「お昼の放送」の思い出

これは、ことば遊びではありませんか?

質問に不審な方は、HNをクリックして、コメントを見てください。

以下余白

A 回答 (17件中1~10件)

原因があるところには、必ず、結果が生じるからだと想います。


「エネルギーの交換」が行われるからだと想います。

「作用・反作用の法則」というのがありますが、
例えば、台車を「押す」と、台車には「押される」という反作用が生じます。
「押す」という「+のエネルギー」と同じ大きさで「押される」という「ーのエネルギー」が生じます。

原因があれば、必ず、結果が出るように、この宇宙は出来ているんです。そして「エネルギー保存則」により、それは作用したのと同等のエネルギーの反作用として現われるからだと想います。(因果応報)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
なるほど、なるほど、因果応報ですか。

瓶に入れられた手紙は、海に投げられた瞬間、宛先に届く。

主体の表象世界や、鳥瞰的視野から見ても、作用反作用の法則は成立するでしょう。ただ、ここでは他者の意図が欠落するような気がしてしまいます、逆に、私には手紙が届いたのだろうか?理解できたのだろうか?

因果関係の多くの部分が単なる偶然の誤認ではないのか、
あるいは、コメント欄の見事な使われ方、勉強になります。

お礼日時:2005/06/18 05:46

補足欄拝見するのが遅れました。


水槽様にお願いなんですが、できれば質問の文章をもう少し考えていただけるとありがたいと思います。
ラカンのことばをもとに、こうした一連のやりとりを楽しんでいらっしゃるのでしたら、もちろんそれも一種のインターテクストですから、わたしとしてもどうかご自由にお楽しみください、としか言えませんが、そのなかに入るつもりもありません。
単にお願いと受け取っていただければ良いのですが、もし、今後質問されるのでしたら、希望される回答の性格がある程度判断がつく(もちろんここのカテゴリではどんな質問であろうと、予測もつかない回答がつくときにはつくものですが)ような質問文を書いてくだされば、こちらとしても助かります。

まず、抑圧とか無意識とか、そちらのほうには踏み込まないことにします(わたしもまだラカンは入り口段階で、とてもではないけれど説明できるほど知らないからです。フロイトも基礎文献を何冊か読んだ程度に留まっていますし)。そういうことに踏み込まずに、「手紙はかならず宛先に届く」という字句に限定して、この言葉をもういちど説明します。

手紙がかならず宛先に届くのは、届いた先が宛先だからです。

この手紙というのは、差出人も、宛先も書いてない手紙だと思ってください。
そうした手紙が、ある日舞い込んできます。
不信に思いつつ、封を開けます。
けれども読んでいくうちに、自分に起こった過去のできごとが事細かに触れられていて、これはまぎれもなく自分に向けられた手紙だとわかってくる。自分以外のだれにも当てはまらないことがらが書いてある。
そんな手紙がどうして自分のところに来たんだろう。
宛先も書いてないのに、なぜ、自分のところに?

その答えが「手紙がかならず宛先に届くのは、届いた先が宛先だからです」。

この話は何を現しているのか?

それは、わたしたちの認識のありようです。

わたしたちは、「過去」を物語の形で認識しています。単独の、剥き出しの事実というものはない。

まず事象Aが起こる。
続いて、事象Bが起こる。

わたしたちは、かならずこのふたつのできごとをつないで理解しようとします。ふたつの事象の間に因果関係を見出そうとします。けれども、因果関係というのは、一種の「物語」なんです。
できごととできごとの間の空白を埋めるのが「物語」です。
そうして、わたしたちは「物語」という形でしか、ものごとを認識することができません。

わたしたちはさまざまな経験をします。けれども、この経験は、単独では意味を持ち得ません。いくつかの経験をつなぐ「物語」として、わたしたちは記憶に留めています。
けれども、この「物語」は、完了したものではなく、「いま」に繋がっています。

手紙が舞い込んでくる。
それに書いてあることを「まぎれもない自分の出来事」と思ってしまうのはなぜか?
それは、わたしたちが過去の記憶の書き換えを行っているからです。

こんな経験はないでしょうか。
夢の中で、電話が鳴っていて、それに出なくては、と思ったところで目が覚めてみたら、ほんとうに目覚ましが鳴っていた。
ところが不思議なのは、その夢のストーリーというものが、電話が鳴らなくてはいけないようなストーリーを持っていることが少なくないのです。
実は、夢、というのは、目覚めたその瞬間に、遡及的に作り上げられるストーリーなのです。人間の頭というのは、それくらい瞬時にストーリーを作り上げることができる。

