これ何て呼びますか Part2

邪馬台国(邪馬臺國)と書いてヤマタイ コク(又は ヤマト コク)と読み、今のヤマト(近畿)に
つながった、という説があります。

が、近年の情報だと思うのですが、邪はジア(jia)馬はラ(ra)臺はアイ(əї)と読んでいた
という、中国の情報サイトの情報があります。
百度百科というサイトです。これはまとめサイトですが更に出典は記載されています。
https://baike.baidu.com/item/%E9%82%AA/2938#6-1
https://baike.baidu.com/item/%E9%A9%AC/34268#5-2
https://baike.baidu.com/item/%E5%8F%B0/84818#5-1

ここに書かれている情報を信用するなら、邪馬台国はジアラアイ、ジアラーイ、ジャラアイ
あたりの発音になる筈です。
日本だって伊邪那岐命はイヤナミとは言いません。イザナミと言います。
邪魔、破邪、邪教などの単語も全部「ジャ」と発音します。

邪馬台国の発音はヤマタイやヤマトであり、大和政権に繋がったという意見の人にお伺いします。
上記中国のサイトの情報はどのようにお考えでしょうか?


それと2番目
邪の中国語の意味では「樹木の一種」という意味があり、三国志の呉志にそういう使い方があります。
https://baike.baidu.com/item/%E9%82%AA/2938
この場合yeという発音のようです。

三国時代の当時、近畿は呉と繋がっていたので邪をヤと読んでヤマトにしたのでは?
日本から呉の年号(赤烏)を記した鏡が2枚出土しているので、どこかが呉と繋がっていたことは
強く推測されます。
それが近畿なのでは? ということになりませんか?

質問者からの補足コメント

  • 補足
    臺を「タイ」と読むとか「ト」「トウ」と読むというのは、言語学者か歴史学者、
    考古学者の方がそうおっしゃったのだと思います。
    その学者のお名前をご存じの方がいたら、教えてください。

    壹(壱)の中には豆という字が使われているので、壹もトウと読んでた説も聞いた事があります。
    これも出典を調べたけどわかりませんでした。
    逆に、臺のほうをəїと読んでた、という話になるので、壹をトウと読んでたという説の
    論者の事でもいいです。

      補足日時:2024/03/03 16:07
  • 文字数制限で書けませんでしたが、邪馬台国をヤマタイコクと読むのは、化学も科学も「カガク」で読みが同じだから化学をバケガクと読むことがあり、これに近い。
    これは存じませんでした。ありがとうございました。

    それと、魏から西晋になり中国統一されましたがそれも倒れ、「我こそが邪馬台国である」と複数の勢力(九州、出雲、近畿、安芸など)が言い出したかもしれませんね。

    以下妄想です。
    魏志に言う邪馬壱国は、タカチホという山の東にあったので山東と書いてヤマトという国だったとか、
    それも含んで近畿は神話を作ったのかな、ということも妄想します。
    勝てば官軍、というやつです。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/03/03 20:10
  • うーん・・・

    No.20様
    御礼が遅れております。
    >邪は瑯琊の地名の一部
    瑯琊とは中国山東省の地名です。私は「山東と書いてヤマトと呼んでいた可能性微レ存」とも思っていたので、邪の文字は倭人は山東と書いてヤマトと読む暗示だったのか?とか考えだしてしまいました。
    また、倭国の末盧国が「盧氏朝鮮の尽きるところ」とすると、盧氏とは製鉄技術を持つ人を指していたのかとか。
    製鉄技術を持つ人がいたのなら、其山の丹とは弁柄か?とかも考えだしてしまいました。

    神社の名前に「神宮」と付くのは皇室系、出雲大社や宗像大社のような大社は土着の神様系です。
    宇佐が神宮なのは、九州征伐にて卑弥呼の墓の上に宇佐神宮を建てて封じたから、では?
    等とも考えだし、考えがまとまりません。

    尚、豆という漢字自体が高坏のような食器も意味します。
    https://baike.baidu.com/item/%E8%B1%86/30235

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/03/04 22:52
  • うーん・・・

    No20様

    釜山は当時狗邪韓国・弁辰狗邪でした。後に伽耶とか伽羅となります。
    狗邪の狗は悪字なので書き直して伽にしたけど、邪はそんなに悪字でもなかったとしたら
    単なる表記ゆれの範囲だったかもです。
    耶は邪の俗字で音も同じとあります。
    https://baike.baidu.com/item/%E8%80%B6/4347725#4

    だから邪馬臺~耶馬壹 邪馬嘉は表記ゆれの範囲内だったかも知れません。
    耶馬嘉だっら発音は jia m ragx kraːl  (上古音・先秦の音が混じっています)
    倭人が言うヤマカを音写して邪馬嘉と記載した可能性も出てきました。
    嘉でも臺でも壹でも、あちらの人はヤマカ国と読んでたかもです。

    中国でも邪はジャと読んだりヤと読んだりしています。
    ラテン文字のJは、英語ではjの音、ドイツ語ではyの音です。
    j音とy音の入れ替わりは頻繁に起きるのかも知れません。

      補足日時:2024/03/04 23:33
  • 皆様へ
    No20様の補足で、倭人がヤマカと言ってたのを聞いて中国人が邪馬嘉と漢字を充てた可能性が
    浮上してきました。

    ヤマカという発音に近い地名はどこか、と探したところ、
    山鹿:熊本県北部の市名
    山香:大分県杵築市(国東半島の付け根を最短距離で走破した時中間地点付近)の温泉名
    山家:市町村名ではないが、大宰府の南に山家という地名がある。
    この辺りを指してヤマカと言ってたかもしれません。大宰府の南は有力候補ではないでしょうか?

