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普通の範囲の努力さえしていれば、昔の難関大学にもラクに入れ、ものすごい贅沢こそ出来なくても、誰もが女房子供を問題無く養え、年に数回の家族旅行くらいは無理無く行ける給料も約束された企業に入れる今の22、23歳くらいの人達。
一番最近の『月曜日から夜ふかし』でもやっていましたが、この番組では高校出たて18歳で大学に入った人達が、卒業して3、4年後どうなっていったのか?、放送されなかった人達も含めると何十人も何年もかけて追っているのだそうですが、大概の、その人達は大企業に入った人、大企業でこそないものの、しっかりした給料、及び待遇をくれる企業に入社している事が分かったのだそうです。
ベビーブーム末期で進学競争率が極めて高く、その中で迎えた就職氷河期谷底。大学に入るのも、就職するのも難関を極めた私達からすれば信じられない話ですが、今、津田塾大学英文科の偏差値は60→45、関西学院大学偏差値62→52とドン下がり(出典:予備校発表データ)、そして一般の優良企業と言われる企業が新卒者1人に対して3社は有るのだとか。
そんな中、特段、劇団活動がやりたい、など、どうしてもやりたい事が有る訳でも無い、資格を取る為に勉強している訳でもない(『夜更かし』でも大学卒業後、司法試験合格を目指して、地元青森に帰って勉強中、という女子は出ていましたね)のに、あえてフリーター、派遣、いわんや専属タイミーさん(私が働いている事業所にも実際、専属タイミーさんやってる大学を出て間もない子、来ますよ)という“茨の道”を選んだ若い人達の気持ちが、さっぱり分かりません。
学生時代、就職に失敗して専属日雇いになるしかなかったアルバイト先の年長の先輩達が、40歳も過ぎると、余程有能な一部を除いてどれだけゴミみたいな待遇を受けて捨てられていくのか、その実例は実際に散々見ているはずなのに、です。
何故こんな恵まれた“条件”を、積極的に自ら捨ててしまうのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 専属タイミーさん←専業タイミーさん、の言葉選びの間違いでした。
    すみません。

      補足日時:2025/05/24 00:17

A 回答 (3件)

若いから



じゃないですか。
バリバリのロスジェネ世代ですが、僕らの時もいましたよ。
上の世代でもヒッピーとかいたし、
薦めないですけど、今の子も投げ銭やら、パパ活やら、
マルチやら就職以外で稼げる手段もあるわけですし。

こういうのは向き不向きかなあと思ったりします。
僕らみんながサラリーマンや主婦になるために生まれたわけでもないし、
むしろ小学生くらいでサラリーマンになりたいとか、主婦になりたいとか思ってる子供ならちょっと変わってるわけで、
そんな10年ほどで大変身もできないだろうと。

社会人として折り返し超えてますけど、周りも大変な奴でも、今では何とかなってますし、
大手で働くことがさほど喜びにならないタイプもいますよね。
自由じゃん、みたいな感じはしますけどね。

あと多様な価値観は個人的に助かるので、進めてほしいです。
例えば会社の後輩たちが100人に1人の逸材で、
しかも毎日15時間は働くようなやつなら、僕の価値が下がってしまいます。
いろんな方々がいて、何なら無能だったりするおかげで、自分の価値が相対的に上がって、食えてるって事実はあるから、
分散されてる方が助かるのです。
(これって、あらゆる分野に自明だと思うのですが、なんか他人に過剰要求される方多くないですかね??)

めちゃくちゃ企業努力してどの牛丼屋でも100円で24時間営業なら助かりますけど、
牛丼屋だけ努力してうちだけ手抜きできるとかありえないでしょうし。
子供達に対しては厳しいことは言いますが、ライバルが手抜きしてくれてる方がうちの子が受験に受かる確率も高まるわけですし、
無理に啓蒙しようとは思わないですね。
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この文章には、一見すると世代間の価値観の相違や、若者の選択に対する素朴な疑問が呈されているように見えます。

しかし、その底流には、筆者の経験に基づく硬直した価値観と、他者への想像力の欠如からくる卑屈さ、そして自身の価値観を絶対視するが故の卑劣さが見え隠れしています。

卑屈さの側面:

