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アメリカなどでは、小学校から飛び級を採用していると聞きます。
日本では全く一般的ではなく、同じ年齢の子が同じ内容を学習するというのが習わしですが、
日本の学校で飛び級を採用しないのはなぜでしょうか。
また、日本でその制度を入れたらどうなるでしょうか。

A 回答 (16件中1~10件)

実際に海外のスクールに行ってた子に聞いた話ですが、


「今は理科はしていない。理科の先生が産休に入って見つかってないから。」とかあるらしいですよ。
日本だとあり得ないと思うのですが、マジですよ。

またアメリカの大学に進学するSATテスト(日本の共通テストにあたる)はアジア人には簡単すぎて、インド人や中国人、韓国人が受けると母語でない英語で受けますがほとんど満点をとります。

しかし、アメリカ人にはSATがまるで出来ないのです。
いろいろ言われますけど、ITなどの新産業も殆どが移民や移民の子です。
ヤフー作ったのはアジア系、
facebookやGoogleはロシア系ユダヤ系です。
今のマイクロソフトやグーグルのトップはインド系です。
医学部やや法学部は多いときは50%以上はアジア系です。

英米は特に教育システムとしては酷いと思います。だから金持ちはみんな私立の一貫校に行かせます。
それはオリジナルの教育の話ですし、アメリカ人のほとんどはその教育環境は享受できません。
年間に500万円もかかるわけで、
日本で言う開成高校や慶応女子中高みたいなもので、それを指して「日本の教育はどうこう」言うのはおかしいように、それはアメリカのスタンダードの教育ではありません。

そんな環境であれば、保護者にある程度の自由度を与えるのは普通かもしれません。
自由度を与えるが、
普通の英文が書ける、最低限の算数のできる保証はしませんよ?となります。

日本などアジアはその辺は厳しいけどきっちりしてます。
取り入れても何も変わらないと思う。
受け入れる体制が高校や大学でないから、その手の子は悪く言うと伸び悩むと思うし、
最悪なケースは鬱病とかイジメ、自殺が近づくと思う(アメリカですらあるのに、日本のような同質化な社会なら、かなり危ない選択かなと思う。)
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大人です。



アメリカでも飛び級はマイナス面で語られることも多く(ハーバードなどに行く秀才もあえて飛び級しない人が多くいます)、日本人って結局はカイナイデワーが多いのだと思います。

飛び級もいいんじゃね?
と思ってましたけど、最近は確かに日本にそぐわないよなって感じるようにもなりました。
日本では学力だけでなく、全人的な教育と発達が求められてますし、
運動会であんなに上手にダンスができる、揃って行進ができるのは、それはやはり低学年からやってるからです。
休み時間の掃除もそうですし、挨拶や、
おはしの持ち方もそうです。
すごく丁寧に教えてます。

日本だと例えば部活必須だったりしますよね?
もし10歳の子が、部活に入るとすると、そのカテゴリーでは勝てない。
文化系なら違うかもしれないけど、本当はラグビーがしたい、バスケがしたいと言ってもあきらめるしかない。
「勉強はできる」と仮定しても、挨拶できない、敬語できない、ダンスできない、スポーツできない、
下の学年で習ってきたような教育内容を理解してない、
このような状況で本人にもストレスですし、
周りから見ても「勉強しかできない、劣った子」にしか見えないでしょう。

あとやたらアメリカマンセーの人いますけど、アメリカのピサテスト(15歳で受ける)の結果って相当悪くて、
大半が九九もできない、そもそも英語ができない、
まともな文章を書けない、なんてことも多くあります。

欧米は公教育レベルとしては明らかに日本より低いのに、それを目指すのは笑っちゃいますよ。
サッカーで言えば日本はフランスやブラジルレベル、
アメリカやイギリスはカンボジアやミャンマーレベルです。
フランスやアメリカのピサの結果が世界最高峰なら話も変わると思うんですけど。
実際は北欧とアジアが上位を占めてるのですよね。
なんで教育レベルの劣った国の方針に合わせなきゃならんの?

