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テロ報復に関連して、自衛隊がどのように参加できるかという議論が持ち上がっていますが、私には憲法の解釈でいかに辻褄をあわせようかと苦心しているように思えます。

政府は平和憲法が邪魔なのでしょうか。戦争放棄などと言っていては国際社会での孤立は避けられないのでしょうか。
少なくとも、学校で習った平和憲法の理念とはかけ離れたところで解釈論議が行われているように感じます。世界に誇る平和憲法というのは、安保条約の傘の下にいる日本の浮き世離れした世迷い言だったのではないかという気がしております。
理念からいえば、テロ報復に武力を使わない方法を提案するのが日本の立場であると思うのですが、兵士の汗を拭いてやる事は戦争行為ではないといった理屈をつけて戦争に加担している日本は、もはや戦争放棄の国ではないと思います。

国際社会で孤立しない為に、戦争に参加しないのは不可能だ、という判断なのであれば、平和憲法は既に有名無実であり形骸化していると思います。こじつけのような解釈論議は非常に聞き苦しいです。テロは許せないから武力制圧しても構わないというのでは、理念はすでに死んでいるのではないかと思います。

憲法があるから思うように協力できない、という日本の態度を皆さんはどのように感じておられるのでしょうか。近い将来、平和憲法は改正されるべきなのでしょうか。皆様の御見解をお伺いしたいと思います。

A 回答 (8件)

ごもっともな御意見だと思います。



もともとこの憲法は平和憲法だったのでしょうか。
戦力を放棄すれば平和であるという憲法の解釈はどうかと思うんですよね。
日本は兵を派遣できないから、金銭面で援助する、というのも、戦争をあおっているだけのような気がします。
とすると、まず、平和を志向している憲法だとしても、戦力の放棄だけで、何も実効力がないということになると思います。
そして今回あるような状態になった時、戦力の放棄が目の上の瘤になってしまうのではないでしょうか。
平和を徹底することができていない憲法ですから、平和憲法が形骸化してしまうのだと思います。そこで、これから平和を本当に求めるのかどうなのか考えて、今のどっちつかずの状態を修正しなくてはならないと思います。
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この回答へのお礼

nabayoshさん、ありがとうございます。

なるほど、戦争の放棄というだけで平和憲法というわけにはいきませんよね。
理不尽に殴られた時に殴り返さないとするなら、どういう対処法があるのでしょうか。憲法では武力に訴えないというばかりで、こうするのだ、というのが無いような気がします。
結局、侵略や暴力に対抗する手段は実力行使しか無いのでしょうかねえ。だとするならば、その方面をアメリカにお願いしている日本というのは、実際上アメリカの属国であり 国際社会でバカにされて当然という気もします。
やはり憲法を見直して、自立を目指すべきなのでしょうか。違和感がありますが、そういう方向に向かっているような気がしております。

お礼日時:2001/09/26 22:56

本当に、難しいも問題ですよね。

私自身答えが出せなくて、色んな情報を目にする度、また日本の決断、アメリカの決断を耳にする度、果たしてこれが正しい道なのだろうかと、疑問を持たざるを得ません。

人が無くなるのは、どんな形でも悲しいこと。出来れば武力など使わずに平和に解決して欲しい。でも、今回のテロがもし言われている集団の仕業だったとして、またこれまでのマスコミの放映内容が正しいものだったとして、言葉で納得するようには思えない、という部分もあります。そもそも話し合って分かるような人たちなら、あんなテロは起こさなかったでしょうから(ただし、本当の仕掛け人が誰であるかと言うことには甚だ懐疑的)。

日本が憲法通りに平和を主張し、戦争から一切の手を引いて締まったら・・・そして今回のテロ組織のような人たちが対峙して締まったら・・・それはもう私たちの命を黙って差し出せ、ということなんですよね。長い目で見れば、その行動が世界に平和を訴えるきっかけにはなるかも知れない(これも予測の域を出ませんが)。でも私たち自身の平和は諦めろ、と言わんばかりの選択にもなる可能性があるんですよね。

