東ドイツ西ドイツが統一できた理由がわかりません。
ウィキペディアでは
再統一後のドイツ
1989年、ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東欧の民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊した。翌1990年の10月3日に再統一(正式にはドイツ連邦共和国がドイツ民主共和国を吸収・併合した形での統一)を達成し、首都もボンからベルリンへと戻された。
なんて書かれていますがわかりません。
射殺されずにベルリンの壁を壊すことに成功したのはすごいですよね。東ドイツの人が監視の目をすり抜けて国境を越えれば、西ドイツベルリンの飛行場に行って西ドイツに逃げられるので。でも見つかれば射殺されることに変わりはないはずですし、そもそもなぜ射殺されなかったのか、壊れた壁がなぜまた建設されずにそのまま壊れっぱなしだったのか、わけがわかりません。
バタフライエフェクトではデヴィッドボウイが、西ドイツのベルリンの壁のそばで、東ドイツにスピーカーを向けてライブをし、東ドイツの人々の覚悟を変えたと言っていました。
東ドイツの人々の気持ち次第で統一するもんなら、とっくの昔に統一してるのではないですか?まあ、シャボウスキーが間違い発言したことがきっかけとなったからそのタイミングで統一したのかもしれませんが。
でも、東ドイツの人々の気持ち次第で統一できるのなら、別にベルリンの壁が壊されなくても統一しましたよね?気持ちの問題だったのですから。
ベルリンの壁が崩壊したというのは、東ドイツの多くの人々が西ドイツに行きたがっているという気持ちのアピールにすぎなかったのではないですか?でもその考えどおりアピールにすぎなかったとしたら、そのアピールなんて意味ありますかね?東ドイツの人々はみんな、西ドイツに行きたいに決まっていたと思うんで。
まあ、壁崩壊により国境を越えやすくなり、東ドイツから沢山の人々が出ていけるようになったなら、行きたい人を行かせるだけ行かせてみてから統一してもよかったのでは?いや、やっぱり、行かせないようにすればいいだけのことやったんやないですか?また壁を建設すればよかっただけということです。
そもそも私がいちばんわからないのは、米仏英統治の西ドイツとソ連統治の東ドイツがなぜに統一できたかがわかりません。各ドイツの背後にいる国が水と油なんですから。水と油がまざり合うなんて、なんでできたんですか?
スターリンやプーチンがロシアの大統領だったならば、東ドイツが西とくっつくことを許しはしませんよね?(逆もやっぱり駄目ですよね、西ドイツがソ連にくっつくのはまずい。)
だとすると統一できた理由は単純な話、当時のロシアの大統領がやさしい人だったからではないですか?
また、それならば1990年10月3日に統一しなくても、1991年末のソビエト連邦崩壊のころにはどっちみち統一したのではないですか?そのころになるとソビエト連邦の国は独立しやすい雰囲気だった気がするので。
よろしくお願いいたします。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
直接的な引き金としては、シャボウスキーの勘違い発言ですけれども、それを訂正も撤回もできず民衆の勢いを止められなかったのは、その前段階として東欧での民主化改革の流れがあります。
ベルリンの壁崩壊の序章と言われるのは、ハンガリーの「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ピクニック事件)ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E3%83%A8 …
この事件とそれに対する東ドイツ政府の対応をきっかけに、東欧諸国を経由して西へ脱出したいという東ドイツ市民の流れを政権が食い止めることができず、収拾が付かなくなって政権は崩壊、そしてベルリンの壁崩壊へとつながっていくわけです。
どれだけ民衆を恐怖で制圧しようとしても、何十万人、何百万人という「数」と勢いで殺到する民衆を制圧して黙らせるのは難しいということです。いくら銃器を持つ国境警備兵でも、戦闘態勢で軍隊が隊形組んで迎え撃とうとしているわけでもなく、たかだか数名~数十名の警備兵に向かって押し寄せる何万人もの民衆を目の前にしたら、自分の命のほうが危ないことに気づくでしょうよ。
ピクニック事件知りませんでした。
ありがとうございます、勉強になります。
ヒトラーやスターリンならばこうはならなかったと思います。
ですんで国というのは、大人数の民間人と政府との根性対決であり、政府が性悪すぎなければ民衆は勝てるもんやということなのかもしれませんね。
お返事ありがとうございます。
No.11
- 回答日時:
>ロシア大統領がやさしかったから、非道なことができなかったから
東ドイツ民への情けではなく、それどころじゃなかったのだと思います。
89年のソ連はペレストロイカで経済がめちゃくちゃでした。
その時点で、既に東欧諸国が離反していく動きもあった。
たとえば、ハンガリーの民主化は85年くらいから始まるし、バルト三国は88年に独立の意思を示しています。
確かに、89年の壁崩壊の後に雪崩を打ったようにことが進んでいきます。
だから壁の崩壊は歴史的には象徴として扱われますが、89年まで待たずとも、ソ連の弱体化と東欧革命が同時進行していました。
もう収集付かない!ってなったのが89年なのでは?