てのが正直なところですね。
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日本で飛び級を導入するには、もっと自己責任で他者から干渉されにくいような土壌が必要な気がします。



だからたぶん無理でしょう。
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面倒くさいのでしょう。


一人一人を評価する事が。
みんな一緒が簡単なんでしょう。
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日本の学校で飛び級を採用しないのはなぜでしょうか。


 ↑
日本は、仲間内の「和」を大切に
するからです。
「和を以て貴しとなす」
です。

一握りの天才を育てるより
国民全体のレベルアップの方が
大切だ、という考えがあります。



また、日本でその制度を入れたらどうなるでしょうか。
 ↑
これはOECD調査団が指摘しています。
・お互いに思いやる、という
 風潮が崩れる。
・平均的学力は下がる。
・落ちこぼれが増える。
・世界的な科学者や思想家が
 登場する可能性が高くなる。
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『アメリカなどでは』とおっしゃっていますが、少なくとも私が暮らす町の公立の小中高校は飛び級を採用していません。



理由は、ここの学区の義務教育課程の公立の学校の教育に対する考え方が、『(勉強の単位・成績さえ取ればいいのではなく)人間性・社会性を身につけ、人としてひとり立ちできるようにする』というのを目的としているからです。

飛び級なんて良いこと何もないんじゃないんですか?





ウチの町の小中高校の教育の様子を紹介してみます。

まず、成績だけで言うと、この町の学校はとんでもなく高いレベルです。

この町は、世界的に権威があると言われる THE などの世界大学ランキングで東大と比肩する州立のマンモス総合大学で、この大学には現役のノーベル賞受賞者が何人もいるほどです。

そういう大学ですから、そこに来る学生は世界中から集まってくるわけで、その子たちは出身校での成績がトップから一けた台の順位なのが普通です。

そんな大学に、この町の学校からは毎年 500 人前後の子どもたちが進学します。
他の優れた大学に進学する子も入れれば、その総数は7~800 人にも達します。

アメリカのそれなりの大学には日本のように地元優先枠とか指定校優先などと言うものはありません。
だから、この数字はこの町の学校の子どもたちのレベルが異様に高いことを素直に示しています。

なぜそんなに優秀な子がたくさんいるのか。
それは、彼らが優秀な人たちの子弟だからです。

優秀な親たちは、子どもたちに良い教育環境を提供したいと考えるものです。
それが出来れば、そういう優れた親たちはここで安心して研究や教育に専念できます。
その結果、大学はいい研究成果を出し、優れた人材を輩出でき、町としてはここを教育水準の高い大学の町として維持できるということになります。

なので、町はそういう子弟に対する高いレベルの教育環境を提供するように小中高校を整備運営しています。
そのひとつの現れには、たとえば、高校ではすでに大学での初歩的な勉強の部分を教えたりもしているというのがあったりします。

飛び級が必要なら大学に行ってからすればいいのです。
アメリカでは大学に通うのにかかる費用は日本の十倍にもなります。
高校での飛び級は時間の節約ぐらいにしかなりませんが、大学で飛び級が出来れば、結構高額なお金の節約にもなります。
もっとも、飛び級できるぐらいの子どもなら、いい成績でグラントなんかもたっぷりもらえるでしょうから、その必要なんてないかもしれませんけど。

これがウチの町の小中高校で飛び級をしないひとつの背景です。





もうひとつが、小中高校は勉強というより『ひとり立ちの準備をさせるところ』という意識から飛び級を必要としていないという点です。

ここの学区限らないと思いますが、多くの公立小中高校は、子どもをひとり立ちさせるための教育というのもやっています。

当地では、幼稚園の年長さんから小中高校までが義務教育です。
そこから、高校を出ることが、子どもが親から離れて自分で自立して生活を始める自立の時だという考え方が生まれています。

