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宗教学ジャンルで回答が来ないので、こちらのジャンルで再質問します。
宗教学はそれなりに認知バイアスや無言有言のタブーがあるようです。

聖書の文章の出典:http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html
         口語訳旧約聖書1955年版 創世記

アダムとイブが初めて性交渉をしたのはエデンの園を追い出された後のようです。
創世記4:1 人はその妻エバを知った。  とあります。
この後カインと弟アベルが生まれます。その後弟殺しが起き、カインは追放され
ノドの地に行きます。
カインの弟殺しの時にアダムとイブの間には大勢の人間が生まれて成長していて
それが下の段落で出て来る複数の人、という通説には疑問があります。

二人が成長後、カインはアベルを殺し、主なる神に追われ、ノドの地に住んだとあります。
この時にカインは主なる神とやり取りをしてます。
4:13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
4:14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。
 わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。
 わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
ここから、他に人物(見付ける人は誰でも=複数人と読める)がいることが読めます。


質問1
カインを殺しそうな人物は誰なのでしょうか?どうやって存在しているのでしょうか?

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
他3の部分


創世記第1章~第2章には主語が「神」と出て来て、第2章~は主語が「主なる神」です。
カインを殺そうとする人は、別の神が創造した人間だとすると辻褄が合います。
しかし、最初に一神教ありきなので、この説は「聖書の記載がおかしい」となるかと。

であれば、聖書はその程度の聖典だったのか?ということにもなりますが、
過去質問の回答で「急ごしらえされたもの、という研究がある」とのことでした。
その程度のものだった、という考えも可能かと思います。

創世記2章からノアの洪水のあたりまで、主語が「主なる神」や「主」なので、
こちらがメインストーリーのようです。


別の可能性です。
主なる神はひと(アダム)を創り、動物や鳥や家畜を創り、最後に女を創りました。
この時の家畜に、アダムやイブやその子孫と交雑可能な「亜人」「家畜人」とでも
言うべき存在を創ったとしたら、それがカインを殺そうとする人々の正体なら、
神と主なる神が同一神格としても、辻褄が合います。
ノアの寿命は600歳以上ですが、創世記6章の洪水の前に出て来る「神の子」というのが
寿命が120歳程度のようで、主なる神が創造したひとよりはかなり短いですし。
家畜人という概念が後に、他民族を奴隷とする考えにつながったとしても、辻褄が合います。


質問2
旧約聖書は、それなりの聖典だったのでしょうか?
内容に矛盾があるがそれは急ごしらえだったから、と説明されるのであれば、
それに無理にでも従うようにと考えてきた、この2000年が間違っていたのでは?


質問3
奴隷の概念は家畜人の概念から派生したものでしょうか?
キリスト教徒による奴隷貿易は、正に家畜として扱ってる感じです。
無意識的にでも家畜人と考えていたのでは?


質問4
質問2も3も否定するのであれば、聖書の記載は「これ矛盾があるのでは?」と気づかせるため。
考えたり問題点を見抜く力を養うため、あえて矛盾させている。
それは「満場一致のパラドックス」を避けるため。
そういう解釈しか思いつきませんでした。
であれば、伝承の過程で解釈がおかしくなったのでは? この2000年が間違っていたのでは?
という疑問があります。

A 回答 (6件)

聖書の人類創生期あたりの話は、当然実話ではありません。


誰かの創作が多くの人に伝承され、伝言ゲームで内容が微妙に変化し続けるように、内容を改変され、矛盾を拡大しつつ、現代に至っているものです。

解釈も色々あるでしょうが、真実は藪の中ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

その「いろいろある解釈」という概念も、昔は「これ以外ない」という感じだったのでしょう。
教会が「これ」と言った以外の事を言うと「異端だ!」と同調圧力をかけられます。ガリレオの宗教裁判がいい例です。
魔女とされた女性もそうだったかもしれません。

近い所では新コロ流行に伴いマスクをつけるか否か、で欧米では「マスクをつけるのはあり得ない」という同調圧力がかかりました。
北欧の某国では「マスクをするメリットとデメリット、しないメリットとデメリットを考えた」と言ってるのに、その項目列挙が全然おかしくて、しない、という結論ありきの「疑似議論」に過ぎなかった、という例もあります。
これは「科学的に考えてみると、どういう事を行うのが有利なのか」とい考え方から全く逸脱しています。

