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質問文にある通りです。

※少し学習を致しまして、回答に対して変な「カラミ」は自重しますので安心して回答してください。
※質問主旨以外の回答はご遠慮ください。

A 回答 (12件中1~10件)

分かり合える人が多いということ。

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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>分かり合える人が多いということ。

そうですね。「分かり合える」=「共感できる機会が多い」ですね。

お礼日時:2009/08/24 21:50

 独我論 というものが、自分の認識したことが絶対的に正しいと思う在り方を現すのであるとすれば、自分や他者の誤認識も在るということを知っていて、認識力を高めるように努力している者の唯識論とは区別しなくてはならないのではないかと思います。

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この回答へのお礼

独我論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E6%88%91% …

>認識力を高めるように努力している者の唯識論とは区別しなくてはならない

「唯識」については学習しますね。そうしないとお話の土俵に上れませんものね。

お礼日時:2009/08/26 20:54

0か1か、在るかないかが、物事を考える上での立脚点として、最も根源的なものであると思います。

在るかないかを認識するのは心以外に無く、0が無だとすれば、1は在る、つまり心 なんだと思います。

 ということで、唯心論ではなく、唯識論 と言っても良いのかもしれません。一般に言われている、定義づけされている 唯識論とは違うのかもしれませんが。

 もし、「認識のみが全てである」という言葉を否定できるとすれば、その説明を聞いてみたい気がします。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>その説明を聞いてみたい気がします。

いやぁ、大命題を持ち出しましたね。当方は「独我論」的立場には立たない者です。しかし、私程度の粗雑な頭では何回か試みたことのある論駁も成功していません。だから説明できませんね(白旗♪)。

お礼日時:2009/08/26 15:57

>うーん、そうでしょうか



 はい、そうだと思います。

>確かにそういった「側面」はあるでしょうね。

 これ以外の世界の生成の要因があれば是非ご教示を。
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この回答へのお礼

再び回答をありがとうございます。

>これ以外の世界の生成の要因があれば是非ご教示を。

「これ以外」を特定するデータ不足です。回答者さんの論を展開して頂けませんか?
お立場は「唯心論」ですか?

お礼日時:2009/08/25 20:42

ヨコ失礼。


>「凡庸さ」とは「大勢に流され独自の見解・生き方を持たない」とすれば
「凡庸さ」とは「独自の見解・生き方がたまたま大勢と一致していた」です。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

お礼日時:2009/08/25 18:28

凡庸でなかったおかげで損をしている方の例を調べると、その答えが自ずと出てくると思います。



最近の例で凡庸でなかったおかげで損をしたのは、酒井法子の覚せい剤騒動でしょう。彼女は好み如何に関わらず、その美しさで凡庸からほど遠い、抜きん出た方です。彼女が並の女性だったら、あんな腑抜けな旦那に掴まらず、従って覚せい剤のかの字も知らずに一生を過ごせ、凡庸だが幸せな一生を送れた可能性が桁に違いに高くなります。非凡であるが故に覚せい剤を覚えてしまい、また、非凡であるが故にマスコミに大喜びで大騒ぎされています。非凡であると人生の揺らぎが大きくなり、自分で人生をコントロール出来無くなって、潰されてしまうことがしばしばあります。

明治の在野の歴史学者の雄、山路愛山は「義経の最大の不幸は、彼の非凡な軍人としての能力が、人生の中で最も野心の高い頃の年齢で発揮されてしまったことだ」と言っておりました。こんな不幸は、凡庸な人間には起こり得ません。平家物語の「六道」の巻きでも、壇ノ浦で入水した安徳天皇の母建礼門院が、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄と順に落ちて行く悲壮な自分の一生を語っておりました。こんなのも、凡庸な我々の語り得ないところでしょう。凡庸な人間は、時代を越えて人々の涙をそそるような悲劇を語ることが出来ません。何故なら、そのような悲劇を体験出来ないからです。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

視点を変えてのご指摘ですね。

>凡庸でなかったおかげで損をしている方の例

逆に言えば(多少アイロニカルに)、「凡庸」であることも「才能」なのであり、「凡庸さ」が「無事」である可能性が高いとすると「無事、これ名馬」であることも慫慂すべき「美徳」の一となり得ますね。

お礼日時:2009/08/25 16:50

共感者が多いので孤独になりにくい。

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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>共感者が多いので孤独になりにくい。

そうでしょうか。「凡庸さ」は「共感できにくさ」を含むのではないでしょうか。「凡庸さ」とは「大勢に流され独自の見解・生き方を持たない」とすれば、凡庸さが生む「自己中心的な見方・考え方」は「共感者」は生んでも「孤独」をなくす方向へは向かわないのでは?(もっともこれは質問者の勝手な判断ですから賛同を求めてはいません♪)

辞書の説明:
凡庸-な、-さ:特別すぐれた能力や変わった所の無い様子。平凡。
                 (出典:新明解国語辞典第四版)

お礼日時:2009/08/25 15:00

 上記の投稿を読んでの感想ですが、やはり


 世界の恒常性を保つ効果は、あるかも。抽象的な思想によるもので、真意のほどは確かめようも無いが、精神のあり方が世界を象(かたち)作って居ると考えれば、やはりそうなのかもしれない。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>世界の恒常性を保つ効果

うーん、そうでしょうか(カラミではありません)。世界をどう捉えるかという大命題にからむ問題ですね。

>精神のあり方が世界を象(かたち)作って居る

確かにそういった「側面」はあるでしょうね。

お礼日時:2009/08/25 12:02

急激な変化を抑制する力がある、すなわち良くも悪くも変化を少なくするということではないかと思います。

個人についても社会についても言えるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>急激な変化を抑制する力がある

平時では抑止力として機能する。

>良くも悪くも変化を少なくする

薬みたいなものですかね。少量であれば薬、多量であれば毒。

お礼日時:2009/08/25 12:00

わが身を振り返りつつ考えてみましたが、考える以外の楽しみに当てる時間が相対的に多くなる。


あるいは、考えた末に理解できなくとも、諦めがつく。
といったところでしょうかね。
 
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>考える以外の楽しみに当てる時間が相対的に多くなる。

そんなものですかね。「凡庸」のイメージ。

>考えた末に理解できなくとも、諦めがつく。

うーむ、なかなか深いことばです。

お礼日時:2009/08/24 23:21

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