初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

一条天皇は、なぜ藤原道長を関白ではなく内覧にしたのですか?中宮定子や藤原伊周に気兼ねしたのですか?また、なぜ国母の詮子は、道長を支持したのですか?教えて下さい。

A 回答 (2件)

詮子と道長はもともと仲が良くて詮子が道長を強く推した。

当時の貴族社会では、同母兄弟でもライバルとなるのが普通で、道長の父兼家も同母兄の兼通と犬猿の仲でした。道長の息子の代でも、頼通と能信を中心とした不仲が凄まじく、摂関家が分裂して院政に繋がる主原因となりました。そのような中でも、詮子、道長、道綱の仲の良さは異常でした。
年上で官職が上の道長が昇格するのが自然だった。道長の方が人身掌握術に長けていたので、他の公卿を懐柔できた。
からです。
道長はあまり形式にとらわれない人であったようだったことと、公卿たちをあまり信用していなかったので、関白になることよりも、一上で内覧という実質関白で満足していて、関白が出席できない陣定にも出席して睨みを効かせる事を選び、度々関白に就くように勧められますが、全て断っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2024/05/09 10:13

ドラマでも母詮子役の吉田羊さんが凄まじい迫力で一条天皇に道長を押していますが、史実としても詮子の影響力が大きかったと言われています。


後は、道隆・伊周父子に不満を持つ貴族が多かったことでしょうか。

詮子と道長は年が近く、道長が小さなころから可愛がっていました。
年が離れていた道隆とは、息子の一条天皇に道隆の娘の定子が入内して以降、政治権力構造上敵対することが多くなり、次第に疎遠になっていったことが、伊周vs道長の闘争における詮子に決定的な影響を与えたのでしょう。
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