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この人はどういう人間なのか、そういった人物評は他人がするものだ。自分でいくら「私はこういう人間だ」と思っていてもそんなことは関係ない。

他人による評価であなたと言う人間が定められる。どんなに良い人間でも、周りの人間があなたのことを悪い人間だと評価すれば、あなたは悪い人間にされるのだ。

つまり、「どう在るか」よりも、「どう見えるか」「どう思われるか」の方が重要なのだ。

例えば、優しい人になりたいなら、優しい人を目指すのではなく、優しい人に見える人を目指すべきなのだ。どんなに優しい人になっても、周りがあなたのことを「優しい人」と認識しなければ、優しい人と評価される事は無いのだから。

人は案外他人に興味が無い。思慮深くあなたをよく見て評価してくれる人はほとんどいない。分かりやすく、評価しやすいように「どう見えるか」「どう思われるか」を演出する方が、「どう在るか」より重要なのだ。

「優しい人」になるためには周りの人間があなたのことを「優しい人」と認識しなければならず、周りの人間が「優しい人」と認識するためには、「優しい人」が言いそうなことを良い、「優しい人」がやりそうなことをするのが重要であり、あなたが本当に優しい人であるかどうかは重要ではないのだ。

このように言い切ると否定する人もいるだろう。しかし、人間というのは浅はかであり、「本質」よりも分かりやすい「形式」を提示された方が安心する。安心する方向に思考は流れやすく、世の中というのはそのように出来ているのだ。

どんなに優しい人であっても、不器用で優しいことを言えないなら、その人を「優しい人」と認識する人はおらず、「優しい人」とは思われない。「優しい人」と思う他人がいないなら、あなたは「優しい人」にはなれないのだ。

「どういう人間になるか」より、「どういう人間に見えるようになるか」というブランディングやセルフプロデュースに目を向けた方が、あなたの評価を高める上で重要なのだ。

そうだろ?

A 回答 (7件)

そうだろ?


 ↑
そうです。

会社でもそうですね。
仕事の能力と、出世する能力は
イコールではありません。

欧米の政治家は、演劇を習う人が
多いそうです。
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私は捻くれ者なので見掛け倒しや善人ぶったお面被りの人は嫌ですね。



わざとらしい人。
嘘くさい人。
カメラが向いた途端出てもいない涙を拭く真似をしたり、どんな顔した子供が出てきたとしても、赤ちゃんや子供が映りゃ、条件反射のように「きゃあ、可愛い❣️」と言う人、さしておいしくも無い料理や食べ物を口に含んだ途端「旨っ!」とか「わっ!美味しい❣️」と言う人たちも好きじゃ無いです。

老若男女限らず、ムスッと寡黙でぶっきらぼうで、一見冷やかそうな悪人面の人が、涙を拭く事すら忘れ、ボロボロ涙を流して泣いてる姿などを見ると、あらま、このひとは、見かけによらずこんなに温かくて優しい人なんだあ……と、思いもよらぬ一面を垣間見たようで、人一倍感動するタイプです。
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> 「どういう人間になるか」より、「どういう人間に見えるようになるか」


> というブランディングやセルフプロデュースに目を向けた方が、
> あなたの評価を高める上で重要なのだ。

短期的にはそうでしょうね。

でも、一定程度つきあっていると、人の本質は見えてくるものです。
いくら優しそうに見えていなくても、長くつきあっていると、その人が本来持っている思いやりの心とか伝わってくるものです。
逆に仕事をバリバリこなしているように見えても、業務の本質を理解できてなかったために馬脚を露わすこともあるでしょう。

そして(これが重要だと思うのですが)それまでとは異なる本質を見抜かれた後の姿の方が強くなり、周囲も、より確度の高い評価として印象づけられるのではないでしょうか。
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>そうだろ?


ですね・・と、同調する人よりも
違和感をもつ人のほうが多いだろうな。
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周りからの評価を高めたいならそうですね!



周りからの評価を気にしてないなら気にする必要なし!
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化けの皮は剥がれやすいと思うよ

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外見と違って性格は何度かあって


しばらく関わらないと分かりませんからね
やはり性格の本質は変わりませんから
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