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現在品質保証の業務をしているものです。
生産部及び生産技術部門にも所属しておりました。

これまで3社経験して、製品品質の不正をみてきました。原因は下記の2つです。

①会社の圧力による不正(設備投資に金がかかるため、手順にはない誤った不正方法で製造する)

②忙しさによる不正(1度にいくつもの試験を同時に行わなければならない為、試験操作が雑になり手順書通りに試験が行われず、簡略された試験操作が行われている。)


②に関しては会社が残業を許さないために、時間内で終わらせようとして担当は同時に試験を行っている。

どこの会社もこのような状態であることは知っております。

ですが、どうしたら不正はなくなるのですか。
私の部署では毎日不正がみつかり、(同僚のチクリ)部長や課長が担当者に怒ってます。
怒られた担当は時間が与えられないから適当になるのは当然といいます。
これに対して部長はやり方、仕事の進め方が悪いの一点張り。

これが日本の製品品質クオリティーですか。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。
    当然と書かれていますが、
    さまざまな認証や法律に準拠出来ている会社が日本にあるのでしょうか。あったら教えて欲しいです。
    私は最高クラスの品質を保証しなければならない業界にいましたが、不正だらけでした。監査する立場にありましたが、大手も然りです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/02/11 13:18

A 回答 (3件)

> 私の部署では毎日不正がみつかり、(同僚のチクリ)部長や課長が担当者に怒ってます。



問題はここですか?
私は質問者のことを何も知らないのですが、本来であれば、正しい手順を踏んでいない製品がエンドユーザ側で事故を起こしたりすることを本気で心配すべき立場だと思うのですが、いかがでしょうか?

ただ、実際にはそのような事態は起きていないなら、そこまで手順に固執する必要がどこにあるのかを、今一度考えた方がいいように思います

さまざまな認証や法律に準拠する必要は当然あるとしても、設備投資や人権費などのリソースには限界があります
その限られた状況でできる手順を、新たなスタンダードとして会社に認めてもらうといった働きかけを進めた方が、かなえることのできない理想を追い求めるよりも現実的かと思いました
この回答への補足あり
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日本社会の現状を複合的に反映した現象だから、「こうすれば」など簡単に答えることはできない。


まともに答えれば論文ができてしまう。

70年代のアメリカも似た状態だった。
製品を作れば不良品。
検査をすれば不正。
完成品の中に食べ残しのランチが入っているといういい加減さ。
日本はアメリカに常に50~60年遅れている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。こうすれば。なんてないですね。
私は①の案件で今より若い頃に、上司は首になり、工事長は自殺した経験があります。このような社会で私はどうしたら良いかと思ってしまい質問してしまいました。

出来ないことをやれという社会や組織にうんざりです。

お礼日時:2024/02/11 13:31

中々苦しい質問ですね。

理想論で語るには重すぎます。似たような事例も増えている様です。恐らくは「その様な状態」になる前に「慢心」があったのでしょう。今更言っても仕方ないですが歯止めはかけたほうが良さそうですね。

以下は長いので興味があればお読みください。

私が思うに「それぞれの人が何か一つ諦めないといけない」と感じます。大岡裁判みたいなのがありますよね。何もせずに「以後気を付けます」で凌ごうとして破綻しているわけです。

経営層が投資をせずに品質保証をしようとしています。どちらかを諦めるべきです。投資の余力が無いならば、品質を変えても受け入れてくれる利用者を開拓すべきでしょう。以前の様に営業展開したい(顧客筋が安定しており、そこからの収益が命綱みたいな状態になってしまっている)という気持ちを諦めるべきです。お客を変えて成長するというビジョンを持てば再起可能だと思います。その意欲が減ってきているという事に気づくべきなんでしょう。

品質保証部隊は「手順書の強化」を諦めるべきです。正しい手順の通りに実施されていないのに「手順書」がある状態が問題です。これは「秩序の乱れを忙しさによって正当化する」慣習に結び付きます。例え安心できな手順であっても「まずは手順通り実施される」という状態を一度作るべきです。