その犠牲心が私にあるかと問われると・・・・正直強い人間で居るのは難しい気がします。さっきも言いましたが、人がこれ以上地を長さに事に越したことはないと思っています。でも、草食動物ばかりじゃないんですよね、地球上には。どうやったって肉食動物が出現して来るんです。スイスのように、我が身を護るための体勢を整えてこそ、平和を守ることに繋がるのでは・・・という考えも頭をかすめ、それの意味するところに流血を伴う事実を思い、そして思ったところで何を起こすことの出来ない自分の無力に、はがゆいばかりです。

答えになっていなくてすみません。でもこの様な場があることで、少しでも自分の考え方なりに影響を与えてもらえるのは大変ありがたいことだと思います。
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この回答へのお礼

tweetieさん、ありがとうございます。
不当な侵略や攻撃、テロなどに対しても武力を行使しない、というのが憲法の理念だと思ってましたが、自衛は権利だという事になり、国際協力もやるべき事であるから、他国の戦争にも協力する、という事になってしまったと思っています。
少し前まで自衛隊が合憲か、とか、防衛費1%枠がどうの、とかの議論が持ち上がっていたと思っていたら、アメリカの空母を日本の「軍艦」が「護衛」している映像がテレビで流れてます。杓子定規に考えるつもりはないのですが、緊急事態だから許されるのか、まず行動有りき、で、守るべき法律は都合よく拡大解釈をくっつける、という印象を受けるのが不安といえば不安です。国際社会の一員として、手前勝手な事は言っていられない、という現実があるのにしても、最重要項目と思っていた戦争放棄がなしくずしになっていくのを見ると、思想や信教の自由なんてのも、いつの間にやら、ということになりかねないように思います。まず、法を真摯な態度で遵守するというのが基本だと思います。ならばやはり、憲法改正、ということになるのでしょうか。私は改憲には賛成でなかったはずなのですが、このところわからなくなってきました。

お礼日時:2001/09/26 23:12

日本国憲法の発足時の戦力の解釈と現在の戦力の解釈が違っていても当然ではないでしょうか?平和憲法を押し付けられた当時の日本国の戦力とは他国を侵略する為のものじゃなかたでしょうか?それで再度戦力を保有し侵略行為を再度してはいけないって意味で制定されたと考えます。


そう考えれば現在の状況における日本国憲法第9条は現実に合ってません。
仮に憲法が今廃止されたとして、竹島奪還のため兵力で韓国を攻めるでしょうか?北方領土奪還のためロシアを攻めるでしょうか?そうは思えませんね。
もしそのようなことが起きるなら中国は尖閣諸島奪還のため日本を攻めているでしょうから。
現在の兵力は悪の軍事力に対抗するための必要悪ではないでしょうか?
仮に大国が日本を攻撃してきた場合、自衛隊だけで対応できると思います?
9分9厘無理でしょうね。その場合、多国籍軍なりの援助が必要になるのは明白です。 自分は助けないのに日本を助ける国が無くなってしまうんじゃないでしょうか?
それと派遣自衛官の武器の使用についても現在論議されているようですが、元々のPKO法じゃ洒落になってないことが明記されてますよね。
善良な市民が居住している場所が攻められた場合、自衛官の護身の為でなければ武器使用しちゃいけない!って言うんですから・・・
助ける能力をゆうしていながら憲法を盾に見殺しにするのが良いことなのでしょうか?
早急に憲法を改正し最低限PKFには参加できるようになってもらいたいいものです。
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この回答へのお礼