子どもは、大学に進学しようが社会人になろうが、高校を出たらそこから先親から離れます。
離れるとは、普通は、家を出て自分で稼いだお金で暮らすことです。
大学に進学する場合でも、住む場所を探して家を出て、そこでの暮らしと大学に通うためのお金は子どもが自分で何とかするのです。

そこで大変になるのが高額な大学の学費です。
また、生活費も安くない当地では、それをどうするかも大きな問題です。

ウチの町の大学に行っているウチの子どもたちの例を言えば、学費に年額約 600万円、生活費に年額約 400万円かかっています。
つまり、4年間大学に通うには4千万円かかるのです。

もちろん返さなくていい奨学金をもらったりも考えますが、大金が必要であることに変わりはありません。
それをどうするかと言えば、借りるのです。
財団から奨学金を借りたり、金融機関からローンで借りたりして調達します。

中には親に出してもらう子も居なくはないですが、家を買えるほどの金額をポンとあげられる親など多くはありません。
子どもがひとりじゃなければなおさらです。
だから、たとえ親からという場合でも借りるのが普通です。

借りるのですから返さないといけない。
高額な借金を返すのですからそれは簡単ではありません。
ではどうするのか。

それは、しっかり勉強し、優れた知識・技術・技能・ノウハウ・経験・実績・人脈を手に入れ、身につけて、他の人がやらない・やれない・他の人より優れた結果がだせるようになることで、少しでも良い報酬を手に入れられるようにするのです。

だから当地の子どもたちはよく勉強します。

なぜそれができるか。
それは、そういった子供たちは、高校までの段階で、大学以降の人生設計がしっかり出来ており、大学ではそれを忠実・着実に実行しているだけだからです。

彼らは社会に出てどう働くかをもう決めています。
かれらは大学を出たら即戦力で実力を発揮し、それでいい報酬を得るつもりなのです。

『大学を出たら即戦力』と簡単に書きましたが、ここが日本と一番違う所です。

日本の大学生は、大学では知識を覚える勉強しかしません。
講義で勉強する以外は、バイトで小金を稼ぎ、それで飲み食いやサークル活動や休みの時の旅行を楽しんだりして大学生活を楽しみます。
社会に出て企業に就職すると、企業が用意した研修や工場などでの実習を経て働き方を勉強し、教育係の先輩に付いて手取り足取り実務を教えてもらい、その後も試行錯誤の時期を経て数年をかけて一人前の社会人となります。
つまり、大学を出ただけでは全く戦えないのです。

では当地の子どもはどうやって即戦力の能力をつけるのか。
それはインターンシップです。

当地の子どもたちは、大学の講義や実習・実験などで学んだことは、何とかして実際に使ってみようと考えます。
それを通し、理論を現実に役立たせるために必要なものごとを学び、それを身につけて理論を実際に役立たせられるようにするのです。
そのために、理論を実際に使う場を探し、その現場に入れてもらい、それを使う機会を作ります。
そのために、それを使う企業や機関に雇ってもらうのです。

ウチの子どもたちは医歯薬バイオ系と理工系が専攻だったので、大学に入るとすぐに、専攻したい学科の研究室を訪ね、そこの研究の助手をインターンとしてやらせてもらう交渉をして混ぜてもらってました。
そこでは、研究の助手のほか、その研究室に出入りしているスポンサー企業の研究施設での仕事にも混ぜてもらい、いろいろな経験をさせてもらってました。

結局、このインターンシップを通して、日本の人が企業に入ってからする『働き方を覚える』ということもやりつつ、『勉強したことの生かし方をマスターして慣れる』と言うこともやるのでmただ企業戦士になるだけでなく、専門知識の使い方にも習熟した『即戦力』になるというわけです。

こういう考え方は、主に小中学校の段階で子どもたちに教えます。
教えるというより、子どもたち自身で、親などの生活を調べさせ、社会の実際の様子を調べさせ、自分がどうしたいかを考えさせ、自分の一生を設計させるのです。

