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【歴史日本史】倭国は邪馬台国の卑弥呼の時代。倭人は顔を赤く染め、体に入れ墨を入れて位を表していた。

邪馬台国の時代の刺青がどんなものだったのか知りたいです。

時代は卑弥呼が占い、卑弥呼の弟が政治を取り仕切り、卑弥呼に謁見出来たのは2人の男性だけだった大和の時代です。

身体のどの部分にどんな入れ墨を入れて身分をどのくらい分けていたのか知りたいです。

室町時代になると紫色が身分が高かったが卑弥呼の時代は身分が高い人はみな白色の服を好んで着ており体の入れ墨で身分を分けていたと伝記があります。

どんな形の入れ墨だったのか知りたいです。

腕だと隠れるので手首か足首に入れ墨を入れていたと思うのですがどうなんでしょう?

A 回答 (1件)

基本的には、今のタヒチあたりに見られるような入れ墨だったのかなと思います。

日本のヤクザがやってる一枚絵の、ある種芸術的な目でみられたりすることもあるアレではなく、黒だけで幾何学的な模様(?)のような感じも受ける、そういったやつです。

魏志倭人伝の記述は注意しなくてはならないのは、この原文を書いた人物(帯方郡の役人と思われる)の憶測がたっぷり入っているということです。それは、倭の黥面文身(入れ墨)が中国の南部にあたる會稽あたりに見られる風習とよく似ているから『これと同じものに違いない』という思い込みで書かれている文章です。
なので、入れ墨が左右大小がありそれらで身分(の差)を表していたということはあっても、それ以上の具体的な記述がないことに注意してください。
(ちなみに赤色云々は、現代訳にまぎれこんだニセ情報だと思います)

顔にイレズミを入れるくらいだから、手足も上半身にもバッチリ入れてたのではないでしょうか。


白色の服を好んだという情報もどこに書かれていたものか不明ですが、紫色が高貴な色として珍重されたのは貝紫とよばれる貝から取れる動物性の染料によるものが大きいです。これによりエジプトや地中海周りでも中国でも紫色(貝紫)は高貴な色として珍重されました。これが日本にも来て、聖徳太子の12階でも見られるように(諸説あるようですが)紫色は最上位の色とされています。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2017/05/04 08:07

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