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研究員は研究成果を公表するために論文を書くものと思っておりましたが、私の職場には論文を書かない若手研究員(30代前半まで)がたくさん(ほとんど?)います。私の知り合いのいる研究機関にも、論文を書かない研究員がたくさんいるそうです。何で論文を書けないのか。この答えは簡単です。データのとりかたに問題があるからです。発想も人まねばかりで新奇性はありません。しかし、彼らは何の自覚もありません。私が彼らにいくら忠告しても馬耳東風です。当然、日常の勉強もしていません。まさに研究をしない研究員です。私には全く彼らが何を考えているのかわかりません。どなたかご存じの方教えていただけませんか。

A 回答 (5件)

喜んではいけないのかも知れませんが、私の他にもそういった悩み(?)を抱いている方がいるとは…!



私の研究室では教授・助教授がまともな論文を書けません。なぜそういった人間がそこまで登りつめることができたか、それはこの分野の研究者人口が少ないこと、そしてまさしく神懸かり的な「運」でした。しかし、この分野では全国ほとんどの研究者が研究者として教官としてかなりの低レベルです。他大学の研究室の若手にもどの分野にも適応能力がなく、しかたなくこの分野へ逃げ込んで使い物にならない(勉強さえしない)研究者がたくさんいます。

私は技官として勤務していますが、そうした上司達の研究をフォローするつもりが、上司達の研究を進めていくうちに、データがどんどんと誤解釈されていき、とんでもない仮説まで出し、さらに目も当てられないような英語の論文を雑誌に投稿する始末。そして数打ちゃ当たるもので、そのうちの一つはとうとうacceptされてしまいました(そんなメジャーな雑誌でもないですが)。普通の知識を持った研究者であれば、論文を投稿する際にどういったデータを掲載すればそういった仮説が提唱できるのか?等が理解でき、あきらめるものですが。そこであまりにひどいので、教授の学会での発表予定の抄録をすべて書き直し、発表用スライドをすべてこちらで作製し、強引に発表させる強硬手段を執ってみたりもしました。これは確かに屈辱的な行為だったかも知れませんが、これ以上嘘を重ねられると、研究室だけでなくその分野自体のレベルをさらに引き下げることになりかねず、また私の名前を掲載される以上は黙って見ていられないことから、そういった行為をとってしまいました。
しかし、それでも上司達の暴走(妄想?)は止まらず、結局大げんかをして、私は研究室を辞めることになりました。私自身が辞めることにより、上司達は実験もできなくなり(すべて私がしていたので。データは実際とは全く違うものになっていて驚きました)、これ以上の暴走を止めることになるからです。しかし私自身のデータに関する解釈は、もちろん私自身の思いこみであってはならないので、(本当は他研究者に見せてはいけないのですが)恩師のつてを辿って、最も専門家とおもわれる研究者に検討してもらい、意見の一致を戴いた上でけんかをしたのですが。そこまで追い込まれるほど、それはもうひどいものです。
研究をするからには、時間がなくて実際の実験を人任せにしてはいても、こまめな論文、専門誌のチェックはもちろん、基本を何度も振り返って検討を重ねることが重要です。そして英文を多数読み、その英文の表現方法等を勉強するほか、投稿しようとする雑誌の傾向をつかみ、それについても研究していくのが当然の仕事ではないでしょうか?でなければデータの取り方はもちろん、まともな英文も書けません。

私の言っている上司達は論文は積極的に書いている面で、virulenceさんのケースとは異なるかも知れませんが、楽をしようとしている面では同じ人種なのではないでしょうか?努力を重ねるのが、勉強をするのがだるい、そういうのが一番の理由ではないでしょうか?勉強をすることができなければ、新たな発想など思い浮かぶはずもありません。
日本の研究が欧米に今一歩立ち後れがちなのは、欧米に比べ、研究という作業に対する報酬(栄誉等)があまりなく、それほど成果を出さなくとも生活はさほど変わらない点が大きな要因であると思います。教官職に任期制の導入が検討されてきていますが、浸透は非常に遅いです。しかし成果が出なければ辞めてもらうぐらいの罰がないと、必死さがでてこないでしょう。オリンピックにでる日本選手と他国の選手の違いみたいなものでしょうか?

私は辞めて違う道を目指して今は励んでいますが、virulenceさんは負けずに頑張ってください!あまり周囲を気にしないことが一番です!
(私は上司とあまり口をきいていないので、今はとても楽です)
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私の恩師もそうです。

親が「うちの息子に後を継がせたら会社をつぶす」と判断して.財力に物を言わせて某大学教授のイスに座らせました。だから.何をやってもどうしょうもないとして学内では有名です。同様に.「うちの息子に会社の社長をやらせたら会社をつぶしてしまう」ようなどうしょうもない人間をほうり込む先として大学ほど適切なものはありません。社会的地位を親が買い与えてやれば.孫はともかくとして子供は何とか生きていけますから。

たいした知識もなく.大学に来てしまったのですから当然でしょう。
なお.昭和30年代から40年代にかけて大学職員になった方は別です。この方々は.給料が少なくて誰もなり手がなく.したかたなく.高校の先生を拝み倒して(当然給料が減るので.まともな人は高校に残る)なったひとたちですから.温かい目で見てあげてください(チヤホヤしておだてて)。どうせ.定年がまじかかですし.何もできない人間ですから。
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論文を書く。


