢に陣を張り要塞化を進め、軍勢も着々と到着しつつあった。
家康は、謀略戦で毛利の一部や小早川などの裏切りをほぼ確定させていたが、戦機を逃すとどうなるか分からなくなる。例えば、万一、西軍総大将の毛利輝元が秀頼を関ケ原に連れて来たら完全に状況は逆転してしまう。
家康としては、状況が有利なうちに打って出るしかなかった。
質問2.これは真田昌幸が非常に上手く秀忠軍に対応したとしかいえない。命乞いしていたかと思えば、反撃に出る。わざと負けて上田城に向かわせ鉄壁の守りで秀忠軍の攻勢を挫く。昌幸の戦術の見事さを讃えるしかない。
早速のご回答ありがとうございました。
1.<戦機を逃すとどうなるか分からなくなる>という不安ですね。
家康軍より質量ともに優れている秀忠軍を待って万全の体制を整える、という余裕はなかったのですね。
2.<昌幸の戦術の見事さを讃えるしかない>ですね。
家康が西行するという連絡が遅れずに届いていたら、昌幸にかかわらず出発でたんでしょうが。
No.3
- 回答日時:
1)現場についてみたら、毛利が動かないという確信が持てたからとか?
2)直ぐに落ちると思ったらウソぴょ~んと裏切られて、どうするかと考えていたら家康から督促されて急行したって感じでしょうか。ある程度の長期的な戦になると考えていたのかもしれませんね。
20年くらい前だったか、石田三成が布陣した山から堀や柵などの跡が見つかって、数か月かけて準備をして長期戦を視野に入れていたのではないか?などという話を聞いたような気がするのですが、その後の話などが全くなく立ち消えてしまいました。何かの間違いだったのでしょうかね、少し気になっていますw
早速のご回答ありがとうございました。
1.<毛利が動かないという確信>ですね。
家康軍より質量ともに優れている秀忠軍を待って万全の体制を整えてから、とは考えなくても良いほどの余裕があったのですね。
2.<直ぐに落ちると思ったらウソぴょ~んと裏切られて>ですね。
家康が西行するという連絡が遅れずに届いていたら、昌幸にかかわらず出発でしたのでしょうが。
No.2
- 回答日時:
質問1.
時間稼ぎをすると、東軍に秀忠率いる部隊が東軍に合流するのと同様に、西軍には、大津城の攻撃に向かわせていた部隊が合流する可能性が高いんです。立花宗茂を始めとする猛将や精強な部隊がいるばかりではなく、総指揮しているのが毛利家。
関ヶ原に到着している毛利軍は吉川広家の手で東軍に内応する予定だけど、毛利元康率いる軍が西軍に加わったら……
という感じで、秀忠を待つというのもメリットとデメリットがあって、デメリットも意外に大きいんですね
質問2.
質問者さんのお考えはもっとも。常識的にはそうですね。ただ敵の真田昌幸は老練で、秀忠を足止めするために、攻撃したり、降伏・開城をほのめかしてみたり、若い秀忠を煽ってみたり……若くて線香に焦る秀忠が、周囲の家臣がいさめるのも聴かず、真田昌幸に煽られて足止めされたと言うことでしょうか
早速のご回答ありがとうございます。
1.家康は、西軍の陣容が優勢になる前に、今の東軍の陣容で戦いたい、ということですね。
2.老練な幸村の行為に秀忠がのせられた、ということですね。
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