小中学校のある学年の時間割では、いろいろな科目に交じり、人生設計と言うのも一年を通して考える授業として数コマ使っています。
そして、中学を出る頃には、自分が確立したい生活と、それを支えるための職業に対する具体的なイメージが子どもの中に作られ、高校の期間を通してそのための準備が行われます。

当地の大学には入試がありません。
それに代わるものは自己主張です。
日本で大学の願書の自己主張と言えば『頑張りまぁ~す』という青年の主張と言うか読書感想文のようなものを想像しますが、当地でそんなものを書いたら門前払いを食らうだけです。

当地のそれなりのまともな子たちは、高校の段階から大学で勉強したい専攻についての準備をしています。
その好例が日本の大震災の時の募金活動です。

あれはただの赤い羽根募金のようなものではありません。
将来企業経営を目指して経営学を専攻したい子は、人を集めて募金活動を企画します。

ジャーナリズムを専攻したい子は、そんな活動に参加し、自分で被災情報をかき集めて記事を書いて報道機関に持ち込み、募金活動と結びつけて報道してもらえるように売り込みます。
芸術専攻を希望する子たちはチャリティー行事を企画したり、ポスターやテレビのCMなどを製作したりします。

当地の子たちはそうやって専攻したい分野で自分が出来ることを考えて実行することで、『自分はこれだけ専攻の準備が出来ている』と言うことを証明する実績を作るのです。
かれらは、大学の願書の中でそれを前面に押し出し『私はこれだけやる気があり、社会に役立てる能力がある』と訴えるのです。

理系のウチの子どもたちは、国際懸賞論文に応募するチャレンジをしていました。

当地の子たちは、そういうことに高校の時間を使います。
それで実績を上げるには時間がかかるもので、飛び級なんて言ってられません。

飛び級をしないもうひとつの理由でした。
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日本は『周りと同じ』『協調性』『目立たないこと』を大切にする国民だから…

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日本民族は横並び意識が強すぎるから。


少なくとも「ふつう」神話がはびこっている限り、飛び級は弊害しか生まない。
「あの子は飛び級できたのになんでこの子は・・・」
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日本では、みんな一緒、横一列がもっとも重要視されます。

単一民族からなる日本では「出る杭は打たれる」とされ、誰かが突出するとみんな嫉妬し、足を引っ張るんです。日本の文化は嫉妬の文化なんですよ。
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この回答へのお礼

そろそろその画一的な考え方から脱したいですよね、と思っちゃいます。

お礼日時:2023/11/21 17:31

多分、学校の概念が違うんだと思いますよ。



日本の学校は義務です。
だから、別途塾に行ったり、家庭で学習したりして、100点を取ることが目的になっています。

でも、アメリカの学校は塾みたいなものなのだと思います。
学校を卒業することが目的なので、1年生の時に学校で足し算引き算を習い、家で掛け算は教える。
そうすると2年生はやる必要がないから飛び給して3年生になる。
でも、2年の授業を受けていないので3年でわからないことが出てきたら、家庭で勉強する必要が出てくる。

実際、日本でも勉強を先に勧めている子供は、学校で復習しているだけです。
それって無駄だよね?というのが飛び級の考え方だと思います。


日本で飛び級をやったとしても、飛び級を利用する人は少ないのではないでしょうか。
100点取れなくなりますし。
アメリカでは学費を抑えるために大学を3年で卒業するという例もあるようですから、貧乏学生が利用するかもしれませんね。
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この回答へのお礼

なるほど、説得力ありますね!
そして飛び級をすると学費が抑えられる…確かに仰る通りですね。
日本も自分で勉強できる人はそうして学費を抑えつつどんどん社会に出ていってもいいのではないだろうかと思っちゃいました。
そんなに意欲のある学生が多いかどうかは別問題ですが…。

お礼日時:2023/11/21 17:30

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