メモのコツを教えてください!

例えば私のようなビビリの偽善者は、(存在するかもしれない)地獄の存在を恐れているという理由さえ無ければ、今頃なんらかの復讐のために連続放火のようなことをしてとっくに死刑囚になっていたのではないかという仮説を恐怖と共に思うことがあります。これは、「犯罪の予防」ですよね

しかし、中東などでは宗教が原因の戦争やテロや蛮行が国際問題になったりしました。これは「犯罪の助長」ですよね
(ただし、中東は政治とかが複雑に絡み合っていて一概に宗教だけが理由とも言い切れないとAIが言っていました)

皆様はどうお感じになられていますか?

A 回答 (5件)

私にとっては宗教は「犯罪の予防」ですね


とは言え私自身は共産主義的ではない無宗教者です
私の言う「宗」教とは親や教育、社会通念上の教え
「悪い事はするな」であり言い換えれば
「お天道様(或いは神、或いは仏)が見ている」です

「犯罪の助長」に関しては「宗教が原因」ではなく
「宗教を利用」かなとあるコミュニティの結束を強めるために
宗教を道具に利用してる。それは民族だったり性差だったり
他の物でも代用可能であるともいえる
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この回答へのお礼

ありがとうございます! そう、争いの原因になっているのは「宗教そのもの」ではなく「宗教を利用した政治やイデオロギー」だとAIからも言われて、あなたのおっしゃる通りだと思いました!

お礼日時:2024/08/06 05:52

私は自分を欺かない事です。


良い人として生きている
という自分を信じていますから
それを欺く今年はません
宗教という名で呼べば
自分教の信者です
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私は9年前に癌に罹患し手術を受けましたが


その後も転移があり手術を4回繰り返しました

最初に手術台に上がった時、すごく緊張し
南無阿弥陀仏を唱えたことを思い出します
医者という科学ではなく心の安定を願います

地獄とか天国ではなく、絶対絶命の時に
自分が信じる神に祈るのではないでしょうか?
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「信仰心」とは、個人的に、「自立心の欠如」、「責任感の欠如」、


「知性の無さ」を、示している、と思っています。

「信仰対象」を持つのは良いが、「神仏に依存する」のは、
責任放棄だし、弱い事なのだ、と思っています。

地獄だ、天国だ、来世だ、神だ、といった
「存在が証明できないもの」に、すがろうとする気持ちが、
嫌悪感をもよおす。

こういう人間の弱さに巣くうのが、宗教だし、それで
恫喝と共に、甘い汁を吸っているのが、既存宗教の
連中だろう。

十字軍しかり、ジハードしかり。

よく、そんな「詐欺」に引っかかるな、と思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 私の場合、何かを信仰しているというよりは、悪魔の証明みたいに「存在の確認すらできない、もしもあったら怖いものを恐れる」みたいなところがあります。つまり、臆病者なのです

お礼日時:2024/08/06 06:01

どちらでもないですね。



信仰心⇒報恩感謝ですね。

こんな人間(私のような)でも救ってくださるという、ありがたいお話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 仏教で言われている「他力本願」とは、ただ自分は何もせずに自分の幸福を誰かに丸投げにするというようなそういうものではなく、「今の自分があるのは全て運がよかった"おかげさま"」という謙虚な心に真髄があると、浄土系の信徒さんがお話してくださったことがあります

お礼日時:2024/08/06 04:52

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