「合理的なものは現実的であり、現実的なものは合理的である」

「現実」というのも「物語」です。現実とは何か、というと、さまざまなできごとの意味のネットワークです。それが「合理的」というのは、まったく当然なのです。「合理的」という文脈で編集した「物語」を「現実」と呼んでいるのですから。

ここでは、ヘーゲルが言ったような、超越的な、主体の外にあるような「現実」というのは、どこにも存在しません。
手紙の受け取り手が、遡及的に、自分が「受け取り手」であるという物語を紡ぐように、「現実」の読み手が、「現実」という物語を「合理的に」紡ぐのです。
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この回答へのお礼

花売りの娘は、浮浪者の手に触れても、手紙は届かない事もあるのでは。
その時、花売りの娘には、別の手紙が届いたのでしょうか。
人間の記憶はそのような傾向が有りそうです。

「世界内存在」「投企」(された)のなら判るような気もします。

それを、「手紙はかならず宛先に届く」などと表現するのが、私には判りませんでした。
それに、決定論に傾きそうですし・・・

ご迷惑をお掛けしたかもしれませんが、
できればいつか、無意識にも踏み込んで見たいものです。

ただ、インフレは如何なものかととも思います。
他にも、誤解や理解不足な部分も有りますが、
お時間が有りましたら、またお付き合いいただけるよう、質問してみます。

お礼日時:2005/06/20 20:35

質問者の方が何に悩まれておるのか具体的に分かりませんのでこちらもうまく答えられませんが


'郵便受け'というのは自ら選ぶのです。求めておらない手紙は読まないそれどころか隣家の郵便受けに入ったものを取りにいくことだってある。
届かなかった手紙は、ある
届く、とはどういうことか?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
色々誤解を与えてしまったようで、反省しています。

郵便受けは、「私」であり「あなた」です。

その事が、質問した時は、「他者」を意識していました。
これは正直、説明できません。

ですから、届くと言う受身ではないようです。
私の一貫性はどこかに吹っ飛んだようです(笑。

ご回答有難うございます#14様へのお礼をご理解いただければ幸いです。

お礼日時:2005/06/20 19:10

悲しむ人がいるかどうかは確定していないのです。

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この回答へのお礼

それは、手紙を出すのが怖いからです。

#14様のへのお礼をご理解いただければ幸いです。

お礼日時:2005/06/20 18:53

僕はヘーゲルを知らないので辞書で調べたら出ました。

そして、当然本人に出会ったことがありません。ヘーゲルも僕を知りません。しかし、僕がヘーゲルを認識した瞬間、ヘーゲルという手紙が届きました。そこで僕はヘーゲルがどのような人物かを知ります。間接的ですが、まったく合理的かつ現実的な結果であり、また、ヘーゲルが僕に手紙を出したわけでもなく、まったく別のルートをたどって僕に届きました。しかし合理的かつ現実的な結果にもかかわらず、そこには"誤解"が生じます。それでもヘーゲルは、「そんなつもりじゃなかった!」などと言う権利はありません。僕がどのように認識しようが、ヘーゲルが文句を言おうが、知ったこっちゃありません。それは永遠に乗り越えることができない壁なのです。人間も亀のロボットであり、それ以上でもそれ以下でもありません。つまり人間という枠を知っているからこそ人間なのです。それは無意識に皆がキャッチしています。
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この回答へのお礼

ヘーゲルもvagabond_0710さんも、生命の運動の過程です。

永遠に乗り越えられない壁は、あなたが作っています。
言葉でしか考えられない、その不思議さですが。

この質問は、時間の都合でお礼が済み次第、締め切りますので、また今度。
手紙は届くかな(笑。

お礼日時:2005/06/20 18:48

手紙を確実に送り確認する方法?


