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江戸はお侍さんが非常に多かったらしいです。
一度人口の何パーセントだったかを聴いたのですが忘れてしまいました。
記憶では50%ですが、自信がありません。

反対に大阪は数パーセントと記憶しております。
ご存知の方、教えてください。

A 回答 (3件)

正式な人口調査が行われたのは、享保6年(1721年)であるが、元文元年(1736年)の資料に依れば、町人の人口は52万7千人(男:33万4千人、女:19万3千人)とされている。


但し、資料に残る調査の範囲は、町奉行の管轄である墨引内にとどまり、いわゆる御府内と言うことになる。
朱引内であっても、墨引外の町奉行の管轄が及ばない地域における人口も含まれない。
その内、出稼ぎの者や地方で生まれた町人の割合は、35%ほどになる。
その為、武士の人口は正確にはわからないが、100万都市とされるので、やはり50万人ほどと思われる。

http://www.toukei.metro.tokyo.jp/jugoki/2002/02q …
こちらの、付録「江戸の人口について」(PDF形式:15KB)を参照してください。

大阪に関しては明治初期が36万人でしたから、江戸期もそんなものとは思いますが、人口比率は分かったら又書き込みます。
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農民が80%、武士は7%程度だそうです。


残り10%が町人、3%ほどがその他になります。
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江戸の武士人口は流動的で、参勤交代により変動しますが大体50%位と推定されています。



これは武士身分の者が集中して居住していたからです。 従って火消しも大名火消し、武家火消し、町火消しと三分立するくらいでした。

諸地方では概ね武士は城下町や行政機関の所在地に集合居住しますしそれぞれの地方の事情もあり武士の比率はまちまちでした。 しかも参勤交代で大きく変動します。
薩摩や土佐など郷士という半農民化した武士階級が多く存在したところは武士比率は高かったのですがそれ以外では平均10%台だったようです。
大阪は経済の中心でしたから町人が多く武士比率は5%くらいだったのでは・・・
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