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キリスト教では、イエスの母マリアの夫ヨセフがダビデの家系の者なので、イエスはダビデの血筋となっていますが、マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはずなので、この部分の聖書の記述はとても矛盾していると思います。どのように理解したらいいのでしょうか。

A 回答 (9件)

> マリアが処女懐胎したのならヨセフとの血のつながりはないはず…



私個人としては以下のように考えています。
(引用は日本聖書協会新共同訳聖書より)

日本でも養子としてよその家にはいればその家の人間とみなされ、またそのように周囲から呼ばれるので、ヨセフの長男として育てられたイエスは「ヨセフの子」、「ダビデの子(子孫のこと)」と呼ばれても差支えがないように私は感じます。また、旧約聖書「ルツ記」や、新約聖書「ルカによる福音書」の20章27-40節にあるように、ユダヤ人の家系に関する慣習や考え方は独特のものがあることも考慮するべきかと思いました。

いずれにしても、当時イエスは、ヨセフの子、ダビデの子と考えられていたことが、以下のような聖書の箇所からわかります。

「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」マタイによる福音書 13章 55節

「彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。」ルカによる福音書 18章 38節

「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、」マタイによる福音書 21章 15節

また、天使ガブリエルがイエスの母になるマリアの前にあらわれたとき、以下にあるように「父ダビデ」と言っているのですが、これは英語では “his father David” (KJV), “his ancestor David” (RSV) とあるので、「彼(=イエス)の父(父祖)のダビデ」と言っていることがわかります。

「あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」ルカによる福音書 1章 31,32節

以上のように、当時の人たちも天使もイエスを「ダビデの子」と呼んでいるので、まあ、それだけの理由があったと考えて問題ないように私は思います。(その理由については、検索すると日本語なり、英語なり、いくつか意見がみつかるのですが、これは、理由を考えれば理由のつけようがある、ということではないかと思います。)
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この回答へのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございました。
抜粋してくださった聖書の文章から、当時の人々の考え方が伝わってきました。わたくしの質問の仕方がへたなせいか、少し違う方向の回答も寄せられておりましたが、benderさんはわたくしの疑問に的確に答えてくださいました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/15 21:11

信仰は血脈の関係ではありません。


もし、あなた信じていて、もし新しい聖書があり、その中で系図があるなら、あなたの名前も聖書に書き加えられます。
言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである
ヨハネの福音書1章13節を証明している箇所でしょうね
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/15 20:48

そもそも、そのような混乱を引き起こしたのは、キリスト教が、発祥の地カナーンから離れ、ローマ帝国内で広まった事が原因です。



初期のキリスト教には、三位一体やマリア信仰などは有りませんでした。
ローマ帝国内で広まるうちに、豊穣神たるイシス神や、アルテミス神などの影響を受けた結果です。

そのため、キリスト教の中には、それらと矛盾しない考えを持つ宗派もあります。

単性派は、キリストは、人間ではなく神そのものと考えます。
「ヨセフの子でもなくマリアの子でもない」という考え方で、エチオピア教会、コプト教会、ヤコブ教会、アルメニア教会が、これにあたり、全キリスト教徒の約5%を占めます。

その他ネストリウス派は、キリストは神ではなく人間であると考えます。
キリストは、ヨセフとマリアの子で、処女懐胎を否定します。
現在イラクを中心としたアッシリア教会がこれにあたり、信者は約35万と言われています。

他の方も書かれているように、聖書は、時代も場所も環境も異なる地で、何人もの人によって書かれたものですから、矛盾が有って当然です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
宗派によっていろいろな考え方あるのですね。大変興味深いです。皆さんのご回答を読んで、キリスト教の歴史が奥深く多様であることがわかり、もっと勉強したいと思いました。

お礼日時:2005/06/13 12:25

系図は、殆ど重要ではないのではないでしょうか。



イエスの系図は、#5の回答中に示されたマタイ冒頭の他に、ルカ伝3章23節~の部分にも存在します。が、ダビデ以降は混乱しています。

マタイ伝:ダビデ-ソロモン-...-エコニア-シャルテル-ゼルバベル-アビウデ-...-ヤコブ-ヨセフ-イエス
ルカ伝 :ダビデ-ナタン-...-ネリ-シャルテル-ゼルバベル-レサ-...-ヘリ-ヨセフ-イエス

となっています。省略部分は全て異なっています。


注意深く読めばすぐに気がつく筈ですので、この系図その物はさして重視されていなかったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/13 12:04

まず確認しておきたいのですが、例の系図はマタイの冒頭に出てくるだけで、


他の福音書には出てきません。

メシアがダビデの末裔から出るというのは、当時のユダヤ社会に広まっていた伝承であり、
マタイはユダヤ人信徒に迎合して系図を乗せたわけです。
(初期キリスト教徒はほとんどがユダヤ人でした)。

