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哲学の実在論、観念論、クオリアと認識と存在について教えて下さい。

A 回答 (3件)

ざっくりとわかりやすく。



実在論とは、モノそのものがそれ自体で存在することです。

観念論とは唯名論とも解釈できますが、
モノは人間の認識というフィルターによって存在が成り立つことです。

例えば、虹の色を例にだします。
日本では虹の色は7色です。しかし、アメリカでは6色。3色に見える部族もいるそうです。これは、虹の色という存在は、その文化によって見え方が変わるということです。

上記は簡単な例ですが、モノの在り方は、人間の認識の関わり方によって
大きく変わってくるということです。

しかし、モノはモノそれ自体で成立するのか? それとも人間の認識が、そのモノの在り方を変えるのか? これが実在論と観念論の問題です。

このような実在論と観念論の違いは、
人間の「意識」という存在を考える上で、常にテーマとなる問題です。

あなたが好きな人を見た瞬間、ドキドキして世界が変わったあの「感覚」ががあるでしょう。あの「感覚」は果たして、物質的なものでしょうか?

ええ、脳機能的には、そして実在論的には、電気信号でしかありません。そう、でもあの「感覚」は科学的に再現できるのでしょうか? ロボットはあの感覚を体験できるのでしょうか? これをクオリアと呼びます。

電気信号であるはずの実在的なものから、どのようにしてあの観念論的な「好きという感覚」が生まれるのでしょうか?

茂木さんの朗読している、自由意志の話は、実在的な物質(脳)から、どう人間の意識(観念論)が生まれるのだろうか? という話です。
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この回答へのお礼

お世話になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2021/05/05 22:45

クオリアは受けた刺激を理解する為に脳内で作られた感覚情報です


クオリアの一つ視覚について
脳内の所定の部位に資格情報が届いてもその時点では「見えない」のです。
「見えない資格情報」を処理して「見える状態」にしてはじめて「見える」のです。これが示唆していることは「見えている景色」と「見ている景色」が同一であると科学的は断言出来ないと言う事です。
「見えている景色」と「見ている世界」が同一であるかどうかを科学的に確認するには脳で処理されていない生の情報と「見えている情報」とを比較しなければならないのですがそもそも論として脳で処理しない限り「見ること」は出来ません。よって「見えている景色」と「見えている世界」とが同一であるかどうかを科学的に確認することは理論上不可能なのです。これが認知科学における解決不能なクオリア問題です
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2021/05/05 22:44

存在は現象することがある。


現象すれば知覚されることがある。
知覚されれば認識されることがある。

認識されたのだから存在があるとみなすのが認識論。

認識されないとしても存在があるとするのが存在論。
つまり、
存在は現象しないこともある。
現象しないものは知覚されない。
知覚されないものは認識もされない、、、と。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2021/05/05 22:43

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