それを考えると、こういう質問を立てる方が野暮、だったかも知れません。

お礼日時:2024/05/06 20:49

> ここでは、旧約聖書の記載に矛盾があると私は思うのですが、矛盾はないと固く信じる人に見解を聞きたいという気持ちが大きいです。



私は「聖書や経典の類の記載に矛盾などない」とは思ってないので、回答を求められる対象には入ってないようです。 でも、私の回答へのコメントなので、回答します。

信仰者集団が聖典のように扱っているものに、記載上矛盾のように見ることが可能なところがあっても、信者集団も、その指導者や聖典を解説するものも、そのようなことに気を取られないのだと思います。
私なども、「夏は暑く、冬は寒い、1年は365日」という発言や記載を知っても、それはおかしいとか言いませんし、日常的には「正しい」というように理解します。 円が真円でなく、三角定規の1辺にあたる部分が完璧には直線でなくても、板書された数学の証明問題の回答に少々抜けがあっても、気にしません。 天文や自然に関する小中高の説明でも、経済の原理や社会制度の説明でも現実とは違ったり、説明があちこちでちぐはぐでも、生徒も先生も講師も問題にはしてないでしょう。 推理小説での謎解きでも一件落着すれば、それでよしとして、異論や疑問を出さないのが普通でしょう。

有名な宗教にはならないですが、神道系の宗教「ワールドメイト」の教祖に深見東州という人がいて、2019年1月現在、会員数は約8万2千人とwebにあります。 https://www.worldmate.or.jp/about/index3.html
この方の2006年の本「神仙界に行く三つの方法」の中に下図のような記述があります。 解釈が間違っているかもしれませんが、先の予見や警告をした後で、爾後になって、現状をさらにもっともらしく説き、信仰をさらに強め、集団の結束強化に利用できることは多いのだと思います。

人間の原罪を説くという視点で解することに重点を置けば、その他の人の生まれ方や親などに気を遣うことが罪の現れということになるでしょう。イエスの処刑死も、我々の贖いと解するのが、信仰というものでしょう。
「旧約聖書 創世記において、カインを殺そう」の回答画像6
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

その宗教にどっぷりつかってる人には、矛盾があるとか言われてもピンとこないものなのかもしれませんね。

ザビエルが日本で布教した時、日本人から論破されて散々だったようです。
日本人の方が天災が降りかかってきますので、理論的に考える必要があったのかも知れません。

とはいえ
> 先の予見や警告をした後で、爾後になって、現状をさらにもっともらしく
> 説き、信仰をさらに強め、集団の結束強化に利用できることは多いのだと
> 思います。
日本では浄土教が似たような論法(不安を煽って「でも阿弥陀様を信心すれば大丈夫」)で信者獲得を狙ってたようです。

イエスは磔にかけられて死にましたが、じゃ原罪を持って行ってくれたかというと、イエス以降の人間も酷いことしてますし、イエスは失敗したとしか思えません。
或いは、父と子と聖霊は三位一体で、子が磔で贖ったのは「神が犯した原罪」ではないかと思います。
アダムとイブが林檎を食べて咎められて、言い訳をします。
その後主なる神は烈火の如くお怒りになり、ひとに呪いをかけます。
売り言葉に買い言葉ですが、イエスの時代になると「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と進化しています。
この呪いをイエスの肉体の死で贖ったに過ぎないのではと思います。

そういう解釈が出てこないようなので、どっぷりつかるのは怖いですね。

ことは、現代でも「新コロでマスクをするのは神にもらった呼吸する権利を阻害する」とか、「電気自動車は走行時炭酸ガスを出さないからエコだ(電池含む製造時、電気を作る時、電池含む廃棄時まで考えるとガソリン車の方がまし)」で突っ走ってしまうなど、実生活で考えてもそういう短絡思考は危険だと思います。