kazugooさん、ありがとうございます。
目からウロコだったのが、平和憲法を押し付けられた、という一節です。なるほど、そうだったのですよね。学校で「世界に誇る平和憲法」などと教わったものですから、なんとなく世界一の優れた憲法であるかのように思い込んでいたところがあります。おっしゃる通り、独善のエゴで侵略戦争をやる国というのはあまりないでしょうね。不当な攻撃を受ければ報復をする、制裁を行う、というのは当然の事だと思います。それについても武力を使わないというのが日本なんだと思ってました。飛んでくるミサイルを前にして、脳天気に平和の尊さを説教をしたりしていても無益ですよね。自衛は当然の権利だと思いますし、その為には軍備も必要だと思います。現行憲法はこの点に穴があるのでしょうか。自衛隊さえ憲法違反だと叫ぶ声も小さくないように思います。
ただ、善悪の判断、何が正義か、という事については慎重さが必要だと思います。世界的にはいろんなイデオロギーがあり、民族の真実がありますよね。アラブとイスラエル、ユダヤとイスラム、コミュニストとエコノミスト、立場が違えば価値観も違ってくると思います。
今回の件でもアメリカは宗教戦争ではない、と言ってますが、タリバンは聖戦と言っているようです。
根底には思想的なものもあるように思えますし、イスラム圏も商売のエリアとして取り込んできたりイデオロギー対立の代理戦争の場にしてきた事への反感もあると思います。湾岸の時もそうですが、アメリカの判断が世界の正義、といった雰囲気があるのには少し違和感があります。日本は思想や信教の自由を認めている国なのですから、宗教上の対立が元で戦争になっているところへ安易に意見しに行くべきではないような気もしています。アメリカの尻馬に乗って部外者であるアメリカの正義を信じて武力攻撃を後押しするのには、ちょっと軽率じゃないの?という気がしないでもないです。国際社会での日本の立場、役割というのは諸手を上げてアメリカに賛成する事だけなのでしょうか。アメリカ寄りの国が正義であり、そこに対抗する国は常にならずものであるかのようなイメージになるのが、なんとなく不安だったりもします。・・・余談でした。

お礼日時:2001/09/27 00:02

今回のテロ報復への日本の参加について限って言えば、多少、「拙速、やるぎではないか?」と思う点もありますが、現行憲法については、はっきりと「間違っている」「改正しなければならない」と思います。



今の憲法は、「守るべきもの」をはき違えています。
本来、守るべきものは「国民の自由・生命・財産」でなければなりません。
平和というのは、それらを守るための一つの手段にすぎず、国民の自由・生命・財産が脅かされるのであれば、「戦うことも辞さず」というのが、本来の国家のあり方でしょう。

国際貢献という面でも同じです。自由・生命・財産を脅かす存在に、国という枠を超えて協力しなければならないこともある訳で、日本だけが憲法という「内輪の論理」を理由に協力を拒否し続ければ、日本が、危ない事態に陥った時、誰も助けてはくれないでしょう。

いわゆる“護憲派”という人が守りたいのは何なのでしょうか?
憲法さえ守れば、自由・生命・財産が奪われても構わないのでしょうか?
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この回答へのお礼

depressionさん、ありがとうございます。
非常に的確な御意見で、心のもやもやが晴れた思いです。国民を守る為ならば戦う事も辞さず、というのこそが国という組織の責任であり、存在価値ですよね。平和憲法だとか戦争放棄などといっていられたのはアメリカの属国と看做された取るに足りない弱小国であったから許されたのでしょうかね。私は安保闘争はよく知りませんが、随分以前から自立してない日本というのを憂れう声というのはあったように思います。もしかしたら、日本国憲法は当時の政治家にとっては屈辱的なものであったのではないかという気さえしてきました。武力を放棄したのではなく、取り上げられて、持つ事を許されなかっただけなのではないかと。
考えすぎでしょうか。
いずれにしても、現状では無理がありますよね。私は、実は護憲の考えに染まって、都合に合わせて憲法をいじるのは恒久的な理念の喪失に繋がるので良くない、と思っていましたが、最近では平和憲法の成り立ちそのものから疑問が湧いてきて、そもそも、恒久平和を標榜する決意など当初からなかったのではないかという疑念が生まれています。私も学校教育の犠牲者の一人だったのではないかと。
やはり改憲が進むべき道なのでしょうかねえ。

お礼日時:2001/09/26 23:34

 こんにちは、vitamin-powerさん。


 今回のテロは平和ボケしていた日本人にも何事か考えさせるきっかけとなったように思います。そしてそこに噴き上がる様々な矛盾点…。vitamin-powerさんご指摘の憲法論議はその最たるものにして象徴的なものと言えるでしょう。
 