これは研究に携わる者にとって必須のことであり、同時に当然のことですよネ。
私は最近ペースが落ち気味で年に2~3報しか出せないので、あまり大きなことは言えないですが‥。
実験をするだけ、或いは、学会発表をするだけで終わってしまい論文にしないという『中途半端なやりっぱなし』という行為は許せません。そんなに無責任で楽なことはありませんから。

研究に対する目的意識がないのでしょうか?
自分が何かの研究を行なう。
それは新しい方法論の検索・確立であるのか、既にある方法論を利用しての現象解析による新知見の発見であるのか‥方法論も結果も様々でしょう。
でも、その方法等がどのようなものであれ、その成果を論文という形で示して初めて仕事が成り立つものであると思っています。
研究生や院生は勿論、学部生であっても論文は書かせます。自分が行なった研究を何等かの形にするということは、義務でもあると考えているからです。
学会発表で(ポスターは別ですが)、決められた時間の間に自分がした研究を纏めて述べる能力、そして、自分がした研究をきちんと纏める能力‥いずれも大切なものですからネ。

発想が人まねである‥これはテーマを考えるときからの問題があるのですよネ。問題点を見出す力というのが重要なのに、それが身についていないということなのでしょう。
問題点が明確であれば、それに対する実験方法は自然に湧きあがってきます。そして、方法論は既存の方法で済むのか、或いは、新しく考案しなければならないのかということも分る筈です。そして、一つ一つをきちんとクリアしていくと、目的・方法・結果・考察を伴う、きちんとした論文が出来上がるはずなんですよネ。

研究員という職業を選んだ理由は何なのでしょうか?
歯車としての、単なる実験オペレーターになりたかったのか、研究職という職種に対する憧れだけで選んだのか‥

けれども、尻を叩いて論文を書け!といっても、審査に通るようなものができるかどうか心配ですネ。

原著・ノート・速報‥別に原著にこだわる必要はありません。とにかく自分が行なった研究を何かの形に纏める能力は必須のものです。別に日本語で書いても構わないでしょう(本来は国際的にアピールするためには英文で書くべきですけど)。

初心に戻り、どうして研究の道を選んだのかを思い起こせば、自ずから変化が起こる‥と信じたいですネ。
以上kawakawaでした
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こんにちは。

質問の趣旨とは若干外れるかもしれませんが、、、、。

研究職の人間は基本的には何かのテーマについて研究して成果をまとめるのが仕事ですが、発表の仕方はいろいろだと思います。研究=論文というほど簡単なものでもないのかな、と最近思ってます。
たとえば、某特許事務所の所長さんによると、研究成果を論文として公表されると逆に実用化がしにくくなる場合もある、、、、のだそうです。ライバル会社にもタダで使えますから、会社としてその技術を使うメリットが薄れるのだとか。
特許事務所の方の言葉なので手前ミソなところもあるでしょうけど、これはなかなか新鮮な意見でした。

まあ、分野にもよると思います。ぼくのまわりは工学屋が多いので。
企業の研究者なら、テーマによっては発表できないこともありますよね。

意外と多いんですよ。論文として掲載されていながら、実は何年も前の他人の特許だったりすることが(もちろん、マネしたわけではなくて、調査不足なだけです)。
なにが言いたいかというと、発表の場は論文だけとは限らないということです。

どちらにしても、ご質問のような理由で、論文を書かないのではなくて書けない方々は、問題ですね。なにか新しそうなことをしていれば研究をしていることになると思っているのかなあ?
なんとも迷惑な話ですが、自衛策としては、自分はきっちり書いておく、くらいでしょうか。
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逆説的な話をします、、、怒らないで聞いて下さいね。



まず、人にはそれぞれ価値観があると言うのを分かる必要があります。
「研究をしたものは論文を書か無くてはならない。」
「論文を書けない人は研究者失格。」
これらは、あくまで世間で言われる多数派意見で、真実ではありません。
この事をもって彼等を責めるわけには行かないと思います。
理解できないと言うのは、価値観の多様性を理解していないと言われますよ。

しかし、彼等が公務員であれば、彼等の給与や研究費は国民の税金から
まかなわれており、国民に還元してはじめて、給与の対価を果たしたと言えます。
それを果たさないでいるのは、公務員たる研究者とは言えず、その職を
罷免されても仕方がありません。
また、企業研究者であるならば、その成果を企業に還元してはじめて
給与の対価を果たしたと言えます。
それが果たせないようであれば、この御時世クビになってもしかたありません。

研究はマスターベーションにも似た性格があり、自分の学術的探究心を
満たすために研究していると言っても、間違いでは無いと思います。
ただ、そのマスターベーションが、自己の財力で行っているのならともかく
国や企業をパトロンにして行っている以上、その対価を支払うのは
仕方が無いです。 「結果は求めない、好きにしなさい」という奇特な
パトロンなら別ですが、、、

virulenceさんの、同僚の「研究しない研究者」さん達には、研究者としての
モラル以前に、自分がなぜ給料をもらっているのかを自覚してもらわなければ
なりませんね。
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