    近畿? 知りません。
    邪馬台国と書いてヤマト国と読んでいた、と主張される学者さんのご意見を下賜いたしたく
    お願い申し上げます。

      補足日時:2024/03/04 23:56
  • 補足

    補足1回目で
    > その学者のお名前をご存じの方がいたら、教えてください
    という追加記載をしましたが、それに答えて下さったNo.21様を
    ベストアンサーにして終了いたします。

    他の方、申し訳ないです。

      補足日時:2024/03/07 19:47

A 回答 (3件)

質問主様、だいぶ妄想を膨らませておられるようですね。

音の拘るとそうなり易いのかもしれません。
 古代の地名が何処まで現在まで残るかというと韓はそのまま残ってます。對馬は対馬、一支国は壱岐島はいいですが伊都国=糸島は方角がおかしく、郡との往来があるのに間違える事もないでしょうから違うと思います。
 邪については弥生時代は語頭に濁点はつかないとすれば音写の場合、現地発音ヤは後漢中国語もジャではなくヤで問題ないですがシだとするとシェでしょうか?でもシェとする資料は見つけられません。由来不明の四万十の語源とか壹は現地語の都の音写とか言い出す人はいないと思いますが。
 ウィキではJ・R・bentleyによる後漢音再建に基づく倭の国名の読み方が載っています。ウィキショナリー中国語版でも後漢音は調べられるようです。
又minerva scentia氏が詳細な解読の一覧表を上げてます。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。悩んでました。
伊都国糸島説には疑問符が付いています。まず、方角が違うことがあります。
(東南に歩き出した後北東に向きを変えたという意見の人もいます)
次に、向きを変えたとしても道は海岸沿いの平坦な道です。魏志倭人伝に書かれたような「前を歩く人の姿が見えない」というような道にはなりません。
それに伊都国の人口は千餘戸とあり、糸島だともっと多いと思います。

紹介あったJohn R. bentley氏の研究によると(Wikipediaに載っていました)
邪馬台国(邪馬臺國)はjamatəと発音するとあります。
これだとジャマタが近いでしょうか。ヤマトにも近いです。
百度百科の方には、臺の発音は西漢・東漢(前漢・後漢)ともに不明のようです。

邪馬臺國をヤマトと発音した、という論拠はこれが一つ、ということで納得しました。
ありがとうございました。


ただ、だからと言って「ヤマトは近畿の大和朝廷に繋がる」とは言えないです。
佐賀にも大和という地名がありますし、福岡県にも山門郡(平成の大合併で消滅し、みやま市)という地名があります。
これらがヤマトと名乗っていたのを、No19様のご意見のように近畿がヤマトと名乗った可能性もあると思います。

末盧国とされる唐津から東南に五百里とすると、佐賀県小城市か佐賀市付近に付きます。
佐賀が伊都国とすると、ヤマトという地名が残っていることと一致するし、
ヤマトを音写して伊都と記載した可能性も浮上します。
(伊には「神を呼び寄せる聖職者」の意味があり、都はみやこ。卑弥呼はここにいたのでぴったりの名前です。それとは別に音写という可能性も、両方の可能性もあると考えます。)

お礼日時:2024/03/06 23:46

前回ご質問でもありました盧のつく国名と邪馬の関係についてまず書かせて頂きます。

随分前に盧は植物の葦(蘆)であり鑪や爐など製鉄に関わる字に含れているのを不思議に思い検索した所、葦の根に鉄分が固まり(高師小僧)(褐鉄鉱)それを用い簡易な古代製鉄が行われていた事を知りました。それで盧がを含む地名は製鉄と関係があるのだろうと思いました。
 某古代史サイトにも類似の推測がありました。
次に邪馬壹国の馬ですが同サイトに比賣大神が降臨した大元山があり馬城峰(あしさしのみね)ともいうようです。更に簡略化すると宇佐神宮伝と古事記を合わせると宇佐神宮は元はアシ(足)(阿斯)・ヒトツ・アガリ(騰)ノ宮になるようです。そこから馬は盧の略字体、斯馬は斯騰の置き換えで邪馬は斯馬の変体文字とし現代北京語でシマと読めると書かれていました。邪馬壹国は豊国宇佐(つまり豊葦原という事です。豊かにも豆が含まれてますね。ただ倭人伝に最適な後漢中国語や更に少し古い音韻は私は調べられないのでなんとも言えません。
 ご存知の通り邪は瑯琊の地名の一部で抽象的に解釈すれば中央ではなく左右、横に広がる事(そこから正道を外れた邪な意味が生まれる)や斜めを意味するので卑しい意味はないのかもしれません。
 次に同サイトで壹については豆(ドウ)という供物用古銅器があり壹は蓋付きの豆、供物を載せる器や台を意味するとありました。正始4年洛陽に倭王が供物(高句麗などが用いる短弓を含む)を献上する際、壹拝するという言葉が用いられているので壱拝だとするとおかしな事になるという事だと思います。壱は後漢書以降の誤りとしています。サイト主は漢字表意主義者でどう読むかに余り関心はないようです。
 宇佐神宮は皇室と関係が深いので宇佐が邪馬台国であれば大和王権と繋がる事になるという事だと思います。
 以上です。
この回答への補足あり
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まず台をタイの音写であると言ってるような学者は居ません。