>世界に誇る平和憲法というのは、安保条約の傘の下にいる日本の浮き世離れした世迷い言だったのではないかという気がしております。

 vitamin-powerさんが護憲派のお立場なのか改憲派のお立場なのかは存じませんが、それはともかく、一般論として考えてみると、護憲派にこそ(ただしリベラル層)そうした感想を抱く人々が多いのではないかと考えています。私個人は、平和憲法の理念は大切にしたいとは思いつつも、現実主義者なので《憲法改正》に一歩踏み込んだ議論を期待している者です。そもそも現憲法は《自衛隊の扱い》ひとつを取ってみても自家撞着に陥ってしまっています。

 今回はアメリカの貿易センターが標的にされましたが、これがもし日本(の霞ヶ関その他どこでも)だったら…と考えてしまうことがあります。「日本みたいな腰抜け国家を誰が狙うか」などという失敬な話もありますが、それはさて置き、果たして日本人(日本政府)は現実的にどう対処するのだろうと…。まぁこうした想像は私だけではなく、多くの日本人がしたと思うのですが、憲法に雁字搦めにされた日本政府のオロオロとした対応が想像され、笑うに笑えませんでした。理不尽なテロに対抗すべく一致団結して祖国防衛の為に立ち上がるアメリカ(勿論アメリカの中東政策の失敗云々については多いに議論の余地がありますがこの際それには目をつぶりましょう)。対する日本は果たして…。自らの決断のもとにテロ撲滅作戦に打って出られるでしょうか。アメリカのご機嫌を伺い、国連の意向に右往左往し、といった、一国の主権を疑われ兼ねない行動に出るのでは?と要らぬ心配をしてしまうのは私だけでしょうか。

 日米安保があるからと言ってひとり米軍のみが日本人の為に血を流してくれるはずもなく、やはり連合軍を形成するなら自衛隊(日本軍?)が支柱となる他はなく、しかしながら「平和憲法がそれを許さないから」とか何とか喚く図は見苦しいと言うより最早主権を有する国家の体をなしていないのではないかと思います。そして今の日本でなら充分起こり得ることだと思うのです。

 理念としての平和を高らかに謳い上げるのは少しも構わないと思いますし、多くの国家、人々がそうしてほしいと思います。しかし現実はそのように動かないということもひとつの認識として持っておかなくてはならないと思います。今回の事件でも分かったように世の中には「自分たちの価値基準こそ絶対で、それに背く者は悉く焼き尽くしていい」と考える、いわば《狂信者》たちがいます。死んでも天国で神に迎えられると信じている彼らと違い、「死んだらそれまで。あとはゴミになるだけ」と思っている私などは「そんなに簡単に殺されてたまるか。殺されるぐらいなら先に殺してやる」(物騒な話で申し訳ありません(^_^;))と思ってしまうのです。即ち《銃を取る》行為を肯定する訳です。戦争を避けたいのはみんなの思いです。しかしそれを嘲うかのように戦争を仕掛けてくる《狂信者》たちがいる…。「降りかかる火の粉は払わにゃならん」の思いです。

 少し長くなりましたが、私は従って、現憲法は改正されるべきだと思っています。多くの米軍、及び連合軍の兵士たちが血を流している中、ひとり日本だけが平和憲法を標榜し、危害の及ばない安全な後方地帯に陣取って平和の鐘を鳴らし続ける訳にもいかないでしょう。「いやアンチテーゼとして世界にひとつぐらいそういう国があったっていい」と思う時、日本は記憶に新しい《世界の孤児》に再度なってしまうのではと恐れています。かなりの《問題発言》も多々あったかとは存じますが、話を分かりやすくするため、思い切って書いてみました。書き足らない点もありますが、時間がありませんので取り敢えず…失礼致しました。
 
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この回答へのお礼

masatoshi-mさん、ありがとうございます。お久しぶりですね!

御意見、私も非常に近いものを感じております。
アメリカが世界の警察を気取っている現状で、アメリカに意見する度胸も資質も持ち合わせていない日本がいくら「平和の理念」を唱えても耳を貸してくれるところはないのではないかと思います。憲法などそっちのけで、アメリカの御機嫌を損なわないように細心の注意を払っているアメリカの巾着持ち、ゴマスリ番頭が世界の見る日本なのではないでしょうか。世界に向かって平和を呼び掛けるなんて、とてもガラではないように思います。