ありがとうございます。
そうでしたか、ペレストロイカというのでめちゃくちゃでしたか。
知らなかったです、勉強になります。
そうですか、やはり壁崩壊は歴史的象徴にすぎず、大きなムーブメントがその前から来ていたんですね。
ということは、統一できた元々の理由はペレストロイカかもしれませんね。
当時のようすがイメージできてきました。
お返事ありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
>当時のロシア大統領が優しかったからなのではないですか?
当時「ロシアの大統領」なんて存在しません。ソ連です。
ゴルバチョフはペレストロイカでソ連内部での改革を進めようとしたようですが、東欧諸国での民主化革命の勢いもあり、ソ連が手綱を握りきれず、押し寄せる波に堤防が決壊して内部から崩壊、という印象です。
「優しかった」という感情的なものではなく、あくまでも政治的な局面での対応の問題です。1991年1月、前年に独立を宣言したリトアニアにソ連軍が侵攻して、複数の民間人が亡くなっています(1月事件、血の日曜日事件)が、これはゴルバチョフ政権下での事件です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE …
当時のソ連指導者がスターリン的な鎮圧をしない「優しい、非道なことができない」人だったわけではないですよ。
ありがとうございます。
>当時のソ連指導者がスターリン的な鎮圧をしない「優しい、非道なことができない」人だったわけではないですよ。
う~ん、でも13人ですからね。スターリンとはレベルが俄然違うと思うんですが。
>当時「ロシアの大統領」なんて存在しません。ソ連です。
いやはや、お恥ずかしいです。(笑)
早い話、私、馬鹿なんです。勉強になります。
こちらもほんまに勉強になります、ほんまにほんまにありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
補足を読みました。
>ならばシャボウスキーが間違えなくても、ラウラーの規制緩和の案が閣議決定されたならばどっちみちベルリンの壁に意味はなくなりましたよね?自由に西ドイツに行けるんですから。
>もしそのとき閣議決定されなくても、民衆の意見に耳を傾ける気が政府にあるからにはどっちみち時間の問題で自由に西ドイツに行ける運命だったんやないですか?
実際には「ビザ発給の条件緩和」だったのだけれど、シャボウスキーが間違えて「ベルリンの壁を含む」「ただちに発効」と言ってしまったので、ベルリンの壁に東ベルリン市民が殺到して収拾が付かなくなり……、という状況ですね。
ビザ発給条件の緩和、という条件だったならば、ビザ申請があっても理由を付けてビザを発給しない、ということが可能なのですよ。東ドイツが恐れていたのは西側への頭脳流出・人材流出ですから、相手を見て「東ドイツにとって有益な人材は西に逃がしてはならない」と判断して、ビザ申請を却下することだってできるんです。
それまでは西側に行くのは絶対に無理だったのを、ビザ発給という条件付きで緩和するよ、ということにするはずだったのが、無条件に緩和するよ、と間違って言ってしまったので、それを信じた民衆の勢いがすごすぎて収拾が付かなくなってしまい、政権崩壊に繋がったのです。
ほんまにありがとうございます。
補足についてのアンサーもいただきたいなと思っていたのです。
なるほど、充分納得しました。ほんまに満足しました。
ほんまにありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
・壁が壊れるのを、東ドイツの政府はただ見ていたのか?なぜ取り締まらなかったのか
→やってましたが鎮圧に失敗しました。シュタージはデモを取り締まって、逮捕や拷問を繰り返していたと思います。調べてみてください。最終的に、デモが拡大し収集がつかなくなった。
・「象徴的に」壁が壊れただけで国が崩壊するか?
