
「歴史にもし(IF)はない」とよく言われますが、この言葉が訴えたいことは何でしょうか?「既に発生してしまったことは変更不可能」などという物理的なことを言っているとは思えないのですが。
歴史は、より良い未来を築くために学ぶという側面も大きいわけですから、もし過去の歴史の選択にあやまりがあったと思えば、「もし、あのときあのような決断をしなければ、このようになっていたはず」と言うような思考実験をたくさんやることは、大変有意義なことだと思うのですが(クレオパトラの鼻のように人の力で変更できないものは別ですが)。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
No4の者ですが、補足します。
「そういう意味では、歴史に限らず、現在の政策であっても、将来その政策が日本にとって良い影響を与えるのか、悪い影響を与えるのかは、未来の話で証拠はないから議論しないということになるのでは...。」
繰り返して言いますが、歴史学と言うのは、あくまで「史実」という確固たる根拠によって「原因と結果」を検討するものです。そこから先のことは、歴史学とは別の範疇になります。
米国や英国では、日本の大学学部や旧制高校に当たる「カレッジ」の段階で、歴史学を専攻する人が結構いるようです。歴史学を基礎として学んでから、経営学、法律、政治学、経済学と言った「実学」を学び、例えば政治家、政府高官、法律家になるような人が多いようです。
例えば政治家や官僚が経済政策を立案するにも、「過去にこのような経済政策でこのような結果が生まれた。だから、現在のこのような状況ではこのような経済政策が適当だ」というようにするわけです。質問者様の言われるのはそういうことではないですか?
この場合の政治家や官僚は、歴史を研究しているのではありません。歴史の知識を現実に活用して、政策立案や意思決定をしているのです。
この回答への補足
うーん....なるほど。
ということは、「歴史学」の世界の中では、「歴史にIFはない」ですが、「歴史学」を応用する立場なら、IFをどんどん使って良いということになりますか?たびたびしつこく質問して済みません。
No.12
- 回答日時:
私の理解を書いておきます。
歴史って後から振り返ると、あそこで戦争が起こったのは歴史的に必然であった、といったふうになりがちですが、実はそうではなくて、偶然の要素がかなり大きいのです。また、いわゆるバタフライ効果ていうのもあります。
その日、たまたま誰々の機嫌がちょっと悪かったなんてことが、ものすごい影響をもっていたりします。例えば、今、小泉さんは靖国に行くかどうかでものすごい悩んでいるんだろうと思いますが、最終的にはエイヤッて感じで、行くor行かない、のどっちかに決めるわけです。しかし、100年後になって振り返ってみると、この決断が実はものすごい意味を持っていたなんてことになりえます。これは、別に小泉さんだけではなくて、普通の一般人が普通にしている決断とか行動なんかでも同じことです。
つまり、どっかの誰かさんのささいな行動をちょっと変更するだけで、あるいは、南米の平原にいる蝶がちょっと羽ばたいたと仮定するだけで、全然別の歴史を作れます。別の言い方をすれば、ちょっとIFを考えるだけど、どんな仮説でも正しいという結論を導き出せるということです。
「もし、あのときあのような決断をしなければ、このようになっていたはず」
ていう思考も正しいですが、
「もし、あのときあのような決断をしなければ、別のこんなふうになっていたはず」も正しいわけです。
これでは論争する意味がありませんよね。これが、歴史にIFを考えてはいけない理由です。
No.10
- 回答日時:
突然割り込んですいません。
「歴史にIFはない」その通りでしょうね。たとえば(変なたとえですいません)、二股道があります。どちらに行っても目的地には到着します。
右に行くか、左に行くか、考えて右に曲がりました。するとそこに車が来て轢かれてけがをしてしまいました。
けがが治ってそのときの事を考えてみました。『もし』左に曲がっていたら轢かれなかったのに。でもそれは分かりませんよね。
それよりも、右に曲がった時にきちんと左右を確かめただろうか、無理な横断をしなかっただろうか。そうかあそこで信号を無視したから轢かれたのか。『もし』信号を守っていたら轢かれなかったに違いない
今度からはきちんと信号を守ろう。
そういうことをきちんと考える事が歴史を研究するという事だと思います。
つまり、起こってしまったことをきちんと検証し、原因を確かめる事が歴史の研究であり、その中で「IF」を使う事はなんら問題はないと思います。
漠然とあの時『もし』左に曲がっていたら轢かれなかったのに・・・
それが「歴史にIFはない」と言う事だと思います。
No.8
- 回答日時:
こんばんは。
#4さんの書かれているように、学問的には「IFはない」と思いますが、現実は、IFの繰り返しではないでしょうか?