自立の為には防衛能力は不可欠ですよね。それさえ問題になるような現行の憲法というのはやはり無理があるのでしょうか。永世中立の理念を失わないスイスは国の規模の割にはすごい軍備を持った軍事国家であると聞いた事があります。また、シェルターなどの自衛の設備も相当なものだとか。武器や兵力も十分には持たない国が自衛の為の施設も持たないというのは、まさに平和ボケの脳天気というほかありませんよね。世界にはいろんな考え方があるのでしょうし、思いもよらずどこかの国の恨みを買っているかもしれません。突如攻撃を受ける可能性も否定できないのですよね。
アメリカの若い男性が、恋人なのか奥さんなのか、涙をいっぱい溜めた女性と抱き合いながら別れを惜しんでいる映像を見ました。テロ報復に駆り出された兵士です。こういうのを見ると、自衛隊は前線へはいかない、などと言っている日本人がまともにみてもらえないのは当然だと思います。いまだに武力報復に懐疑的な私ですが、少なくとも報復に賛同する、協力する、というのであれば、憲法の制約は諸外国には逃げ口上にしか聞こえなくなっていると思います。
やはり改憲でしょうかねえ。

お礼日時:2001/09/27 00:29

再びお邪魔致します。


vitamin-powerさんには愛想尽かしをされたかなと不安だったのですが、ご鄭重なお礼を頂き、安心致しました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
 
さて、vitamin-powerさんの他の方へのお礼文を読ませて頂いていて感じたことなのですが、今の日本は《先ず憲法ありき》の考え方に拘り過ぎていると思います。勿論憲法を蔑ろにする国は滅びると思いますが、同様に、立派過ぎる観念や理念をいじくり過ぎてもおかしくなってしまいます。

私は常に物事を考える時に《人間》を基準にしています。時に賢く時に愚かで、時に美しく時に醜く、時に崇高で時に下劣で…人間はまさに矛盾の典型、二律背反の宝庫だと考えていますので、憲法を考えるときにも基準は《人間》です。《戦争を放棄する》と謳ってみたところで戦争が消えてなくなるわけではなし、ならば戦争は《悪》かと問われればそれはそういう価値基準で判断すべきものではなく、ひとつの政治的手段として有効なのかどうなのかと考えるのが筋ではないかと…。戦争は血を流し命が奪われますからどうしても《悪》だと考えられがちですが、百歩譲って《悪》だとしても、敢えて踏み込まなければならない《悪》もあり、それを私は肯定したいということです。

何の根拠もなく言い掛かりをつけられ暴力を振るわれるなら(私にでも私の身内のものにでも)、私は必ず応戦します。仮にそのために死んでも私の誇りは奪われません。逆に相手が死ぬことがあっても私は後悔しません。その可能性はいつでもあるのであり、それを分かって相手も仕掛けてくるのだろうと思っているからです。vitamin-powerさんもお感じのとおり、自分や自分の愛するものを守るという思いこそ原点なのであって、人間としての誇りもそこに生まれてくると思うのです。そして守るべきものは《平和》とか《自由》とか、そんな目に見えない《観念的》なものではない。depressionさんご指摘のとおり、まさに我々生きた人間の自由であり、生命であり、財産なのです。その順序が狂うと観念的平和主義者になってしまう。ただ《平和と自由を》と、お題目を唱えているだけの似非ヒューマニストに陥ってしまう。またこれこそが全世界の人々の日本を見る目ではないかと心配してしまうのです。
 
暴漢が襲ってきたら逃げるのもひとつの手段でしょう。しかし逃げ遅れたら戦うしかないでしょう。戦争はそんな次元とは違うと言う方もおられますが、同じです。テロリストたちにたとえどんな言い分があるにせよ、「いきなり罪なき人々を殺傷していい」という論理を押し通すと言うのなら、それに対抗できる論理で応じるしかないように思うのです。私も《武力による報復》に関してはvitamin-powerさん同様懐疑的であり、慎重です。

「ウソコケ! ここまで書いてきといてな~にが武力報復に懐疑的なんじゃ~」と思われそうですが、ホントの話なので信用してください(^_^;)。何故なら再び数多くの無辜の民の命が奪われる可能性があるからです。報復が報復を呼んで、限りのない戦争へと突っ走る可能性があるからです。歯止めが利くのならどこかで制御しないと泥沼に陥る。これは怖いことです。しかしテロリストたちが戦いの意志を表明するのであれば、これは戦争です。ここをもって《悪》だと決めつけるなら、「そうしたどうしようもない愚かしさもまた人間は持っているのだ」と、少し悲しい思いで告白しなければなりません。