西ドイツやハンガリーが東ドイツからの移住を受け入れたから、壁があろうとなかろうと、もう収集付かなくなっていた。
特に、89年のハンガリーの民主化の動きが大きいと思う。
東ドイツ単独の革命ではなく、ヨーロッパ全体の動きに呼応して、ということだと思います。
「鉄のカーテン」をお読みください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E3%81%AE …
お返事ありがとうございます。
勉強になります。
でも、スターリンならば鎮圧に失敗しましたかね?
それを考えるとやはり統一できたいちばんの理由は、ロシア大統領がやさしかったから、非道なことができなかったからなんでしょうね。
No.4
- 回答日時:
面白いですね。
そのときソ連が頼りにならなかった、メルケル西ベルリンで飲んでまた東ドイツの自宅に戻る(戻ってまたすぐ閉鎖したらどうすんの?)、シャボウスキー服役と恩赦、など。
お返事ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
東西ドイツの経済的な格差が広がっていました、国家統制による国家経営
が自由主義市場経済の国家経営に負けたからです。
東欧の国も自由主義市場経済への機運が高まり、ソ連の軍事力による脅しが
効かなくなり、自由主義経済を取り入れた国家運営に転換して行きました。
ソ連邦に加わっていた周辺国も独立して、ソ連邦は解体しました。
貧富の格差が無いはずの労働者の国は、王様が共産党に置き換わった
だけの「絵に描いた餅」だったのです。
ソ連の国々の経済が悪かったことが、かなり原因なんですね、知らなかったです。
なぜそうなったんでしょうね。
“貧富の格差が無いはずの労働者の国”とは、初心の志しですよね。つまりレーニン主義のことですよね?
勉強になります、お返事ありがとうございます。
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“ベルリンの壁を崩壊させたのはある男の勘違いだった”
というサイトを拝見すると、
>壁が東西を分断しようとも東ドイツから西ドイツへと自由を求める声は止みません。
次第に募る民衆の不満は旅行の自由や言論の自由を求めた大規模デモにまで発展。
頭を悩ませた旅券局長ラウラーは「外国旅行を無条件で認める」「出国ビザを遅滞なく発行する」という規制緩和を打ち出すのですが、この政策を閣議に通す前に誤って発表してしまったのがシャボウスキーという人物です。
とあります。
ならばシャボウスキーが間違えなくても、ラウラーの規制緩和の案が閣議決定されたならばどっちみちベルリンの壁に意味はなくなりましたよね?自由に西ドイツに行けるんですから。
もしそのとき閣議決定されなくても、民衆の意見に耳を傾ける気が政府にあるからにはどっちみち時間の問題で自由に西ドイツに行ける運命だったんやないですか?
ほんなら東西ドイツが統一できたわけはやっぱり、当時のロシア大統領が優しかったからなのではないですか?
ベストアンサーはkifimi_gooさんに差し上げることにしました。
ひとつひとつ疑問にピンポイントでヒットされたからです。
でもみなさん、かなりすばらしいことを教えてくださいまして、ほんまにありがとうございました。やっぱりほんまはみなさんにも差し上げたいです。
シンプルなアンサーの方もほんまにわかりやすくてありがたいです。
みなさお返事くださいまして、ほんまにほんまにありがとうございました。ほんまにほんまに勉強になりました。