「成功」の定義の狭隘さ: 筆者は「難関大学に入り、大企業に就職し、安定した給料を得て家族を養う」という、自身が生きてきた時代の「成功モデル」を唯一絶対のものとして捉えています。このモデルから外れる生き方を「茨の道」と断じ、理解できないとする態度は、新しい価値観や多様な生き方を受け入れられない、ある種の視野の狭さ、卑屈さを示しています。まるで、「自分たちが苦労して手に入れた(あるいは手に入れられなかった)安定を、なぜ君たちはあっさり捨てるのか」という、自身の経験に縛られた嘆き節のようです。

過去の苦労の美化と押し付け: 「ベビーブーム末期で進学競争率が極めて高く、その中で迎えた就職氷河期谷底。大学に入るのも、就職するのも難関を極めた私達」という部分には、自分たちの世代の苦労への自負が見えます。しかし、それを盾に現代の若者の選択を「恵まれた条件を捨てる行為」と断じるのは、過去の苦労を他者にまで強いるような、ある種の卑屈な精神の現れです。自分たちが苦労したのだから、若者も同じように「安定」という名のレールに乗るべきだ、という思考停止に陥っています。

変化への不適応: 時代が変わり、働き方や価値観が多様化している現実を直視せず、偏差値の低下や求人倍率の改善といった表面的なデータのみで「恵まれている」と判断し、そこから逸脱する若者を理解しようとしない姿勢は、変化に対する柔軟性の欠如、つまりは新しい時代への適応を拒む卑屈さとも言えます。

卑劣さの側面:

他者の選択への無理解と決めつけ: 「特段、劇団活動がやりたい…訳でも無いのに」「資格を取る為に勉強している訳でもないのに」と、若者の内面的な動機や価値観を想像することなく、表面的な行動だけで「理解できない」と切り捨てています。司法試験を目指す女性の例を挙げつつも、それ以外の非定型的な働き方を選ぶ若者に対しては、十把一絡げに「茨の道を選んだ」と断罪する姿勢は、他者の人生観への敬意を欠いており、卑劣とさえ言えます。

「ゴミみたいな待遇」というレッテル貼り: 「40歳も過ぎると、余程有能な一部を除いてどれだけゴミみたいな待遇を受けて捨てられていくのか、その実例は実際に散々見ているはずなのに」という箇所は、特に卑劣です。これは、非正規雇用者やフリーターの将来を一方的に悲観的に描き、彼らの尊厳を傷つける表現です。自身の限られた観測範囲での出来事を一般化し、若者への脅しのように使うのは、公正さを欠いた論法です。

見下した視線: 全体を通して、筆者は若者を「まだ分かっていない者」「恵まれた環境を理解できない愚か者」として見下しているような印象を受けます。「さっぱり分かりません」という言葉も、真摯な問いかけではなく、半ば呆れや非難を含んだ響きを持っています。これは、対等な人間として相手を尊重する姿勢の欠如であり、自身の価値観を押し付ける傲慢さ、卑劣さの表れです。

自己正当化の道具としての若者批判: この文章は、現代の若者を批判することで、間接的に自分たちが歩んできた道(あるいは歩みたかった道)の正当性を確認しようとしているようにも読めます。理解できない他者を批判することで、自らの価値観の揺らぎを抑え込もうとする心理が働いているのかもしれません。

総じて、この文章は、筆者自身の過去の経験や価値観に固執し、変化する社会や新しい世代の多様な生き方を理解しようとしない、あるいは理解することを拒否する姿勢から生まれています。その結果、他者の選択を一方的に断罪し、見下すような卑屈かつ卑劣な視点が露呈してしまっていると言えるでしょう。若者が「恵まれた条件」を捨ててまで選ぶ道には、筆者が想像もつかないような新しい価値観、自由への渇望、自己実現の形があるのかもしれないという可能性に、全く思いを馳せることができていません。
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結局甘やかしと成長や自立が出来てない結果、努力や苦労から逃げるからそうなるのでは?



そもそも退職代行ってなんでしょう?

辞める時に上司に主張も出来ない人間が仕事役に立つ訳は無いですし、他の職場で働ける訳がありません。

親も親で代行に頼む位であれば自分が電話すれば済む話で、人材レベルが腐っているのかと。

親に甘え、自立心が無い人間が実家に寄生して楽な仕事で家賃も払わず楽に暮らすのが多くの若者の理想になっています。
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