醜い戦争の犠牲となって死んでゆく人間。これもまた人間の性、人間の宿命でしょう。この現実を私は高らかに肯定するというのでは勿論ないのですが、拒否はしません。かと言って諦めて言っているのではない。こういう愚かしくも醜い死に方をしたって、私はやはり人間の崇高さを信じているし、美しさも認めている。大いなる矛盾だと思えるでしょうが、最初にも申し上げたとおり、人間の在り様そのものが大いなる矛盾そのものだと考えている私に葛藤は生じません。人間は美しいしそして醜いのです。崇高であるし同時に愚劣でもあるのです。
 
今我々日本人は空前の平和と自由を満喫しています。あまりに長いことこれが普通の状況できたため、今後も変わらずこの状況が続くと思ってしまっているのかもしれません(20年以上も内戦が続くアフガニスタンの人々が戦争状態が普通の状態だと思っているのと同じように…)。しかしそれは「人間は常に賢くて(賢い選択をする)、崇高さを忘れない生き物だ。だから戦争を好んでいる人間(テロリストたち)などいないのだ」との人間観に基づく、過った平和思想に過ぎません。今度の武力報復が果たして本当に人類にとって賢い選択なのかどうか、他に考えられる選択肢を本当に吟味し尽くしたのかどうか、これを常に、絶えず考えていかなくてはならないのは我々の当然の義務です。そして「否。武力報復は否だ」と判断を下すなら武力報復を行ってはならず、「いやそういう結論を日本としては下したが、アメリカが遂行した」というのならそれはそれで影響力を発揮し得ない日本の力不足を恥じこそすれ、アメリカの行動を(国家として)非難してはいけないのです。常に行動は二者択一、どちらかを選ぶしかないのですから。

仮に武力報復を否としても、ならば日本はテロリスト側につくのか、それともアメリカとの同盟関係を絶って永世中立国でいくのか、国家としての意志は当然統一しなくてはならないわけです(個人としては何を言ってもいいと思いますが、国家に守られていながらあまり見苦しい発言はしたくないですね)。

 少々長くなりましたが、私が改憲論に賛成する根拠を述べてみました。vitamin-powerさんご指摘のとおり、今の日本はまさにアメリカの属国、ゴマスリ野郎の巾着持ちに成り下がっていますね。偏に「祖国防衛の一大事」をアメリカに預けているからです。これでアメリカから自立などできるはずもありません(あ、アメリカに匹敵する軍事力を日本も持て、なんて暴論を吐いているのではありませんよ。いざと言うときには暴漢(暴国?)に応戦するぞとの気概を支える軍事力ぐらいは備えよ、と言っているのです)。アメリカとアフガニスタン・タリバン政権の動きを中心とした今後の世界情勢を注意深く見守りたいと思います。それではまた。
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この回答へのお礼

masatoshi-mさん、さらに詳細な御意見をどうも有り難うございます。
私も、現在の国際社会で日本が孤立しない為にはアメリカに同調するしか道はない、とは思ってます。突然の武力攻撃などの侵害に対しては防衛なり報復なりの為に軍備も必要なのだろうと思います。それ以外の有効な手段というのは思い付きません。

ただ、私が思うのは「平和憲法」の理念は誰も本気で受け入れていなかったのだなあ、という事です。学校で「世界に誇れる」と教わったのに、政治の現場では抜け道捜しばかりやってます。総理大臣でさえ、他国と先を争うように「テロ報復賛成」「武力報復支援」の立場を表明しています。

当のアメリカでさえ、一部の国民が武力報復はダメだ!と声を上げています。テロが許せないと実感しているのは日本人の比ではないはずなのに、です。

私は「暴力では何も解決しない」とよく聞かされました。殴られても、殴り返してはいけない、と。気に入らないとすぐに腕力に訴えるクラスメートを野蛮人と軽蔑していた女子もたくさんいました。いじめの問題でも、刃物などを持ち出して意を決してイジメッ子に報復に及ぶことは同情の域を脱しているとの社説がありました。そこまで追い詰められないような環境改善が最重要課題だ、なんて言ってました。

