準・究極の選択

聖書に書かれていることは、人間が守りきることができない。ということが書かれているのですか? 
それは、聖書のどこに書かれていますか?
よってイエス様の救いがあるのですか?

A 回答 (4件)

実際に開いてみるとお分かりになるかと思いますが、聖書には様々なことが書かれています。

歴史もあり、詩歌もあり、預言もあり、福音もあります。

質問者様は「人間が守りきることができない」とお書きですので、特に律法について知りたいとお考えなのでしょう。

しかし、聖書は神の御言葉を伝える66巻の書物をまとめたものであり、厳密に言えば、掟や戒めという意味の律法は、その中のわずか4巻にしか書かれていません。その他の62巻について言えば、守れる守れないということは問題になりません。聖書は何よりも神の愛について教えている書物であり、掟や戒めは人間が神の御心に従ってより良く生きるために与えられていますが、決して聖書のメッセージの全部ではありませんし、中心でもありません。

以上ことはご理解いただけたでしょうか?
では以下の文章をお読みください。

まず、「人間が律法を守り切ることはできない、というのは聖書のどこに書かれているのか?」とのご質問ですが、あちこちに書かれているとお答えします。その内の特に大事な個所を挙げてみます。

使徒言行録(使徒行伝・使徒の働き)の15章に、エルサレムで開かれた「使徒会議」のことが記されています。この会議は、「教会は異邦人にも割礼を受けさせるべきか否か」、言い換えますと、異邦人はユダヤ人にならなくても救われるのか?という問題を協議するために開かれました。その会議で使徒ペトロ(ペテロ)は、神が異邦人にも聖霊を注いでくださり、異邦人をも差別せず受け入れてくださったことを語った後、「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」と言って、割礼の強要は間違いであると論じます。これを聞いたヤコブ(主イエスの実弟で、エルサレム教会の指導者)は、「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」と言って、ペトロの主張を認めます。

ここから分かることは、異邦人は勿論のこと、ユダヤ人である使徒たちにとっても、律法は守り切ることのできないものだと考えられていたということです。これについてヤコブは後に「律法全体を守ったとしても、一つの点で落ち度があるなら、すべての点について有罪となる」と書いています(ヤコブの手紙2章10節)。律法の一部だけ守ることはできても、全部を完全に守るのでなければ、結局は裁かれるわけです。

従って、使徒パウロが書いているとおり、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない・・・人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマの信徒への手紙3章20-24節)。

人間は律法を守ることによってではなく信仰によって義とされる、すなわち、イエス・キリストを救い主と信じて受け入れる信仰によって正しい者と認められ、裁かれず、滅びることなく救われる、という福音については、特にガラテヤ書(ガラテヤの信徒への手紙、ガラテヤ人への手紙)をお読みください。このように書かれています。

「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」(2章16節)。※できれば3章10-13節や23-25節もお読みください。

質問者様は「よってイエス様の救いがあるのですか?」とお尋ねですが、全くそのとおりです。自分の力によって律法を守りきり、そのことによって救われようとする自力救済は不可能です。掟を破り、戒めに背く罪深い私たちを救うために人となられ、この世に下って来られた御子イエス・キリストに縋り付くことが、救いに至るただ一つの道です。キリストだけが人間を罪の支配から救い出すことがおできになります。聖書はそう教えています。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/08/10 02:15

聖書には、旧約聖書と新約聖書の二つが在るのは御存じですよね。


旧約聖書をキリスト教徒が古い契約の書として、こう呼んでいるのです。
アダムとイヴから始まる、ユダヤ教徒の聖典でイスラエル人の歴史の記述
です、ユダヤ教徒は「聖書」と呼んでいます。
戒律や規律の記載は、「モーセ五書」以降に書かれて居る様です。

新約聖書は27書在り、キリスト誕生以後の事が記載されてます。
マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書、
の4書が重要な聖典と成って居ます。
私は、神父さんに薦められて、ヨハネの福音書を読みましたが、
一神教の世界には馴染めず、残りの3書の福音書は読みませんでした。
ヨハネの福音書には守るべき戒律や規律は書かれていませんでした。

クリスチャンに興味が在るのなら、近くの教会で神父又は牧師に
話を聞くのが宜しいかと。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/08/10 02:12

クリスチャンになる要件は、父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという「三位一体」を信じることです。



聖書を読んだり、教会で神父や牧師に質問したりして、三位一体を受け入れることができるかどうか、考えてください。
他のことも教会や信者の人に質問して話を聞いてください。

聖書が書かれたのは大昔です。
今の時代の人間には理解しがたいことがいっぱい書いてあります。
それを全部信じないと信者にはなれないのか?
そんなことも質問してみるといいです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/08/10 02:16

あなたはクリスチャンですか?(これ一番大事)


クリスチャンじゃないなら聖書はまったく無意味です。
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この回答へのお礼

クリスチャンになるか迷ってます。

お礼日時:2024/08/03 09:15

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