明治期だったか昭和初期だったかに、邪馬台はヤマトの音写だが、邪馬台国をヤマト国と呼ぶと畿内ヤマト王権と混同するから、わざとヤマ”タイ”国と読むことにしよう、として邪馬台国をヤマタイ国と呼ぶようになりました。これは化学を科学と紛らわしいからとバケ学と呼ぶようなものです。

あと中国は、言語としては13くらいの別々の言語が使われているのですが、漢字(漢文)というもので同じ文字で読み書きできて意思疎通できるという国です。なので、中国語で○○を何と読む、なんてのは地域によってさまざまと言えるのです。実際に漢字の読みがピンインと同じという人は2割程度だったはずで、他の地域の人は自分の使ってる漢字を自分の読みではなくピンインの読みで入力して変換しなければならないという状況のようです。(10年くらい前の話なので、今は良くなっているのかも?)

また同じ地域でも、時代によって読みが変化することもあります。こちらも難しくて、3世紀ころの発音がはっきりと分かっている漢字はそれほど多くないらしいです。

これらを含めて、私は邪馬台をヤマトの音写と考えるのは妥当だと思っています。

あと余談でかつ私の説にすぎませんが、畿内ヤマト王権が成立したころには中国には三国志という史書がすでにありました。なので魏志倭人伝に『倭の王は邪馬台国に居る』と記述されているのも当然のごとく知っていたわけです。そして中国にある三国志を書き直すわけにはいきませんから、自分の居る国をヤマト国と呼ぶようになった、これが畿内ヤマト王権だと考えています。(繰り返しますが私説で、広くは言われていませんw)
(なので九州の邪馬台国が畿内に移って畿内ヤマト王権となっただの、これが神武東遷だ、などという説にはヘドが出ますw)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

お返事ありがとうござます。
余談と仰っている部分からですが、三国志に邪馬壱国または邪馬台国と書いてあるので、それに合わせて近畿勢が自分らをヤマトと言わざるを得なくなった。これには賛成(というか、そういう可能性が高そうだと思います)です。
聖徳太子が小野妹子に「邪馬台国をヤマトと結びつけよ」と命じたのでは?と勘繰っています。


発音は必ずしも私が上げた情報通りとは限らない、という意見と理解しました。確かにその意見は否定できません。
先に上げた臺のページにも、魏や晋ではəїですが、隋唐になると12種類もの音が記載されています。

ただ、そういう複数の音が混じっているという情報と一緒に、魏では邪はjia、馬はra、臺はəї、という記載内容です。
魏の当時əїがaiなどに変わることはあっても、ト にはならないんじゃないかと思います。
当時、魏において臺という文字をトとは読まなかったのではないか、という疑問が拭えません。
そこで「邪馬台はヤマトの音写である」とかたくなに主張する人の意見を聞きたかった、という感じです。
ご意見は「邪馬台はヤマトの音写というのは妥当な話」ということであり、それはそれで納得する部分があります。


広志には邪馬壱国でも邪馬台国でもなく、邪馬嘉国です。
東方には神仙が住まう山島があるという神仙思想があったとのことで
邪=妖怪・もののけ、馬=中国でも見られる動物の代表、嘉=神仙が住まう国。
こういう意味で邪馬嘉国と言ったものが誤字で邪馬台国や邪馬壱国になった。
こう言うことかもしれないとは思います。

ただ、余談で仰ったように魏志の内容に合わせないといけないので、日本側が「邪馬臺國」という記載を採用し(臺には中央官庁という意味もあるし)「ヤマト」と読んだのかもですね。
魏志には対馬国が対海国とか、一支国が一大国とか、表記がちょっと違いますから、邪馬壱国もマユツバ物かも知れません。
逆に小野妹子は「邪馬壱国の都の国ですが、邪馬壱之都国から、壹と臺は字面も似ているし、中央官庁の意味も込めて邪馬臺國といいます」「後漢書にあるのはそういう意味での邪馬臺國です」くらいのアドリブは効かせたかもしれません。


もし「邪馬壱国」が採用されていたとしたら、20世紀の某SFアニメは
「宇宙戦艦ヤマイ」だったかもですね。

お礼日時:2024/03/03 20:00

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