しかしながら、現実には暴力には暴力、不法な行為に対しては武力制裁。まるで当然の事であるかのような論調です。

アメリカの報復反対のデモ隊の言動は、本来日本が取るべきものであったと思います。テロは許せない、でも、武力報復は新たな不幸を生むだけだ、というのは「戦争放棄」の精神そのものではないですか。

なぜ自爆テロに及んだのか。原因や理由も無しに、組織的に何年もそんな事を繰り返すはずがありません。ソ連との覇権争いで中東を蹂躙してきたアメリカの態度にこそ原因があるのですから、振り回された彼等に不満があるのは当然です。自分に都合の良い政治勢力を支援してきた結果、あちらについたりこちらについたりでイランもイラクもパレスチナもイスラエルもめちゃくちゃになってしまいました。
アメリカはイスラムから出ていけ!というのは彼等の本音でしょう。それはそのまま置いといて、テロの非社会性だけをあげつらい、高飛車に高圧的に迫る態度は諸手を上げて賛同できる行為なのでしょうか。アメリカやソ連の思惑に振り回された歴史があるからこそイスラム原理主義はあれほどまでに過激になってしまったのだと思います。

日本なら、話し合いの余地があるならそこに着目するのが先決であったはずです。テロを物理的にせん滅しても、イスラムの心が今のままなら恨みは深く強く潜行するばかりでしょう。刹那的にせん滅できたとしても、上から抑えつけただけではより大きな負のエネルギーを生んでしまうと思います。何が解決すると言うのでしょうか。

平和憲法を世界に誇る国であるならば、どうやったら軍隊の後押しができるかということに頭をひねるのが先にくるはずがないと思うのです。
そうしなければ国際社会で立場がない、というのであれば、平和憲法などなんの意味もないのであり、こねくりまわして辻褄合わせを何十年もやっているのは滑稽というほか無いと思うのです。

このようなどっちつかずの状態では、すべてが本音と建て前の2本立てになってしまいそうに思います。「暴力では何も解決しない」という大人は子供から信用されなくなるということではないでしょうか。「そうは言っても、結局は力でしょ!」と言う子供は物事が良くわかっていると頭を撫でられるということです。子供同士なら大人を、社会人なら政治家やヤクザを、というように、より強力なバックを味方につけたほうが賢いのだ、という論理が成り立ってしまいます。それが正しいのならそう教えるべきだと思います。力のあるものや多数派には従うべきだ、と。「建て前」の胡散臭さには皆気付いているのではないでしょうか。

今回、護憲派というのか、戦争放棄の精神こそ尊いのだ、という御意見もあるかと思ってお待ちしてたのですが、待ちかねて、改憲に否定的な部分の自分の考えを文字にしてみました。
私の本心は、現状は良くないと思う、という事だけで、改憲なのか護憲なのか、自分でもよくわかっておりません。
masatoshi-mさん、支離滅裂なお礼になってしまいました。ごめんなさい、です。

お礼日時:2001/09/29 22:16

 再びこんにちは! 今日明日と時間が取れそうにありませんので、手短に。

vitamin-powerさんの素朴にして率直な疑問やご意見、全くもって同感です。誠実に思考を深めてゆくなら、私は誰しもvitamin-powerさんのようなご感想に行きつくと思っています。アメリカの中東政策なんてまさにvitamin-powerさんのおっしゃるとおりで、独善傲岸不遜のアメリカがそこにあります。歴史を眺めるならこのことに異を唱えることのできる人はいないでしょう。石油の利権も絡めながら、ホントにしたい放題のことをしてくれました。「だからイスラム原理主義者たちが…」というご意見も、従ってご尤もなのです。
  