「勇気をもって簡易なモノを正規手順としてみる。その上で
 生じる弊害は必ず実施者に共有し会社側の責任であるとア
 ピールする。品質の劣化や苦情が労働者側の責任となって
 いる状態が危険である。こういう状況では工夫をしたり、
 改善したりするモチベーションが育たない」

手順通り実施されていないのが原因であろうとも、手順書が簡易過ぎるのが問題であろうとも、企業側が批判されるのは変わらないんですよ。外部の人にとってはどちらでも同じです。実現不可能な手順書を作って結局手順通り実施されないというのは損が拡大します。どうせ実施されない部分は手順として公式化せず「お前は悪くない」と上から言ってあげるだけで実施部隊はやる気を失わないんです。自ら「これはやっておくべきだった」と言うでしょう。

「結果は変わらないと割り切ることが智慧である」

つまり損(障害や問題対策に費用が掛かる)をしている状態を嫌だ嫌だと我儘を言うのではダメなんです。

「すべてやられてはいけない。どの資産を守るのかと考えた
 時、従業員のやる気や忠誠心だけは守ろうと考える発想が
 賢い。何故なら現状の評判が経営者の責任とされたとして
 も、実際は前任者の問題かもしれないからだ。ここは冷静
 に一歩引いて『この状況でもっとも損をしない考え方』を
 すべき。後継者が感謝をするだろうという発想も良い仕事
 であるはず」

逆に何十年もたって「あの人のせいだ」と言われるのだけは避けるべきです。もっともあってはならない労災です。

今の状態は品質保証が出来ないまま、従業員のやる気も下がっていますよね。後者は余計な損失です。会社の評判が悪いのに社員にやる気があって活気があると「智慧」「改善」「工夫」が起きるわけです。ベンチャー企業と言うのはこれ一本でやってます。また社員のやる気を(一度でも)下げてしまうと企業に投資余力が出来た後で(例えば後継者の)経営者が困る事に成ります。また管理者であっても同じですよ。

「新しい資本が入って良い仕事も増えたのに、何故か従業員
 にやる気見られない。どうしてだろう?」

こんな悩みが出てくるはずです。恐らくはもっと以前に「従業員の体や心が傷ついている」と怯える感覚が無くなり「ダメな奴が手を抜いている」と言う論法を使ってしまったのでしょう。または気が付かないうちに配下の者がその様な論法を展開してしまったのでしょう。それが「経営者の意思」と誤解されてしまい、亀裂(コンフリクト)が生じているのだと思います。

この状態ですと経営者が変わっても「別の人になった」と考えてくれません。トップが変われば組織が変わると考えらえれるのは「社員にやる気がある」時だけです。これを失ってしまうと手も足も出ないんです。今の日本の政治も同じです。トップが変わっても何も変わらないと日本人が思う様になるとジリ貧なんです。そこまで全体のやる気を損なわせてはいけませんよね。後継者が苦労するだけです。

管理者や経営者は、

「社員にやる気が無いのは自分の性ではない。前任者のせい
 である。しかし前任者もベストを尽くし、その前任者が残
 した課題に取り組んでいたはず。誰の性でもない。いまは
 これを何とかしないと行けない。結果ではない。再度成長
 したいと皆が思う様になること。それを取り戻すことを第
 一にするのが今の自分の仕事である」

と「今を維持する」「何事も起きてくれるな」と考える部分を諦めるという事です。どうせ何か起きると考えて「その時に必要以上に社員が落ち込まない」ように働きかける事を仕事と捉えなおすわけです。その様に一度覚悟を決めておくと「怒りたくなる」気持ちが収まります。例えば「怒った」としてそれが得に結びつくのでしょうか? 良い事は一切起きません。君の性じゃない悩むなと(本音とは逆だったとしても)言葉に出来れば、どのくらいの貢献となるのか? 見えない部分で凄い効果があると思いますよ。