お礼日時:2024/05/11 22:33

私には、なにを疑問とされているのかが判然としません。



「昔々あるところに、……」で始まる話しを聞いたとして、その内容を認知伝承した認知し伝承しようとしたもの、それを聞き知ったものはどこのだれだとは思わないものでしょう。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なくむなしくやみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は光あれと言われた。すると光があった。神はその光を見て良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。」このことの認知者は誰ですなどと思わないでしょう。
「古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鷄子 溟涬而含牙 及其清陽者薄靡而爲天 重濁者淹滯而爲地 精妙之合搏易 重濁之凝竭難 故天先成而地後定 然後神聖生其中焉」にしても、「わが家は清和源氏の……」のようなのも、認知したものの存在に関してはほぼ関心を向けることはないです。
世界史での多くの戦役でも、イナバの白ウサギであろうが、かぐや姫や桃太郎でも、その伝承内容の見聞者に関して気になどしないものです。
創世記や日本書紀を21世紀になって、初めて現代語訳で読み内容を知ったという人でも、ほぼ同じでしょう。 初めて読んで、数日後でも、これを認知し伝承したのは誰なんだなどと疑問を懐いたりはしないです。

> 考えたり問題点を見抜く力を養うため、あえて矛盾させている。
> それは「満場一致のパラドックス」を避けるため。
> そういう解釈しか思いつきませんでした。

そういう疑問や考えを持つ人もいるのですから、「そんな人はいない」というのは明らかに間違ってますし、「そんな人他にはいません」もたぶん間違いです。「そんな人私の周りにはいません」も確証もない時点で間違ってます。ですが、コミュ・表現法としては、結構利用されます。
聖書や聖典、古典や伝承の類いの内容や構成を、「問題点を見抜く力を養うために敢えて」というように解するのは、奇妙です。
神聖文字や秘密のキーを使い、伝えたいもの以外のものには読み解けないようにと作り記載することはそこそこあるのですが、問題点を見抜く力を養う練習問題・課題として作り記載するということは、考えにくいです。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。御礼が遅れました。

そもそもは「聖書(ここではまず創世記に限ります)に矛盾があるように思える」「でも正しいと伝承されている」「どういう事なんだ」という疑問に端を発しています。

著者がモーセであるかという点は、直接は問題ではありませんでした。
「矛盾がある理由は、複数の著者が創世記を書いたので伝承内容が異なっているから」「従ってそれは一神教で矛盾ではない」と、宗教の人から回答がありました。
「でも待ってくれ。複数の著者が創世記を書いたという研究はここ200~300年の話だ。それまではモーセ5書(とかトーラー)とか言って、モーセ一人が書いたと伝承されている筈だ。一人が書いたという理解だった筈なのになぜ矛盾があるんだ?」
と、回答に対し矛盾点を見出してしまった、という経緯です。


> 聖書や聖典、古典や伝承の類いの内容や構成を、「問題点を見抜く力を
> 養うために敢えて」というように解するのは、奇妙です。

ここの質問スレの冒頭に「同じ質問を宗教学で書いた」旨記載しています。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13803455.html
そこの回答者No.1様は「聖書は罪と罰の寓話」と回答してくれています。
寓話という定義から考えると、問題点を見抜く力とか教訓話という考え方をする人も他にもいるのだな、と言う気がします。

神聖文字などを使うのは、矛盾点が見つからないようにするためなのかもしれませんね。旧約聖書で矛盾点が見つかって、それを教訓にしたとか。

ここでは、旧約聖書の記載に矛盾があると私は思うのですが、矛盾はないと固く信じる人に見解を聞きたいという気持ちが大きいです。
その矛盾の具体点、こういう所がおかしいのでは、というのが先の質問1~4という理解をしていただければ幸いです。

お礼日時:2024/05/09 20:48

①質問1 カインを殺しそうな人物は誰なのでしょうか?どうやって存在しているのでしょうか?


②質問2 旧約聖書は、それなりの聖典だったのでしょうか?
③質問3 奴隷の概念は家畜人の概念から派生したものでしょうか?
④質問4 聖書の記載は「これ矛盾があるのでは?」と気づかせるため。
考えたり問題点を見抜く力を養うため、あえて矛盾させている。

❶聖書に登場する人名などについて
仮に人が一人あるいは二人程度の人数しかいなければ、「名前」などつけないで十分でしょう。大勢いるので、識別を固有名詞を利用することになるのです。でも、神話や伝承を作るときには、過去の人物名が伝承されている可能性はほぼないです。 象徴的な表現で人物を示す方法がとられます。 また、語りや神話で重要な登場者以外を述べることはありません。 名前がない、子や妻や父が語られていなくても、また、どこに住み何歳くらいか、男女の別も、その付近に何人いたのかも、何ら問題ではないのです。 語る必要性を感じないか、語るとややっこしくなるから、語らないのです。
http://meigata-bokushin.secret.jp/swfu/d/auto_te …
誰の子がいたのかなど伝えるべきことと思ってないので、伝えないし、記載もしないのです。 系図的なものを見れば明らかです。
https://harvesttime.tv/assets/Charts/Chart01Gene …
https://convivia.co.jp/conviviacolor6/conviviaco …

