重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

「思考」の観察を習慣化して,悟りに至ったという方,いらっしゃいますか?

もしいらっしゃいましたら,
・悟りまで,どのくらいの時間がかかりましたか?
・悟りに至るコツは何ですか?
どうぞ宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

無い物は無いと認めたら


それが悟りです
座禅を組んでいた僧侶が
厠に立ち戻って いつものように座禅を組んだらひっくり返って庭に転げ落ちました
その時に悟りを開いたそうです。
僧侶は いつもの場所にもたれられる壁があると思って
もたれようとしたがそこはいつもの場所ではなく
庭を背にした場所だった
壁があるものと思いこんでいた
すべて元々は無いものをあると思うから
苦に繋がり執着に繋がるのだと言う般若心経の言葉を知ったという事です
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答,ありがとうございました!

お礼日時:2025/06/08 11:55

しても悟りに至ることはないでしょう。


単に「思考」を論理的に構成された論文化しているだけの話ではないかと思われます。

悟りの境地とは、瞑想などを通じて思考を超越した無我の境地に至ることです。
その無我の境地で観えたものが、具体的な悟りでしょう。勿論、何も観えずに至福の境地を感じ続けているだけかもしれませんし、多分、それがよくある悟りの境地でしょう。

苦にもがき苦しみ、苦からの脱却を追求し続けた仏陀の場合は、悟りの境地で苦から脱出する方向が具体的に観えたということなのでしょう。

無我の境地に至るだけなら、悟りの境地までの時間は、瞑想と睡眠はよく似ています。あなたが寝ようとし始めて実際に寝てしまうまでの時間があれば、瞑想し始めてから無我の境地まで行けるはずです。

問題はそこで何からの事柄を「悟る」ことが出来るかどうかです。
こればかりは、何を強く知りたいのか。それが無いといけません。
仏陀の場合は、苦から脱却できる方法を考え続けて6年も苦行を続けました。その挙句に苦行が無駄であるとを論理的に解明し、そこで単純に瞑想に入ることで無我の境地に入り込み、そこで苦から逃れる方法を悟ったわけです。

悟るとは、別の日本語に置き換えると「ひらめき」のことでしょう。
それこそ悩み事に関する思考の観察を何時間も、何日も、何か月も、何年も習慣的に考え続け、頭脳が疲れ果ててボンヤリした瞬間(ある意味瞑想して無我の境地に入る瞬間に似ている)、答えが突然ひらめく。そういうことなのでしょう。

ひらめきのことであれば、悩む時間まで含めれば時間はどのくらい必要なのかはわかりません。最後までひらめかないことも珍しくないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答,感謝いたします! たいへん勉強になりました。どうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2025/06/09 09:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A