「今この時に社員を反省させることは本当に必要なのか?」

これこそ夢物語ですよね。反省と言うのは自ら後悔して行うもんです。普段お世話になっている人が「俺のせいだ」と言うから部下はキツインデスヨ。普段お世話していない人が「反省すべきだ」とやれば大変な事に成ります。その振る舞いだけで見えない損失が生じているんです。

「悪い。管理者の皆さん。何か起きたら部下に謝って俺の
 せいだと泣いて下さい。それで相当な効果があります。
 仕事だと思ってやってみてください」

ぶっちゃけこういう指示を出してもいいくらいです。実態がどうであれ「効果がある」のは間違いないからです。そういう事を分かって居ながら「管理者がやらない」のは「管理者のやる気をそいだ」と言うのが原因にあるでしょう。そしてそういう事を知って居ながら問題にする気が無いのは経営者のやる気が削がれているからでしょう。

「経営層や組織のトップが受けているストレスは同じ人間
 として尋常じゃない。そこに同情する人が一人もいない
 組織はやはり存在してはいけないのだ」

結果としてライバルに負けるわけです。この時はみんなして全滅です。

「ガス抜きの為に上の人を懲らしめて我慢させる演目をや
 りました。お兄ちゃんでしょと言い続けて我慢させてい
 たらお兄ちゃんのやる気が無くなってしまいました」

上下関係がどうこう、同じ人間だから平等だ、と叫んで弱者を武器にする前に「同じ人間がここまでやって我慢しているのが怖い」と上の人にも目を向けて心配するべきでしょう。

日本全体に逆風が吹いている状態が30年以上続いているんですから、それ以前の「トップを担うべき人物像」を用いて苛め抜くのは得をしません。トップのやる気を守る工夫も社員はするべきです。

社員は「上司は何を言っても傷つかない」という幻想を諦めるべきです。そうやって少しづつ皆で譲れば「持ち直す余力」が生まれると思います。

「自分が譲っても応えてくれないのでは? 譲り損にな
 らないだろうか?」

こういう不信感があると上手くいきません。

そういう場合は「今の職場が永遠である」という幻想を諦めましょう。

「自分が譲ることで自分の周囲だけは好転したという結
 果を見ないと行けない。そうしないと他の仕事をする
 事になった時、人が信じられなくなるからだ」

それぞれの人が「今の職場に固執する気持ち」から一瞬逃れて冷静に考えて見るわけです。「前の職場の酷さを訴える人生」になるか「やり方の問題であると熱く語る人生」になるか変わって来るからです。

「工夫や改善は会社の為にするのではない。自分へ自信
 を付けてどこでも通用すると安心するためにやるのだ」

自組織に批判を続けて旅をする。そういう人が40歳前後でボロボロになってしまうのを見てきました。どこへ行っても同じだと感じるのは「どこへ行っても同じように振舞う自分」がおるのであり「こちらのやり方で突破できる」と答えを得ていないのです。そのまま旅を続ければ疲弊するでしょう。

「他の人はダメでも良いです。自分が成長出来れば」

この様に全ての人が考えるように成れば「他人に寛容」であり「やる気に満ちた組織(全体)」になるはずです。しかし自身の成長を諦めて「周囲に何とかさせたい」と考えるように成れば「他を批判し続けて自己正当化をする」人物になってしまいます。

「自分が成長しない発想や行為に執着してはいけない」

「どうしてなの?」

「成長しないまま外見は年を取るからだよ。この時の
 惨めさは想像を絶すると思いなよ」

日本品質がどうこう言わなくても「殆どの人はあるある」と知っていますよ。大昔からそんな事をしていたんです。それでも日本品質が評価されるのは他の国がもっと酷いからでしょう。だから良いという分けではありません。そういう状況の中で「何をすると好転するのか?」知らないまま自分が絶望していることが問題なんです。それを知っている人と「絶望している」人では幸せの度合いが変わるんです。

ピンチの時はどうするのか?

ボディを守るために各所が少しづつ譲る事がコツです。

以上、ご参考になれば。
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