❷キリスト教にとっての旧約(昔からの約束事・律法)について
西暦2世紀ころから、ローマでイエスキリストの信仰が高まったときに(昔からの約束事・律法)が重視されるとともに、福音書の類が整備され聖典扱いされて3世紀、4世紀になって新約にまとまります。 信仰というのは何か核となるもの・像・記号・儀礼・伝承・口唱があって成立します。モーゼの十戒のようなのは虜囚や被排除民にとっては結束の核になりますが、何しろ旧約といわれるものでも内容膨大です。たぶん西暦1世紀ころであれば、内容も確定していないし、信仰の核にして信者に内容を徹底する方法に窮するでしょう。イメージとしては信仰上とても大事で犯すべからざる聖典という位置づけでしょうが、具体的内容については、指導者が強く言っていた数十程度の禁則だけが重視されていて、旧約という後日文書化されるようなものは内容さえも知らなかったでしょう。

❸奴隷の出現
{主なる神はひと(アダム)を創り、動物や鳥や家畜を創り、最後に女を創りました。この時の家畜に、アダムやイブやその子孫と交雑可能な「亜人」「家畜人」とでも言うべき存在を創ったとしたら、それがカインを殺そうとする人々の正体なら、神と主なる神が同一神格としても、辻褄が合います。}
奴隷というのは、歴史的に典型的なのは、交戦し他集団の人を征服したときに被征服者を隷属使役することから始まります。交配や出生の状況で出現する生物的変異で分けるものではないです。 英語でスレーブはスラブ民を奴隷にしたからでしょうが、奴隷のような使役されるものは太古から多くの地域で認められます。バビロニアでは ハムラビ法典に"§199 もし彼がアウィールムの奴隷の目を損なったかアウィールムの奴隷の骨を折ったなら、彼は彼(奴隷)の値段の半額を支払わなければならない。"とあるそうで、旧約聖書・創世記のできるよりもはるか昔から、人々の間では、征服され、拉致されたら、奴隷となる危険が高いことは知られていました。

❸聖書にかかわらず古文書の類は、内容が膨大であれば矛盾は大量に含みます。 少量の内容の伝承でも現実的整合性などは問題にされません。
そのようなことを気にすることがそもそもないのです。シングルイッシュー、伝えたいことは伝わり、きちんと守られるというのが、コミュニケーションのコミュニケーションたる所以です。

> 宗教学ジャンルで回答が来ないので、こちらのジャンルで再質問します。
> 宗教学はそれなりに認知バイアスや無言有言のタブーがあるようです。

認知バイアスのない状態や会話、討議、検討などまずないです。
タブーにしても同じです。
数学や物理化学、システム工学でも、基本同じです。
宗教学カテゴリーで回答が来なかったとしても、ただの偶然か、質問そのものが不適切か、関心を呼ぶものではないかでしょう。
「宗教学は……」という発想も認知バイアスですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

質問1は人名の問題ではありません。
神=主なる神でもいいのですが、人間はアダムとイブとカインとアベルしかいなかった(アベルは殺された)のに、カインを見つけたら殺すであろう名前が出てこない人はどうやって存在したのか?という疑問です。
それは、神と主なる神が実は別であって、神が創った方であるとか、
同じだったら、家畜人だったのだろうかとか。
そういう疑問です。


質問3は、モーセ5書成立後聖書の研究が始まる前までは、モーセが書いたと伝承され、内容は正しいという理解だったと思います。
そこでもし「カインを殺そうとする人はどこから来たのか」と私と同じ疑問を持った人がいたとしたら、聖職者はどう答えるでしょうか?
「ああ、聖書に矛盾がありますね。」とは答えないと思います。
「奴隷人だよ。それ以外ありえない」と答えたりしたのでは?
それがずーっと伝承されて、奴隷貿易の時に家畜として扱ったということになるのでは、と言う気がします。
そうすると、あのひどい扱いも説明可能です。
ですので、そこが疑問点です。