質問者さまが書かれているように、列車じこの原因を追求するためには、「なぜ」を繰り返して「真の原因」を追求しなければなりません。NHKの「その時歴史は動いた」等は、視聴者にIFを想像させようとしています。彼女にフラれた時も、あの時こうしていたら、うまいこといっていたのに・・・とか、人間はIFの繰り返しだと思います。
「グローイング アップ」というイスラエルの映画を見たことがありませんか?青春の甘い思い出を懐かしく語っています。少し話がそれました。すいません。
<歴史は、より良い未来を築くために学ぶという側面も大きいわけですから、もし過去の歴史の選択にあやまりがあったと思えば、「もし、あのときあのような決断をしなければ、このようになっていたはず」と言うような思考実験をたくさんやることは、大変有意義なことだと思うのですが
質問者さまの言うとおりだと思います。失敗から成功を学ぶべきであり、成功から成功はなかなか生まれないと思います。
No.7
- 回答日時:
すいません、説明べたで。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!>何故、JRの例だけIFの結果がわかると考えるのでしょうか?
JRの事故の場合、事故調査委員会の今の意見は、カーブでのスピードの出しすぎです。つまり、「もし」ATS-Pが設置されていたら、自動的に減速していたはずですから、「結果」は(ほぼ)分かります。
つまり、結果と原因の因果関係が比較的はっきりしているので「IF」の結果が分かると言うことを書かせていただいたわけなんです。
これが歴史となると、そんな単純なものではありませんから、「結果」と「原因」の因果関係がはっきりしていないと言えると思います。ですから「IF」を考えても、想像が広がって楽しいとは思いますが、教訓にはならないと思うんです。
No.5
- 回答日時:
>例えば、JR西日本の事故が発生したとき、「もし」事前に運転手の教育方法を見直しておいたらどうだったかとか、ATMを最新のものしていたらどうだったかとか様々のことを考えて、今後は、2度と同じ事故を起こさないように対策を考えるというのが普通の発想だと思うのですが、こと「歴史」になると「もし」はないと諦めれるのは何故ですか?
JRの例は、「もし」の「結果」が既に分かっています。「もし」その通りしていたら、「事故は避けられた(可能性が高い)」ということです。
しかし、歴史の「もし」は、考えても色々な想像が働き「結論」が出てくるだけで、「結果」は出てきません。なぜなら、歴史の「もし」には「結果」がありませんから。
この回答への補足
うーん...済みません...ちょっとわからないです。JRの例も歴史の例も、両方とも既に過去に発生したことに対するIFなのに、何故、JRの例だけIFの結果がわかると考えるのでしょうか?
補足日時:2005/06/28 21:37No.4
- 回答日時:
「歴史にIFはない」というのは
「IFの話をすると、2つのIFがあれば4通りの結果、10個のIFがあれば100通りの結果が想定されることになり議論が幾何級数的に拡大してしまう。全て仮定の話で証拠がない以上、議論の正否を判断する術もない。よって、歴史学の議論ではIFの話は扱わない」
ということと解釈しています。
歴史学とは、要約すれば「原因と結果」の追求です。これを反復していけば、結果として「もし、あのときあのような決断をしなければ、このようになっていたはず」を、「史実と言う確たる証拠に基づいて」検討する結果となります。
この回答への補足
>全て仮定の話で証拠がない以上、議論の正否を判断する術もない。
そういう意味では、歴史に限らず、現在の政策であっても、将来その政策が日本にとって良い影響を与えるのか、悪い影響を与えるのかは、未来の話で証拠はないから議論しないということになるのでは...。
No.3
- 回答日時:
歴史の長期的傾向というのは個々の人間の武勇だったり、発明だったり、行いで決まるものではないということです。
例えば先の大戦一つを例にとって考えてみれば、
超大国アメリカが太平洋に権益を求め、既得権者のヨーロッパと新興国家日本とがそれとぶつかるというのは必然だった訳だし、あるいはドイツの暴走も同じことです。ヒットラーがいなくても第一時代戦の莫大な賠償金などでドイツが暴走することは決まっていました。また国民の不平不満が特定の民族に向かうこと(ユダヤ人差別は歴史的なものです)も同じです。ただアウシュビッツまで起きたのは特異的な事件だったかもしれませんが。
ここで例えば2/26事件が無かったらとか、ヒットラーが芸術家として成功していたらとかいうIFを考えても、日本は米国と決定的に対立しただろうし、ヒットラーの変わりに誰か独裁的なリーダーが出ていただろうし結局大勢に変化はないということにしかならないということを、歴史にIFはないという言葉が示しているのだと思います。
この回答への補足
おっしゃることはおおよそわかるのですが、結論として「もし、あのときこう決断していたら」という仮定の話をするのは、あまり意味がないからやめたほうが良いというのが「歴史に”もし”はない」の言いたいことなのでしょうか?
「歴史は過去に起こったことですから、今更何を言っても変更できない」のは言うまでもないですが、未来に対してより良い選択をするために、過去に学ぶ手段として、「もし、あのときこう決断していたら」という思考実験を通して研究を深めることも意味がないということになるのでしょうか?
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