その一方、Q資料起源と思われる「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、
どうしてメシアがダビデの子なのか」というイエスの言葉もあります。
この言葉は明らかに系図と矛盾していますが、なぜかマタイにも入っています(笑)。

イエスは宗教改革者であり、ダビデの末裔からメシアが出るという伝承も
イエス自身は否定していたと考えるべきでしょう。

『聖書物語』のようなものしか読んでいないと、聖書も個人が書いた普通の本のように
思うかもしれませんが、オリジナルを読むと、矛盾する異説をそのまま収録した
伝承集であることがわかります。

なお、イエスの弟たちは福音書にも登場しますし、弟ヤコブにいたっては
『使徒行伝』の主人公の一人です。

処女懐胎が七十人訳の誤訳から生まれたという説は十九世紀にハルナックという
ドイツの聖書学者が唱えた説で、定説でもなんでもありません。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/13 12:01

そもそも、天使がマリアに受胎告知を行い、処女であるマリアが懐妊した、とか、処刑されたイエスが


復活したとか、これらの話はあくまでキリスト教という宗教の世界だけの話であって、一般に通用する話ではありません、したがって当初ヨセフもこの話を信じることができず、マリアがほかの男と通じて懐妊したのではないか?と疑ったようですが天使がヨセフに降り「ダビデの子ヨセフ恐れず妻マリアを受け入れなさいマリアの胎の子は聖霊によって宿ったのです」と告げられこの子は二人の子供であると確信したようです、つまりもともと一般社会で通用しない話が聖書の根拠になっているので、聖書の記述と矛盾するものではありません、この前提を否定すればキリスト教と聖書そのものを否定することになり、キリスト教そのものが存在しなくなります。ちなみに私はキリスト教徒
ではありません。

この回答への補足

私もキリスト教徒ではありませんが、西洋文明を理解するには不可欠の聖書を、どういう意図のもとに書かれたのかという観点で読んでいます。(ですから、事実かそうではないかということは、全く問題にしていません。)

補足日時:2005/06/13 00:34
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/13 00:21

「新約聖書を知っていますか」(新潮文庫)で阿刀田高も同様の疑問を書いております。

彼は専門家ではありませんが、キリスト教徒ではない私には大変面白いエッセイでした。一読をお勧めします。

結論としては、この疑問に対しては、彼の知る限り誰も答えていないそうです。彼の推理によれば、「新約聖書は長い期間をかけて編纂されたため、内容的矛盾が随所に見られる。後のマリア信仰の影響で神秘的な受胎告知が演出されたのではないか」とのことでした。

参考になれば幸いです。

この回答への補足

そうですね、特にカトリックではマリア信仰に重きを置いていますから、ANo.1の方の言われるような合理的な説得力のある解釈も容認しないでしょうね。
「無原罪の御宿り」といって マリア自身も肉の交わりなしに生まれたことにしてしまっていますし…。
神聖さを強調するあまり矛盾してしまった部分のつじつまをどう合わせているのか、というところに非常に興味があります。

補足日時:2005/06/12 23:22
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/12 23:14

その通りで「処女のまま」ならヨセフとの血縁関係はありません。


ですが聖書(旧約)の預言に記載されているのは、「メシア(救い主)はダビデの子孫より誕生する」というくだりだけで、この場合“子孫”というのはヨセフのことですが、イエス自身がダビデの子孫と直接血が繋がっている、とは明記されてはいません。血筋というよりも家柄がつながっているという解釈なのではないでしょうか。イエスの誕生や死後の復活、生前の様々な奇跡の数々についてはほとんど神話の世界ですから。
なお、カトリックではマリアは一生処女のままであったとされていますが、プロテスタントではイエスを出産したのちに、ヨセフとのあいだに何人かの子をもうけた、となっています。

この回答への補足

旧約聖書の「メシア(救い主)はダビデの子孫より誕生する」という記述に対応させるために、わざわざヨセフをダビデの家系にして、戸籍登録という理由をつけて臨月のマリアをわざわざダビデの出生地であるベツレヘムまで移動させて、そこで生まれたことにしているように思われます。こんなに「ダビデの子孫」にこだわっているのに、その血脈を全否定する処女懐胎!
キリスト教の長い歴史のなかで、神学者といわれるような人たちはどのように解釈してきたのでしょうか。
血のつながりはなくて、義理の関係でもいいのでしょうか。

補足日時:2005/06/12 22:51
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/12 22:51

そもそもマリアの処女懐妊が疑問視されているのはご存知ですか?


要はラテン語で少女と処女のスペルが似ていて誤訳のまま伝わったというものです。
それなら問題ないと思います。

この回答への補足

その説は、バチカンも認めているのですか?

補足日時:2005/06/12 22:12
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/12 22:21

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