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日本の鉄道はかなり時刻表に正確なのは世界でも評価が高く、
かつあまりのズレの少なさに驚かれることのようですね。

また、先日テレビを見ていたら、インタビューに答えていたヨーロッパの女性が、
「母国では15分くらいの遅れは遅刻とは言わないわ。日本は5分前到着が常識よね。おかげで友達を2~3人失ってしまったわ」と答えていました。

確かに、日本はとても時間に正確に生きている人が多いと思いますし、
良いサービスの提供には時間の考え方が根付いていると思います。
時間にルーズだと信頼を失うことすらあるくらい、時間を大事にしています。

なぜ日本はこのように時間に正確な文化が根付いたのでしょうか。

A 回答 (10件)

>なぜ日本はこのように正確な文化が根付いたのでしょうか。



昭和の30年代までは結構時間にルーズでしたよ。
集会に集まるのは夕方6時とかであれば 6時から始まるのではないから5分過ぎに行けば間に合うと言う感覚しかなかった。
どうせ 早く行っても待たされるのだから,,,
農村部では開始時間と集合時間が、同じでなかった。

今の入場開始時間に出向く人はなく 開演時間に間に合えば良いと言う考え。
先に行ったものほど馬鹿を見ると言う風習があった。

昭和40年代になって 時間を守る運動
「あなたが10人の人を待たせて会議開始が10分遅くなったら全員合計すれば1時間40分待たせたことになる」
と、教わったことがある。

開始時間5分前には集合する

が、当たり前に変わってきたとも言える。

国民の時間に対する意識の変化の時期はつい最近芽生えたものであると私は思う。

交通渋滞で遅れがちのバスさえも時間を守って途中バス停で時間調整するのには閉口するが、これも国民性で 時間より1分でもそのバス停を出発したバスに対してバス会社に電話する輩も出てくる始末である。

余裕のない時代になったのかも判らないが,,,
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鉄道に関しては素人ですが、鉄道の時刻が正確になったのは鉄道運行の発展の歴史と深く関わっていると仮定して、ネット検索して調べた結果、1906年(明治39年)の鉄道の国有化の影響が大きいとの結論に達しました。



当初は汽車も少なく単線のため、ダイヤ編成にあたってはいろいろと苦労しているのではないかと考えました。
たとえば。すれ違いの待ち時間を長くできない、というのと、電車の各区間のダイヤには「接続」している電車があるので、A区間とB区間を接続する電車についても時間のずれを最小にする必要があるため、鉄道運行のなかで正確な時間で運行する重要性が高くなっていったのではないかと思って調べてみると・・・・。

新橋~横浜間の鉄道開通は1872年(明治5年)に対して、複線化1881年(明治14年)とかなり早い時期に複線化しており、これによってこの区間のダイヤ編成の自由度は大きくなっているようです。
また、東海道本線(新橋~神戸)の全線開通は1889年(明治22年)で複線化は1913年(大正2年)と、長距離の区間にしては短期間での複線化を達成していると言えます。どうも単線はあまり関係なさそうな雰囲気です。

その時に、国鉄になにかキーワードがあるかもしれないと思って調べてみると、かなり早い時期に国有化されており、これだ!!! と思いました。
なお、鉄道発祥のイギリスでは民営による競合淘汰により集約が図られていったことから、鉄道会社間では時間の正確さよりもスピードを競ったと思われます。
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元々、電車は国鉄で国が運営していました


車掌も敬礼です。軍隊のように厳格だったのでしょう。

つまり兵隊が電車を動かしていた?
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元々は日本もルーズでした。


ただ、鉄道が走った時、天皇陛下が汽車に乗ることになり、変わったのです。

陛下のスケジュールに影響を与えてはならぬと。
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日本が時間に正確な文化を持つようになったのは、明治時代に西洋の時刻制度や鉄道事業、郵便事業などが導入されたことが大きな要因です。

それまでの日本では、不定時法という季節によって時間の長さが変わる複雑な方法で時刻を測っていました。また、庶民の間には時計を持つ習慣もなく、鶏の鳴き声や寺の鐘などで大ざっぱに時間を知る程度でした。しかし、明治6年に太陽暦と24時間制の定時法が採用されると、時刻表や機械式時計が必要とされるようになりました。特に鉄道や郵便は正確な時刻の管理が重要であり、人々は分刻みの時間を意識するようになりました。このようにして、日本人は西洋式の時間観念を身につけていったのです。
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交通機関はともかく、北海道や沖縄は友達の約束は2-3時間ずれが当たり前と聞きますよ。

そういう暗黙のルールがあればあとは慣れです。5分10分の遅れが一番たちが悪く、「それ頑張れば間に合ったよね?」=努力の足りない人というレッテルが貼られます。最初から時間は守らないものだというルールにしておけば波風たちません
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狭い国だから時間を守るつもりがなくても守れてしまう。

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一番は、時間に関する概念が明治以降になって変わったことでしょう、定時法が導入され、それで社会全体がそれを基軸に行動するようになった



そこから先はたまたまだと思います
日本社会がその方が上手く回った時代が長かった、時代が変遷する中で現在の時間感覚が作られてきたってことだと思います

例えば時間割を守らないと授業が受けれない、怒られる
電車に遅れる、迷惑がかかるとか損をするとか
戦時中にはそれひとつ違えただけで負けることだってあったでしょうし、戦後のエコノミックアニマルを生み出した時代なんかも、1分1秒の時間を争う競争の社会だった
そういうことが繰り返されて、時間を守る利点というものが、日本人の中により強く見出されてきたんだと思います

とはいえ、日本でものんびりしてて問題ない地域や世代では、今でも割と時間はルーズだと思いますけどね
田舎と都会では時間に関する感覚って今でも違うと思いますし
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>なぜ日本はこのように時間に正確な文化が根付いたのでしょうか。


これは、明治政府の富国強兵の方針から、学校教育の現場で、時間を守ることが指導されたことと言われます。
全ての国民は、定めた時間を守ることが約束や契約を守る事で、国を強くすることが富を生むことと同一であると。

製造現場も時間を守ることが生産性や品質の向上に繫がります。
時間を守ることですべてのことが個々の予定どおりに進む。

日清戦争も弱小国家の日本が巨大な清に勝てたのも偶然でないと。
たった4万の兵力で104万の清に勝って世界を驚かせた。
兵の規律正しい動き(時間厳守)とダラダラした清の兵は連携が上手くない(ルーズな動き)でしたからと分析。

日本は江戸時代までは時間にルーズでしたが、明治政府の方針で時間を守ることが国を強く豊かにしてきた。
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おそらく、時間を守ったかどうかは、はっきりと見た目でわかるわかる指標だからでしょう。


内容で評価するのは難しいことが多いですが、物差しに合っているかどうかは誰にでもわこりますから。

ただし、これ、主に始業とか集合とかのはじまりに限ったことで、終わりについてはわりとルーズだったりしますよね。
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この回答へのお礼

おおおお…!
「終わりについてはわりとルーズだったりしますよね」ま、まさに…!
今、目からウロコでしたw
終わり時間はルーズでだらだらしてること多いですね…。

お礼日時:2023/10/25 11:07

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