1.自分宛てに手紙を送る。
2.手紙を相手に直接手渡す。

手紙がかならず宛先に届くかはわかりませんが、手紙を出す人は宛先に届くことを信じていると思います。
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この回答へのお礼

このご回答だけお礼が記載されていませんでした。大変申し訳ありません。

一週間が過ぎ、なぜお礼がこないのか、原因と結果を整理して、ある意味を確定して
、了解するなり、忘却するなりの、時間が十分すぎてしまったようです。

それは、おそらく私からの手紙ではないでしょう、回答者様に届いた手紙は、偶然の
些細な出来事から、かならず宛先に届くのです。

少しだけわかったような気がしていますが、犠牲は大きすぎました。
お礼が遅れながら、このような分析しかできない私には、どんな手紙が届くのか。

有難うございました。

お礼日時:2005/06/26 16:17

僕の回答に一貫していることですが、手紙が届いても、内容まで届くとは限りません。

"誤解"がその中にあります。本当の"誤解"か、わからないからこそ、コミュニケーションの面白さがあり、逆に確かなものにしようと、手紙でなく「契約書」があります。

そこで補足します(笑)が、別ルートとは、手紙を出し続けるのもアリだと思いますが、手紙じゃない、まったく別の"手紙"を介しても届くと思うんです。

質問に「手紙はかならず宛先に届く」とあります。出した本人が信じれば、それは"すでに"届いています。また、想像外のルートをたどって届く場合もあります。それは時間を超えることもある。すべての条件をこえて、逆説的にあらゆる媒介を利用して、さらに相手が知らないうちに受け取っている場合もあります。そこには誤解もあるかもしれないし、ないかもしれない。本人の認識を超えて、無意識にキャッチすることもあると思うんです。別の言い方をすれば、呪術的な…。無意識に影響を受けて…。

心の作用ですから。

ちょっといじわるな回答ですか?^^;
逆さめがねの件、初耳です。しかし、やはり人間も含めて生きる存在とは、ありとあらゆる変化をとげて、適応しようと努力すると思います。だからこそ、人生もこの哲学も面白いです。お返事いただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

誤解を楽しむゆとりは、参考にしたいですね。
呪術的な要素はちょっと遠慮しておきましょう。

ここは、視線に力をつけて、眼で語る訓練をしてみます。

お礼日時:2005/06/19 16:51

No.5のお返事を読んで。


手紙は届いたけど、"誤解は生じる"ということですね。少なくとも、その届いた手紙の中身まで確認していませんでした。

ロボット亀のお話。
偶然でも必然でも、我々が勝手に意味付けをしているにすぎないもの。仏教ではそれを「縁」として説明して、一般的には「自然の法則」として考えています。その意味では、我々もロボットの亀とそう変わらないでしょう。もちろん、それでもその枠の外へ出ようと我々はしますが。

手紙を出したにもかかわらず、もし届かなければ、それは相手にとって認識できないから、存在しないものになります。手紙を紛失した場合。しかし、出した人の心は別のルートをたどって相手に届くかもしれません。
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この回答へのお礼

またまた、ご回答有難うございます。

先ほど、ご紹介した本に、もうひとつ面白い話がありました。

逆さめがねを掛けると、上下が逆転して、歩く事もままならないのですが、2週間もすれば、正常に「正立」して見られ支障がなくなるとの事です。信じられます。

届いた手紙ですら誤解しますし、そもそも、本当に誤解なのか、困っちゃいますね。
別ルートとは、手紙を出しつづける事なのかな?
有難うございました。

お礼日時:2005/06/19 06:30

'郵便受け'は待っている。


>郵便受けがあつても、手紙は届かない事もある。
届かぬ手紙は、ない手紙。
まあ誤配ということもあります。
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この回答へのお礼

私に届かなかった手紙は、あるのです。
それが誤解と認識の両方の根拠ですね。

このお礼も、確実に届くでしょうが、内容に同意できない場合、届いた事になるのでしょうか?
逆に、反感と言いますか、愛情が憎悪に転換する一瞬を作りはしないかと、危惧しますが。ご回答有難うございました。

お礼日時:2005/06/19 06:10

それは別問題で(自殺する自由はある)とはいえるがが、(自殺する権利がある)とはいえないということです。


束縛者から開放される権利はありますが、自殺自体に権利関係は存在しません。私が死んだ瞬間私に利益も不利益も存在しません。
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この回答へのお礼

ややや、物騒な質問の影響を私も受けてしまったようで。

ここでは、自殺ではなく「手紙」という可愛いものが主題でした(笑。

出した瞬間に届く手紙は、「他者」の存在を過小評価していないだろうか?
余計な一言を付け加えれば、万一mineosan さんが亡くなれば、悲しむ人がいる、と言う事です。

それにしても、「自殺」人気有りますね。有難うございました。

お礼日時:2005/06/19 06:00

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