> シングルイッシュー、伝えたいことは伝わり、きちんと守られるというのが、コミュニケーションのコミュニケーションたる所以です。
伝承は伝言ゲームのようなもので、世代を重ねるに従って変遷してきてもおかしくないと思います。
老人は「〇〇である」と言ったけど若い人が納得できず「△△だと思う」で、老人が亡くなって若い人がリーダーになったら「△△である」になる。
更に若い人が「□□じゃないのか」と言い出す。
それの繰り返しではないのでしょうか?
魏志倭人伝は成立後1700年くらいでしょうか。そこに書かれている内容を巡って解釈が分かれていたりしますし、写本を作る時に写し損ない(あるいは元本の誤記と思われる部分を訂正)があります。(写本間で表記が違う部分があります)


認知バイアスがないケースは、仰る通りないとは思います。
がバイアスが異なるであろう2つのケースを比較すると、まだましだと思います。
今回はその目的も一つにあります。バイアスが無い回答を求めるものではありません。

お礼日時:2024/05/07 21:19

カインがアベルを殺害した時点で、アダムの子はカインだけ。


ですが、その後、アダムは大勢の子の父となってます。
人の一生からすればカインの弟たちが成人するまでの時間、相対的に短いです。数十年の期間で考えたら、矛盾なし。
 日本の江戸時代、家督を継げなかった兄弟が、世代が移った後、迷惑叔父さんとして、甥である当主からみて厄介者扱いされてたのと同じ感覚でしょう。

質問2、創世記は、それまで伝わってきた話をモーセがまとめたもの。完成度の高い資料でしょう。以後、宗教書より、イスラエル民族の歴史書という内容が多くを占めています。

質問3、旧約聖書での奴隷は、今のサラリーマンに近い形ではないでしょうか。1世紀以後、特に大航海時代からの奴隷はキリスト教の本質から外れた行為でしょう。
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この回答へのお礼

違います。
カインがアベルを殺し、主なる神に「アベルはどこにいますか」と問われ
「知りません」と嘘をつきます。
その後主なる神に追放されますが、この時点で「私を見つける人は」と言っています。
追放された時点で、他に複数の人がいるという記載になっています。


次も違います。
宗教書というより歴史書と仰っていますが、ユダヤ教の聖典です。

魏志倭人伝は歴史書でしょう。だがあれにも矛盾があったりします。
でも、魏志倭人伝に誤記はないと固く信じる人もいます。
それはある意味宗教のようにも見えます。矛盾を説明すると沈黙します。
魏志倭人伝は宗教ではなく考古学のはずですが、宗教と化してる部分があります。

ましてや旧約聖書は宗教的な書物です。間違いがないと信じ込んでいて
矛盾を説明されると沈黙するのかも知れません。


最後も違います。
ローマはコロシウムで公衆娯楽として、奴隷同士殺し合いをさせたり、ライオンに食べさせたりしました。
ユダヤ人も他民族に対しては似たようなものだと思います。
奴隷は今の家畜より酷かったかもしれません。
サラリーマン程度という話は論拠もなく信頼性がありません。

それに、キリスト教の本質とは?
神が天地を創造され、いろんな生き物を創造され、ひとを創造された。
人と他の生き物は明確に分けられている。
奴隷は他の生き物側に分類されている。それだけだと思います。
それを私は「家畜人」という概念があったのでは?と掘り起こしたまでです。

お礼日時:2024/05/06 21:10

旧約聖書に矛盾があるのは当然でしょう。


地球人類の発生とその後の繁殖の歴史をきちんと記録していません。
もっと長期の歴史があるけど、省略・改ざん・改変してできあがったものとして、「記載の元になった出来事は、本当にあったのだろうけど、それを正確に記述してはいない」という程度で考えたらいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
聖書(特に旧約)に矛盾があるのは当然である、とは思います。伝承であり研究論文などではないので。
ただ、それを「本当の事」と理解して2000年やってきたのが間違いでは?
という所が特に知りたい部分です。

時代が下ると語彙は増えます。
本当の事とは事実の意味なのか真実の意味なのか。これは昔はあいまいだったと思います。
私は教訓を読み取れるので「真実の書」とは言えると思いますが、「事実の書」とはとても思えません。
それを混同して2000年やってきたのが間違いでは、とも思います。

お礼日時:2024/05/06 20:39

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