 私はvitamin-powerさんの《類い稀なる良識》を最もよく知る一人だと、自分で勝手に自負しておりますのでもう少しvitamin-powerさんとご意見を交わしたいのです。でも残念ながら日曜の今日も仕事に追われております。もう少しここを開けておいて頂けないでしょうか。2~3日以内で片がつくと思います。(^_^;)
 それにしてもvitamin-powerさん同様、私も《護憲派》の方のご意見を見られるかと楽しみに待っていたのですが、書き込みがないのは残念です。
 それでは今回はこの辺で。またお邪魔させていただきます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
週末から今日にかけて、テレビのニュースでもアメリカ支援の態度について疑問を投げかけるコメントが多く聞かれるようになりました。私にとってはありがたい事です。日曜日のサンデープロジェクトを興味深く見ましたが、私の考えは自由党の小沢一郎さんに近いのだなあ、と実感しました。自衛隊派遣の是非よりも、法の抜け道ばかり考えて、辻褄があわない部分は新法でごまかすという政治の態度がダメだ、と氏は主張しておられました。私のモヤモヤそのものの指摘でした。
与野党とも、小沢さんの意見は正しい、と認めてました。しかし差し迫った現実があり、つきつけられた問題を目の前にして、理想論を語っているべき時ではない、といった意見に押し切られ、なかば無視されたような事になってしまいました。
法というのは、正しい事よりもその場の都合を優先して作っていかれるものなのかと不安に感じた次第です。

お礼日時:2001/10/01 23:55

9条は断固死守する。

アメリカの外交の失敗に付き合うつもりは無い。
ただし、容疑者の引渡しの要求や、それを行なうための経済制裁などを国際社会に呼びかけ、回りとは異なる立場から解決の道を見つけ出す。

押してもだめなら引いてみな、という感じで独自の道を歩む。北風と太陽のように。暴力は、暴力をよび、世界中がパレスチナ状態になり兼ねない。柔は剛を制すで、いきたいと思います。
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この回答へのお礼

sdamauさん、御意見をお聞かせ頂きまして有り難うございます。

戦争放棄の精神は、腰が引けてるのではなくて進歩的なのだ、と、今ニュース23の番組の中でどなたかがコメントされてました。問題は、政治家というか日本の舵取りをになっている人たちがそれを引け目に感じて、憲法の理念を理解しておらず、誇りを持てずにいる事だ、との事でした。平和憲法を掲げながら、憲法の抜け道、拡大解釈(というよりは曲解)によって、アメリカにおもねる方向を模索し続けて来た結果が、日本のアイデンティティーを希薄にしている、という主旨だったと思いますが、まったくその通りだと感じました。
平和憲法に誇りを持ち、そのスタンスを世界に向けて発信できるだけの自信を持っておれば、世界も日本に一目置くであろう、というのは正論だと思います。

アメリカやソ連は、国際平和の旗印の元、過去さまざまな武力行使を行ってきたが、紛争が解決した事例は一度もない、というコメントが印象的でした。
やはり、武力では問題解決は得られない、というのは真実なのだろうと思います。
やられたからやりかえす、悪者を殴りつける、というのは、考えてみれば大昔からの原始的なやり方で、あまり知的な方法ではないように思います。問題の根本解決も難しい、という事であるならば、武力によらない国際紛争の解決手段を模索していく事は人類や国際社会の将来の為に必要な事であるような気がして来ました。これは戦争放棄の理念そのものであり、その担い手、世界のリーダーシップを握るものとして、日本は自覚を新たにするべきではないのかという思いが広がっています。

野中広務さんも、同様のコメントを発しておられました。
今、現時点では、私はまた護憲側に大きく揺らいでおります。節操がないですが、考えがまとまらない為に質問させて頂いたわけですから、何卒寛容にお願いします。
宗教などが絡んでくると、武力行使は解決を見ないばかりか、より大きな諍いの原因を作るばかりだと思います。イラクも、湾岸で反省したとはとても思えないですしね。戦争の技術が向上して近代的兵器を駆使しても、やはり問題は解決できなかったわけですね。

護憲というと、理想論とか責任転嫁とか、自立できていない、とか、マイナスイメージが多かったのですが、やはり紛争解決にいつまでも殴り合っているのも進歩がないですよね。
平和憲法の遵守、そのためのノウハウというのをきちんと確立できれば、世界平和も実現出来るのかもしれません。日本の進む道はこちらかもしれない、という気がして来ました。

sdamauさん、護憲の御意見、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/10/02 00:23

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