dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「汽車」という童謡がある。

今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無く トンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら)

人間はいつも「今は」と思う。
この歌は、人生そのものではありませんか?

A 回答 (9件)

そうですね


人生と思って聞くと同感します 

人生は紆余曲折を経て今がありますから
その時々に振り返ってみると

これが有るから、あんな事が起きたのかと妙に帳尻が合う事の方が多いです

なるようにしかならない、でも何とかなる
ケセラセラかな!
今この時に幸せと思えればラッキーな人生ですね
    • good
    • 1
この回答へのお礼

歳をとって、人生の辛酸を舐め、人生に食われると、子供の頃の無邪気さが懐かしいですね。

しかし自分は、演歌の持つ哀愁よりも、童謡の明るさに惹かれます。

単純なものほど深い謎を秘めていると、確かインドの思想家ネルーの言葉にありました。

お礼日時:2024/06/15 15:34

おまけです


うまく抜け出れば また広野はらが開ける気もしますが この先には線路はございません(笑)
「「汽車」という童謡がある。 今は山中 今」の回答画像9
    • good
    • 1

#4です レスありがとう



今日は 傘寿の祝いを子供たちが祝ってくれる予定です。

希望に満ちた長旅の先(1年前まで働いた)
趣味の年金生活に入り落ち着いたと思ったとたんに体調を崩し医者通い。
お薬片手に こんなものを作って戯れています。
 
?si=XJ7GLE8UThfVu6TZ
「「汽車」という童謡がある。 今は山中 今」の回答画像8
    • good
    • 1
この回答へのお礼

傘寿、おめでとうございます。

動画を拝見しました。立派な機関車ですね。

お礼日時:2024/06/15 21:03

人生山あり谷あり。

でも、トンネルはまだしも、浜とか鉄橋はピンときません。
    • good
    • 1

ご質問に同意します。


私の人間としての最初の記憶に、母親に手を引かれて線路を歩いていた記憶があります。何処かの親類の家を訪問する目的だったと思いますが、結構暑かったと思います。
そしたら列車が来たのです。そして何故か母親が手を振ったらそれが止まったのです。蒸気機関車の、シューシューいう黒い動輪のすぐ脇を歩いて列車に乗ったはずです。
「...はずです。」というのはその先の記憶はとんとありません。まるで夢のような、でもシューシューいう黒い動輪だけははっきり残る記憶でした。
    • good
    • 1

歌詞追加お願いします



広野原を過ぎれば暗黒の
闇夜の世界にまっしぐら,,,
    • good
    • 1
この回答へのお礼

「汽車」は童謡のせいか希望に満ちています。

山中から浜へと環境の変化を楽しみ、鉄橋のスリルを味わって、トンネルは怪我病気なども思わせますが、そこを抜ければ自由で広々とした広野原が待っている。

人生は楽しいという讃歌でもあるのでしょう。

お礼日時:2024/06/15 14:26

歌詞をどの様に解釈するかは自由です。


私は子供の頃に乗った蒸気機関車の思い出そのもです。
    • good
    • 1

「汽車」の歌です。


「人生」に準えて作詞されたとの解釈は聞いたことが有りません。
    • good
    • 0

そんな事は何も感じませんね


屁理屈も程度の問題だという思いはありますが
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A